グミ15才。
グミ、誕生日おめでとう。
15年という数字はとても重くて、ボクにとってもこの期間、経験したことない変化の連続だった。
そこに想いを馳せる時、ボクは敬虔で厳粛な面持ちになる。
この15年、いい年した大人が、命のことをやっと知り、他者との関係性を今さら学んだ。
そう、以前のボクは間違いなく、偏狭で鼻持ちならない奴だった。
そんなボクから抜け出せたのは、グミ、キミとの日々があったからだ。
「グミと銀次郎」
ダックス・グミと柴犬・銀次郎。
漫画にもなった二頭の犬だが、ボクは表現者として彼らの打ち出し方、対外的な表現の仕方を意図的に区別している。
いやそれは意図したものではなく、長い時間の中で自然に生成されていった。
太陽と月。陽と陰。
銀次郎。
彼はまとめサイトにも取り上げられ、彼を模したグッズは圧倒的な売上を誇っている。
いつもよぎるのは、ソーシャル・メディアでの支持、フォロワーさんたちへの感謝だ。
マキさんもボクも銀にまつわるものは「柴犬代表」のつもりで表現している。
だからそれらは分かりやすく、シンプルなものとなっている。この前の誕生日テキストもそうだった。
結果的にそれはキャッチーなものとなり、意図しない規模で多くの方々に受け入れられるものとなる。
対してグミはボクたち「真希ナルセ」の「ルーツ」だ。
立脚点として、他者には分からない内省的な事情を抱えている。
そして闘病生活は現在進行系だ。
必然的にグミを表すものは、絵、曲、テキスト、すべてが自問自答を繰り返すような自省的視点になる。
赤裸々で見るのも辛いような作品を、ボクたちは吐き出し続けた。
自分たちの抱える問題を周囲に理解して欲しかった。ただそれだけだった。
そうして漫画でも主人公に据えようとした(実際にインディー漫画では主人公だった)。
そのこだわりは、さながらセラピストに事情を話したくて仕方ない患者のようだった。
しかし当然、担当編集さんには「それは難しい」と言われる。
自省し自戒する視点が、エンターテイメントとして邪魔なのだ。
それで「何となく銀が主人公なのかな?」という位置づけにして連載を始めた。
「もふもふ犬まみれ」の始まりだ。
だがそれは真希ナルセとマキナル・フィールズをちゃんと表してはいない。
何故なら連載開始時、銀はボクたちの犬ではなかったのだ。
ボクたちは、マキさんがお世話をしている会社の犬のことを描き、実生活では他のワンちゃんと挨拶も出来ない…散歩中、誰かと出くしたら目隠しさせて逃げ出す、そんなグミとの毎日を送っていた。
こんな状況をボクたちはひっくり返そうとした。
キャッチーではなくなっても、多くの読者を失っても、もうそれは二の次だった。
こんな詐欺師みたいな人生だけど、もう正直にやっていかないと。そんな思いだった。
実生活ではボクたちは銀を引き取ることにし、グミと会わせない「隠遁同居生活」を始めた。
そして漫画の中では最終章は好きに描かせていただくよう交渉した。
そんな経緯があって、漫画の最後はグミの闘病やシェアリングの話が正直に全面的に取り上げられている。
統計上、最終回を読んでくれた読者は、実に最初に読んでいた数の三分の一だった。編集さんの判断は正しい。
それでもボクたちは思う。
お手軽エッセイとして間違っていても、あの時、あの気持ちを表す決意が、今のボクたちを支えている。
「商業」に背を向けた形になったあの時から、ボクたちは予想もしない新しい出会いをしていった。
「地元」「福祉」「教育」といったキーワードの元、その新しい地図で活動を続けられている。
「コロナの世界」
コロナによって世界が変わってしまった。
これから波及していく影響は、これまでの生活様式や価値観を変え、必然的に人類の在り方までも変化せざるを得ないことになるのだろう。
貧しいものはより貧しく、視野は狭く、人と人は物理的にも心理的にも距離を取ることが当たり前の世界。
「不要不急」と呼ばれるものたち。そのものこそがボクたちの最も愛すべき事ごとだった。
例えばボクたちにとっては、コミティアでファンの方に会うこと。
介助犬フェスタでマキナル印のイラストを希望されることだった。
失ってから痛切に感じる、かつての愛おしき世界。
握手やハグ。気軽に訪れられる街角。店。
マスクを取っただけで白い目で見られてしまう世界で、これからボクたちは生きねばならない。
真希ナルセは今年から教育の現場にいる。
自分たちも罹患するのではないか?と思いながら週一回、学校に通う。
いつも考えている。果たして生徒たちは「コロナ以前」の子たちのように学習出来ているのか?
リモートで顔も見えない。実感も薄い。
まるで戦時中のようだ。この異常下、生徒たちは悲嘆しながらも逞しく生きていっているように見える。
願わくばこの環境を呪うより、将来に活かしていけるようになってほしい。
ところでボクたちマキナル・フィールズはといえば、この環境でも大震災の時のような悲壮感はなかった。
特にボク、ナルセは平常心のまま生きていた。何も奪われた気分ではないのだ。
それはグミとの隠遁生活の経験から培ったものと無縁でない。
ボクは8年余り「持たざる者」であり、社会から見た「透明人間」だった。
グミと運命を共にするつもりだったので、人からどう見えようが、それはどうでもよかった。
少しでも環境を良くするつもりで、ボクたちはグミを引き取った。同時に仲間たちでシェアリングを始めた。
これらは成果が出るどころか、すべてが停滞していく契機となった。
グミの発作が一番酷かった時分、絶対誰かがついていなければならなかった。
脱サラを画策したボクしか、その役割は果たせなかった。
売れない創作をしながらのこの期間、わずか数年のはずなのに、とてもみすぼらしく惨めに思ったものだ。
そう感じ疲弊したのは、夜も発作が来るかもと怯え、ろくに寝られない環境も、無関係ではなかったろう。
だがこの時に思いを巡らし辿り着いた「考え」が、今の環境にも生きている。
決して下を向かない。周囲に弱音を吐かない。誰かに手を差し伸べる。そういう自分でいたい。
身体が衰えた時、勇壮な自分を夢想し詩を書き留めたあの宮沢賢治のように、ボクとグミは「より良き未来」を信じて生きていった。仲間の温かい支えも受けてきた。
そうしてグミを傍に作ってきたあの頃の作品は、今の真希ナルセの礎になっている。
これからもボクたちの創作の「エンジン」となるものだ。
あの経験があったから、大抵のことに持ちこたえられる。
生徒たちにも実体験として言うことが出来る。
「いつか夜は明けるから、心配しなくていいですよ」と。
「腫瘍の日々」
ボクとグミの奇妙な共時性は、いつかのテキストでも触れたことがある。
ボクが腰痛を発症するとグミも歩けなくなった。
毎月70錠以上の薬を服用している。顔を腫らすとグミも腫れる。
腫瘍もそんな同時性の一つだった。
ボクは前の仕事で責任も立場も手放した原因は、首の骨化性腫瘍、その除去手術の為だった。
何度目かの腫瘍がグミの背中に出来たのは先々月のこと。
かかりつけの先生は昨年のように静観せず、「すぐに検査しましょう」と仰った。
ボクは覚悟した。
その用意はずっと前からしてきたので、平常心だった。
とても忙しい日々で、検査までの時間も原稿、授業、取材が山積みだった。
それはとても有難いことで、滅多なことではキャンセルなど出来ない。
それ故、グミの死に目にも会えないと覚悟したのだ。
ボクはある期間、そして昔ほどでもないが今も、ずっとグミを傍にして生きている。
だが真希ナルセが必要とされているなら、そこに出向かなければならない。
ボクがグミにやるべきことは、感傷的発露ではなく、ボクにしかやれない即時性ある決断や作業だ。
そこで目が曇ってはいけない。
もう発作は起きていないのだから。ボクは既に使えるだけの時間をグミに費やしたのだから。
これからは分担して事に当たる。それはマキナル・フィールズを結成した時からの絶対法則で、これからボクらが存続していく為、必要なことなのだ。
検査の日、ボクとヒロさんがグミを連れて行った。
朝一番でまず注射をし、一旦帰宅。数時間後、組織を取って検査するというスケジュールだった。
グミは最初の注射ですっかり萎縮し、口から真っ直ぐに涎を垂らした。
組織を取る為に再度病院入り。グミは背中側面の毛を刈り取られ、そこから二方向に針を刺され成分を抜かれていった。
最近のグミや銀次郎を見れば否応なしに分かる。そう遠くない別れを覚悟しなければならない。
生きていくというのは、誰しも等しく死に近づいていくということ。
体力の衰え、以前取れていたはずのコミニュケーション不全、そんなことを発見していく毎日があった。
夕方、病院に電話。簡易結果だが脂肪腫で放置してよいものだと聞く。
ボクは大きな安堵をするでもなく、それを受け止めた。
この世の中にはもっと大変な思いをしている飼い主さんが沢山いる。
ボクたちは運が良かっただけだ。
それを感じながら、この後も粛々と生きていく。
次には真逆の結果かもしれない。
それでも、その時も同じように、淡々と受け止めなければならない。
そしてグミを不安にさせないよう、いや、むしろ楽しい日々の中で、送ってやらなければならない。
その時のために、もっとみんなで強くならなければならない。
喜び過ぎないように
悲しみ過ぎないように
例え残り僅かでも
ひねもす君とともに
これは中原中也の詩から派生させて書いた真希ナルセの曲「きみとともに」の詞だ。
「これから」
酷くショックを受けたのだろう。数日経ってもグミの食欲は戻らなかった。
ボクたちは寄ってたかって、美味しいふりかけをかけたり、声を掛けて鼓舞しながら、グミの食事に付き添った。
それが功を奏したのか、朝も夜もほぼ平らげてくれるまでに回復していった。
幸いにも天候の良い日が続いた。
それで少しの時間でもグミを連れ出し、外の匂いを感じさせた。
すると本当に珍しいことだが、最近では毎日外に出たがるのだ。
──こんな事は数年来、なかった。
グミは人間一人との散歩では一歩も歩かない。
昔は何キロも歩いてくれた。何故そうなったか誰にも分からない。
ともかくグミは人間二人以上と散歩に行く。
そして一人が先行して歩いていくと(大抵ボクだ)、安心して付いてくるのだ。
お気に入りの芝生がある。
最後はそこに連れていってゴロゴロしてもらうルーティンだ。
本当はグミは腰が悪いから、しないほうが良いのだろう。
でもボクたちは好きにさせている。本当にしたいことを存分にしてもらおうと思っている。
この誕生日、これが毎年書いてきたこの慣習の最後となるかもしれない。
そう思い、心して今年の銀次郎とグミのテキストを献辞した。
一方で、こんな風に(いつも最後だと思って)毎年を過ごせるなら、こんな幸せは他にない。
思えばボクとグミは、いつでもこんなではなかったか。
普通ではないことが起き、右往左往する。
これで最期かと疑う。
運良く助かって、普段の生活の有り難みが身に染みる。
日常が多幸感に満ちる。
いつくるか分からない最後の予感に、真剣に生きるようになる。
これがグミにも、ボク自身にも当てはまる。
でもこの体験は人生に「損をした」というのとは少し違うようだ。
むしろ吊橋効果のように、ボクたちの関係性も、心の強度も、より確かなものにさせていった気がする。
コロナ禍の今も同じことではないか。
もしかしたら、もうこれでこの人とは会えないかもしれない、そんな危うさがある。
これまでになかった緊張感と死生観を皆が持つようになった。
制限が加わって、改めて日常の尊さに気づいた。
ならば、アフターコロナが訪れたなら、これをくぐり抜けた人々はきっとみんな強くなっているのでは。
前より強固な関係性が築けるのでは。
そう信じてみたい。
正直にいうと、脆弱な人生で構わないと思っていた。
負け犬みたいなやり方が、むしろカッコいいとさえ思っていた。
自分さえ何かを成し遂げられれば、後はどうでもよかった。
けれど守るものができた時、自分の都合より大切な存在がある時、強くならなければ守れないのだと気づく。
一緒に倒れていくわけにいかない。
だから辛いけれど、みんなで強く、優しく。
グミ。
キミがぼんやりとボケていっても全然構わない。
歩けなくなっても、用を足せなくなっても構わない。
夜鳴きしたって、ボクたちが分からなくなって吠えかかっても構わない。
そんなことはどうにでもする。
キミは若い時から大変な思いをして、あんなに大好きだった遠出も、銀次郎とのひと時もなくなってしまったのだから。
これからどんなにボクらを困らせたって、嫌な臭いを放ったって、記憶が混濁したって、気に病む事はない。
ここまで生きられた。それは即ち、ボクたちが勝利した証なのだから。
だからボクはあと何回でもこの11月5日に、キミを祝う。
いつものこの部屋の過去何年か前にタイムリープして凱旋する。
そこで大いに誇ろう。ずっと一緒に。
誕生日おめでとう、もう一人のボク、大切なグミ。
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