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拝啓、お局様

今日はお局様について書きたいと思います。

まずお局の定義から。「お局様は、ベテランの職場を取り仕切る女性に対して使われ、「いじわる」「口うるさい」というネガティブな意味を含みます。 「お局」は、もともと、江戸時代の大奥における女官を指し、悪い意味はありませんでした。」(出典:心理カウンセラー高見綾さん(マイナビウーマン)2015/06/18記事より)

みなさんの周りにはお局様はいらっしゃいますか。今日もお局様はご自身の職場で、活躍されていることでしょう。かつて、私が社会で働き始めたころ(17年ほど前)、お局らしき人はもちろん職場におり、私はその存在を大変恐れておりました。でも外資系広告代理店だったので、とても仕事のできるかっこよいお局様でございました。ピーチ・ジョンにもお局らしき人はおられました。あまり直接仕事はしていませんでしたが、お局様として恐れられていました。今の職場には、、、あまり思い当たりません。え!私だったりして!!!笑 その可能性もありますが。肌で感じることとして、お局人口というのは、日本から少しずつ減っていると思うのは私だけでしょうか。というか、彼女たちの居場所がなくなってきているような気もするのです。

私が新卒で社会人になった2003年頃は、ちょうど酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』という書籍が大流行した時でした。その中に書かれている「イヤ汁」という表現が、お局様に当てはめた時に妙にじっくりときたことを覚えています。Google検索しましたら出てきました。17年ぶりに再会する言葉、「イヤ汁とは、欲求不満とかあがきとか言い訳とか嫉妬といったものがドロドロまざった上で発酵することによって滴るものです。(『負け犬の遠吠え』 p.130-131)」私は当時その言葉を、お局先輩や、なんかちょっと怖い雰囲気のある女性に当てはめることで、ちょっと安心感を得ていました。なんだか得体の知れない怖さも、定義付ければ少し落ち着くという心理だったのかしら。

中学から女子校育ちで、女性の多い職場を経験している女子社会経験値は少し高めな私は、お局の見極めはたぶん得意は方です。そしてお局という言葉ってネガティブな意味で使われがちですが、善意の塊のお局様もいらっしゃるように思います。

「善意のお局」。それは善意のみでできたお局様でございます。後輩が失敗しないように口うるさいですが教えてあげます。細かいので嫌われてしまうかもしれませんが、真に後輩のことを考えてあげるモチベーションが「善」のタイプです。善意のお局は、別名で「不器用お局様」とも呼んでよいかと。なぜなら単に世話好きのタイプだったらお局というネガティブな呼び方では呼ばれないはず。そこにちょっとしたウザさだったりを感じさせるからお局と呼ばれるわけです。よって「不器用お局」。良い人なんですよ!相手に与える印象とかを計算したりできない!しない!でも後輩のことを考えてあげているんです!

それ以外の普通のお局様は、どこかで「自分の方が知っている」とか「自分の経験が上だ」という自信からくるマウンティングがあったり、小娘に負けてたまるか!という嫉妬まじりの競争心があったりします。きっと、とても臆病で居場所を脅かされることへの防御反応により、攻撃姿勢に出てしまったりもするのでしょう。

要はとても感情的な生き物なのです。(って、私が何を偉そうに言うか、でも言う) 感情的であることから、若干理性に欠けるため、どんどん洗練してくる組織体には居場所がなくなって来てしまうのでしょう。。なんだか書いているうちに、ちょっと寂しい気もしてきました。お局生存の危機です。もしかするとあと十年もすれば、お局という言葉も消えるのかもしれません。一方で、お局様がもたらす良いところもあるように感じています。みんながその存在を疎ましく思うので、そこに団結意識だったり、傷をなめ合う友情すら誕生したりもあるでしょう。仮説ですが、小娘陰謀説というのも考えられます。実際に仕事が良くできるお局様のせいで自分のキャリアが頭打ちになっている小娘がいたとして、彼女はそのキャリアをどうにかするために、「お局」という皆が嫌悪する表現でその人物を型にはめることで、自分の組織での価値を確かなものにしていくという説。ああ、怖い。

昭和の街中にいたおせっかいおばちゃんと同じように、お局様という職場の風物詩がなくなってしまうのも、ちょっと切ない気がする令和2年夏の終わりの夜でした。



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