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父の世界1

私の父、正光はとても変わり者である。親戚には、その面白さで人気の父であるが、一番近くにいる母は、そんな父にニコニコしたり、イライラしたりを繰り返している。

父は私、つまり娘に対して父の威厳的なものを振りかざしたことは一度もない。それどころか、「親的発言」をしたことはない。父はいつだってフラットで、それは私たち子供にもそうであるし、すべての人類、動物、虫、植物、石ころに対しても平等な心を持っている。それはとても良いのであるが、父には家の中と外の区別がない。全身泥だらけで、「マキ、見てごらん!今日はこんなにたくさんの収穫があったよ!」と畑から、様々な野菜を引っ提げて、最高のスマイルで家に入ってくる。私の隣にはそれを見て、引きつった顔の母。「パパ!泥!」と言うと、やっと自分についた泥に気が付くという状況だ。そんな父の奇行を今日は列挙してしまおう。

奇行① なんとか流星群というのが流れる日だ、ということは朝のニュースで見て知っていた。当時私は高校生。部活で遅くなり、暗い道を足早に帰ると、家の前に人が倒れている!一瞬息が止まるかと思った。多分止まった。どうしよう!救急車!と思ったら、倒れていたのは父だった。「パパ!」と駆け寄ると、「マキも来るか~」というのんきな声。そう、父は何のことはない、流星群を見るために道路に横たわっていたのである。車がきてもおかしくはない道路に。こういう時に父を責めると、怒られた少年のようにとても悲しい顔をすることは小さい時から知っていた。その後も何度も、このような場面に遭遇する。なんとか流星群の日は、父が車にひかれないことを祈るのだ。

奇行② また怒られている。父が母に怒られている。おそらく、また泥んこで家に入ったり、ゴミを捨てなかったり、山から帰ったままの状態でベッドに横になったりしたのだろう。怒られている時の父は、ある一点を見つめている。部屋の中にある、さっき山から採ってきた美しくて素朴な花である。いつも父は怒られている間、目を細めて、美しいもの、または飼っている猫を見ている。父は自分を癒す存在をじっと見つめると、怒られても消耗しないのだ。こうなると消耗していくのは母である。内容が耳に入ったか、心に収まったかは別として、母の話が終わるとすごすごと退散していくのである。母、お疲れ!

奇行③ 今度は石ころだ。父は常に何かを収集している。彼がその時にブームのものを。苔→竹→石→ヨモギ、、、 キノコと山菜はもはや殿堂入りしている。母のストレスは、おそらく毎年秋に最高レベルに達するのではないか。なぜなら秋は収穫の秋だからである。父は収穫、収集したものを、そのまま玄関に置いたまま二度と触らなかったり、リビングのテーブルに放置したり、ということが多々ある。秋はほぼ毎日だ。収集すると、どうやら満足するようなのである。今回の石ころブームである。ある日、実家に帰省すると、玄関の前の父専用の謎の収集物を置くテーブルに、石が無数に置いてあった。「パパ、この石なに!?」と聞くと、父は、その石はものすごく特別なものだと力説する。「マキ、これはな、たぶん旧石器時代の石なんだ、ここを持ってごらん」と私の石を持たせる。確かに、人の手の形にしっくりくるような形がほんのりついている気もするし、自然にそのような形になったようにも思える。そうなると次に何が起こるかというと、家に「旧石器時代の本」が急激に増える始末である。

奇行は山のようにあるのでまた別に書きたいが、わたしが人生で悩んだ時に話したくなるのは父である。父は一切の否定をしない。無理に励ましたりもせず、大抵宇宙や自然の話を始める。宇宙の長い歴史を線で引いたとすると、今の我々が生きている時代は、点にもならないくらい短くて、その中で我々の一生はどれほどちっぽけで、更には今悩んでいるマキの悩みを考えてごらん、と来る。色々突っ込みたいが、細い目をさらに細めて穏やかに語る父を見ていると、本当にどうでも良くなるから不思議だ。ラブユー❤️

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