ミニマリストと「捨て」のバランス

はじめに

ミニマリストと言えば、「何も持っていない人」、「何でも捨てる人」というイメージが世の中に先行しがちだと思います。

人の数だけその暮らしぶりがあるように、何を所持して、何を所持しないかは、まさに人それぞれだと思います。


ミニマリストと所有

人は生きている以上、生きる為には何かしらのモノを所有する事が伴ってきます。

その物量が人によって、多いのか?少ないのか?が違ってくる訳ですが、少なからず絶対にモノを所有します。

ミニマリスト界では、所有するモノの量が少なければ少ない方がいいとされていますが、果たしてそうなのでしょうか?

ミニマリストは、あくまでも生きていく「手段」であって「目的」ではありません。

モノを少なく所有する事で、生活を送る事が自体が不便になったりするようでは本末転倒。

モノも、多過ぎず少な過ぎない「適量」を持つ事が大事だと言えそうです。

モノの量「最適解」とは?

では、そのモノの所有の量についてですが、最適解はあるのでしょうか?

所有するモノは人それぞれであり、とても難しい課題だと思いますが「あったら便利!」は「なくても大丈夫!」という事を念頭に置いておくといいでしょう。

掃除ロボットや全自動洗濯乾燥機、iPhoneやスマホ等の時間を生み出して生活をより便利に、より豊かにしてくれるモノは積極的に取り入れる等を基準に考えていくといいでしょう。

逆に、それ以外のモノは処分の対象になります。

処分の方法

処分する方法ですが、まずモノを処分してしまう前に、一時的に対象のモノを箱に入れて1カ月間、そのモノがない生活をしてみます。

冠婚葬祭や季節の行事の用品を除くモノで、1カ月間1度も出して使う事がなかったら、今後も使う見込みがないので処分の対象です。

「所有」と「捨て」のバランス

モノの所有量の「最適解」は、人それぞれに違うのでどれが「正解」だとは簡単に言えるものではありません。

多くのモノを所有によって、メンテナンスに時間を取られ過ぎて疲弊しているのは、モノの所有量が多過ぎるからと言えるでしょう。

逆に、モノを所有しない事によって家事に時間を取られるというのは本末転倒です。

例えば、大家族にも関わらず洗濯機を所有しない家庭があるとして、洗濯という家事に時間を大幅に割いてしまうといった例がそのような感じだと思います。

この場合は、「持たなさ過ぎる」事による弊害が、「洗濯」という事案に表れてしまっているからです。

単身や少人数のご家庭では、洗濯機は所有せず、手洗いの方が早い、楽だという人もいるかと思いますが、その場合と大家族の場合とは全然違います。

あくまでも、モノの所有量の「最適解」は、その人、そのご家庭、ライフスタイルによって違うという事です。

おわりに

今まで、「持たない暮らし」がいかに快適かをお伝えする記事が多かったように思いますが、今回は「持たなさ過ぎる暮らし」によって起こる弊害について焦点を当ててみました。

東北の言葉で「吾妻いいお湯」という言葉があるそうです。我が妻が入れてくれたように、「いいお湯加減」のお風呂のことを言うそうです。

「いいお湯加減」とは、ぬるくてもいけないし、熱ければいいものでもない。

丁度良い塩梅のお湯加減という意味です。

その言葉にあるように、ミニマリストも「持ち過ぎる」のも「持たなさ過ぎる」のも、どちらにも弊害があります。

その事を理解した上で、人それぞれのミニマリズム、モノの所有量の「最適解」を導き出せたらいいなと思っています。


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