最期の川
はじめに
皆さん、最期の川を渡る時のイメージをした事がありますか?
この記事を読んで下さっている方は、若い方かも知れませんし、そうでないかも知れません。
ちなみに、私は40代後半に差し掛かっている年代で、時々、老前整理や生前整理等の言葉も気になる歳になってきました。
人間はこの世に生を受けた時から、その借り物の命をいつかお浄土に返さなければいけない定めなのです。
そういった意味でも、誰しもが「死」という現実から切り離して生きて行く訳にはいきません。
誰しもが通るであろう、いつか訪れるであろうその時...。
皆さんも、愛する人とこの世に別れを告げ、最期の川を渡って行くのでしょう。
”To lives to die" 死に様が生き様
私達誰もが経験するであろう死、その時は生きている限り必ず訪れ、逃れられない運命なのです。
”To lives to die" 生きる事は死ぬ事だと、どこかの外国のロッカーが言ったそうです。
日本語にすれば、死に様が生き様とも言えるのではないでしょうか?
私は、常々、最期の川を渡る時をイメージして生活しています。
しかしながら、それは決してネガティブな感情ではなく、もっと明るくて美しいポジティヴな感情である事も付け加えさせて下さい。
私達人間は、最期の川を渡る時、この世からあの世へ何も持ってはいけません。
それと同時に、この世であなたが残した荷物を片付けないといけない人が出てくる事でしょう。
いつかは必ず訪れる「その時」の為にも、老前生理や生前整理を日頃から意識して捨て活に励みたいものですね。
遺品整理を大変にしない為にも
あなたが歳を取って亡くなるケースもあれば、突然の不慮の事故によってこの世を去る場合もあります。
いつ死んでしまっても恥ずかしくないように、不用品はゴミに出し、常に部屋を綺麗に整えておけば、誰も嫌な思いをしないで済むでしょう。
私が常に意識している事は、「その時」は急に訪れるという事です。
残された大切な人に大変な思いをさせない為にも、日頃から身辺整理をきちんと行い、見られて困るものは早々に処分し、写真等のデジタルデータも消去する等、日頃から備えておきましょう。
おわりに
見上げる空には煌めくアルデバラン、大切な人との思い出を次の世代に紡いでいく...。
最期の川を渡る時、生まれてきて良かった、そう呟けるそんな人生でありたい。
姿形見えなくても、目を閉じればスグ側にいるような、そんな木漏れ日ような存在に私はなりたい。
人生の終わりは決して悲しいものではなく、人生の卒業式のようなものできっともっと誇らしいものだと私は思う。
死に様が生き様、有終の美を飾れるように自分に恥じないような人生を私は歩んでいきたい。
この記事が皆さんのこれからの生きていくヒントとなれば嬉しいです。