建築事務所のいろいろ_黒川紀章
この世の中にはオーラのある人がいる。カリスマと呼ばれる人がいる。今までのボスや出会った有名建築家にもそんな人がたくさんいる。ビアルケも体内からビリビリと出てくる何かがものすごい。
でも、私にとってのその一番は、やはり黒川紀章をおいて他にはいない。アメリカの大学を卒業して帰国し、黒川紀章建築都市設計事務所に就職が決まった。彼は私にとっての最初のボスだった。とにかく彼のオーラ、カリスマ性はものすごかった。
所員は彼のことを「先生」と呼んだ。最初は「社長」だったのに、ある日「社長ではなく先生と呼ぶように。」と直筆で回覧板が回ってきてのだ。
事務所は東京青山にある赤坂御所の緑が見渡せる場所にあった。先生専用の個室は所員の大部屋から、多いときでは5-6人いる(いや、もっとか?)彼の秘書たちの部屋を挟み、まるで大奥の様な奥の奥にあった。先生の姿は見えないけれど、出社したと聞くと一気に緊張が走った。
初めての「先生打ち合わせ」を今でもはっきり覚えている。大会議室に図面を壁に貼り、模型を運び入れた。椅子があるのに誰も座る人はいない。姿勢を正して先生の登場を待った。スーツの後ろのポケットには三スケが刺さっている上司もいる。先生が登場すると、「先生、宜しくお願いします。」と深く頭をさげる。あんな緊張感のあるボスとの打ち合わせは、その後働いたどの事務所にもなかった。
時には先生の機嫌が強烈に悪い時もあり、そんな時は目の前の模型を破壊する時もあった。
打ち合わせの議事録は新人の仕事で、先生の言葉だけではなく、その時の先生の感情までも記録した。怒って言ったのか、笑っていたのか。これが後々重要になって来るのだ。
黒川紀章は20代でメタボリズム建築理論を提唱し、その若さで世界で活躍し「巨匠」と呼ばれた。右も左も分からない駆け出しの私には、本当の先生の姿というのは知る由もなかったけれど、私の印象ではカリスマやオーラを越えて、何か得体の知れない怪物のように思えた。所員もあまりのカリスマ性に、何か壊れ物にでも触るように先生に接している、と感じた。忘年会もわざわざ先生が東京にいない日を選んで開催された。(写真:チームXパリ会議にて。当時28歳。)
でも私は数少ない先生との対話で、もしかしたら本当はもっと所員とざっくばらんに話したいのではないかな?などと勝手な想像を膨らませた。きっと孤独な人なんだなと思った。偶然エレベーターで一緒になった時、なんだか私のような普通の人間と話すのが嬉しそうだった。
大学院に進学を決めたとき、先生に推薦状をお願いした。そんな時先生の講演があり、私が両親を連れて挨拶に出向くと、先生は私の両親に「娘さんはアメリカの大学院に行かれるのですね。」と言われた。びっくりした。多忙を極める巨匠がジュニアデザイナーの頼みを覚えていてくれたのだ。
こんなエピソードもある。秘書の一人にりんごを剥いてほしいと頼んだそうだ。その秘書は先生のためにうさぎの耳のように可愛らしく剥いて差し出すと、先生はとっても照れたように「これは食べられないなあ。」と言ったのだとか。
テクノロジーの急速な進化は、それを支える建築のサービスも同じである。いかに建築に柔軟性を持たせ未来の変化に対応させるのか、を考える機会が多く、黒川紀章たちが打ち出したメタボリズムの思考にたくさんのヒントを得ている。
つづく
PS:BIGは全事務所を先週シャットダウン、テレワークが始まりました。今のところそれぞれが楽しんで自分の働く環境を自宅で創り出しているようです。所員を感染から守ることはもとより、コミュニティの一員として収束に貢献できるよう、会社として出来ることをする、その姿勢が真摯に見られます。一方では、日本と同じ様にニューヨークでもトイレットペーパーや一部食料品の買占めが起こっています。週末のバーは事の重大性に気付いていない若者で賑わっていたり。。。
一日も早く日常が戻りますように。
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