前を向くのは眩しさか、静寂か。
”君も見ているだろう、この消えそうな三日月”
今日は三日月だ。
三日月とは、欠けていく月、満ちていく月、両方を表す言葉。
ちなみに、今日の三日月は満ちていく月、いわゆる上弦の月だ。
昔、お付き合いしていた人とよく夜のお散歩にでかけた。
正確には夜中まで続く作業の空腹にらーめんを食べに行っていただけ。
それでも夜のせいか、こっそりひっそり、特別感があった。
その時彼がしてくれたお話。
夕方の帰宅中に目の前にお母さんと男の子が手を繋いで歩いていた。
男の子は何度もこちらを振り返り、転びそうになる。
もちろん、お母さんに手を繋がれているから転ぶことはない。
「大丈夫。お月さまはちゃんとついてきてくれてるから。
前を向いて歩いて。」
男の子の後ろ、彼の頭上には綺麗なお月さまが出ていた。
空は繋がっている、というと
希望や輝かしい前向きさに励まされるけれど、
時には眩しすぎて目が眩んでしまう。
その点、見上げた空に光るお月さまは”静寂”だ。
そっと、見守ってくれる安心感がある。
お母さんが言うように、いつまでもただただそこにいてくれる。
空ほどの大きさも眩しさも、ない。
だからこそ、前を向ける。
明日をまっすぐ見れる。
きっと、どこかにいる大切な人も見てくれている。
冒頭の絢香の三日月の歌詞のように。
そういえば、”月が綺麗ですね”は”I love you"と訳される。
かの有名な夏目漱石先生の素敵な意訳である。
その月は満月だったのだろうか、それとも三日月だったのだろうか。
できたら、これから満ちていく上弦の三日月だったらいいな。
そう思って、今日も幸せにおやすみなさい。
◆今日の幸せ◆
見上げたら、そこに三日月があったこと。
三日月と目があったこと。
明日もただただ、前を向いて歩けること。