体は内を表す?
前回の記事にちょっと納得がいかないでいる私です。
まさか、あんな外見的要素が私の幸せを決めていたとは。
でも、ほんとにそうなのだろうか?
”外見的要素だけで決めている”という事実に納得がいかない。
そこで1つ仮説を立ててみた。
外見的要素からなにか別の要素を見出しているのではないか。
”名は体を表す”と言うように、外見は内面を表すものにはならないのだろうか?
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理想とする首元や腕、手・指、背中のイメージから細マッチョな人が容易に想像つくと思う。
まさにそうだ。理想の人は細マッチョ。
綾野剛程の大きい筋肉はなくとも松坂桃李のような均整のとれた肉体が好ましい。
私はだらしない人が苦手だ。
お金にも時間にも人間関係にも、自分自身にも。
”清潔感”と言えば聞こえはいいが、それは一般社会人は標準装備しておいてほしいもので
ここで言う”だらしなくない自分自身”とは体型を意味している。
鍛え上げられた筋肉が好き、腹筋はシックスパックじゃないと、なんてことを言っている訳ではない。
過剰な贅肉を讃えている体(所謂、メタボ)が苦手なのだ。
その体から全体的なだらしなさを感じてしまう。
こんなことを書くと、私が激しく完璧な女性のように聞こえてしまうのが恐ろしいが、
週3で大好きなビールをたらふく飲んでも大丈夫な程度には食・運動を大事にしている。人に求めるからには自分自身から、である。
1つ目の理想:細マッチョ
・だらしなくない人
・自分に節制ができる人
小首を傾げてこちらをみおろす優しい眼差しーこれには2つ意味がある。
1.背の高さ
こちらを見下ろすためには、ある程度の身長が必要だ。
背の高さなんてまんま外見的印象ではないかと言われてしまいそうだが、私自身もそこそこに背がある。
合わせて4月生まれで昔から頼られることが多かった。
大人からも同い年の子供からも。
そのせいか、自分よりも背が大きい男性でないと甘えることができない。
これについては改善したいと思うのだが、刷り込みが激しくてなかなか難しい上に
自分よりも背が低いことを気にされる男性も多い。
そうなるとこちらの都合だけではなんともしがたい。悲しい。
2.思いやり
思いやりについては言わずもがな、好みのタイプは?と聞かれて過半数の人が挙げる”優しい人”の意である。
それが行動として出てくるのが、一緒に歩いた時のこちらの見方だ。
目だけでこちらを向く人は多いが、顔をこちらに向け且つ目を見て話そうとする人は少ない。
ここに私は安心感を覚える。
ただし、体ごと来られると前方不注意が気になったり、
横歩きになる姿があまりかっこいいものではないのでぜひとも体は前で。
男性陣だけでなく、女性陣もぜひ試してほしい。
された方は無意識に安心感に包まれると思う。
”ちゃんと聞いてるよ”という声もなんだか聞こえてきそうな、そんな気がする。
2つ目の理想:小首を傾げて優しい眼差し
・背の高い人
・思いやりのある人
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どうだろうか。
こうしてみると外見的要素ではなかったと納得できる気がして来ないだろうか?
私は一安心している。
私は外見だけで人を好きになっていた訳ではなかった…!
まぁもちろん、納得できただけで、結婚へ近づいた訳ではない。
それとこれとは別の話である。当然だ。
ただこうやってみると、自分の理想はとてもシンプルで、割とどこにでもいる男性なように思う。
こう思えることが出会いの幅をさらに広げることに繋がり、
大きな収穫(=結婚)となるのだ、と思う。
大きな収穫が出来た時はまたこの場で嬉々と綴る所存だ。
それまでしばしお待ちを。