信仰と人
教会に行って感じた話。
先日知り合いから紹介され、教会の礼拝へ参加した。
ノンクリスチャンだが、出掛け先に教会があると目がいき、熱心に祈る人たちを見ては色々と知りたい想いが強くなったのだ。
よく知らないこと、それが宗教となると無宗教者が多い日本では私を含め一歩下がってみている節がある。
なぜ、人は祈るのか。
なぜ、教えを乞うのか。
恥ずかしながら、よくわからないまま大人になってしまった。
礼拝での説教を聴いたからといって突然「神はすぐそばにいる!神の御心のままに!神を讃えよ!」なんて心変わりはしない。
しかし説教を聴き、祈り、涙する人々を見てそこには確固たる信仰と心の支えがある と体感した。
人は迷い、悲しみ、憎しみ、悔い、喜びを分かち合う。
手をかたく結び、涙する人の中にはとてつもない苦しみや悲しみが溢れてしまったのかもしれない。
真っ暗な道を1人心許無く歩かざるを得ない時、道を照らす光があることは希望だ。
何かを悔いた時、赦される場と自分の軸を支えてくれるものがあれば立ち直れることもある。
教えが迷いを溶かし思考を広げてくれることもある。
死への恐れや苦しみの本質に触れ受け入れる支えになることもある。
生を受けた私達は生きている過程の中で、寄り添い・問い・諭し・赦し・導いてくれるものが欲しくなる。
誰にでも平等に、それらを享受できるよう手を差し伸べる存在が神と信仰なのかもしれない。
小さなチャペルの隅で、賛美歌を聴きながらそんなことをふと思った。
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