ふっと洗脳に気づいて怖くなった件
「ベースにおそれがあるからなんですよね。」
何度も聞いたyoutubeのお金のセミナーの一コマだったけど、あらためてこの言葉にドキッとした。
ベースにおそれ・・・たしかに。
お金は無限、時間は有限、と豊かな人たちは言うけど、私はまだなかなか腑に落ちていない。
時間=命は有限。なのに、時間を浪費することって恐れない。
でもお金を浪費することって恐れる。漠然と。
時間が(=命が)無くなっているって、実感ないというか、生きること自体が死に近づいているし。限りが見えない(知り得ない)からかな。
お金は限りが見えている。と勘違いしているのかも。預金残高とかで。
でも、残高がゼロになっても今の時代は借りられるし、すぐに生活が困窮することがない。
でも私はお金が尽きることを漠然とおそれていた。根底で。
お金が尽きたらどうなるの?
電気やガスが止められる?
アパートを追い出される?
ホームレスになっちゃう?
食べるものがなくなる?
そうなったことある?
家族が不幸になる?
みじめになる?
ほんとにそう?
これらの状況のイメージって、実際そうなった人がいたというより、いろんな媒体で見聞きした中でできてきた、ある種洗脳されたイメージだなと思った。
それはそれは静かに確かに、意識深くにこびりついているんだと思った。
洗脳ってこういうことか、と。
だって、、、過去に無茶な使い方をしたころがあって、夫の給料全部を生活費以外に使ってしまったことがあったけど、あの頃も今も変わらず生きている。変わらず暮らしてた。
お金に対する潜在意識の設定を変える方法として、収入がゼロになった時にどうやって暮らすか?のシミュレーションをリアルにするワークを以前にやったことがある。
それでも上記の状況にはならずに暮らせるシミュレーションができた。
実家に帰るとか、空き家になってる祖父母の家に住むとかできる。
仕事はパートでも何でもやれば食べていける、きっと。
だからお金が尽きても死なないし、暮らしていけるのだ。
それでもまだ、時間よりお金を使うことに、おそれを感じている。
すごい洗脳。
お金に価値を持たせすぎてる価値観の中にどっぷり生きてるんだな、と、なんだか驚愕した。
なんだか、だれかの術中にまんまとはまっている気がした。
抜け出したいな。