やりたくない、の理由
自分の人生を生きる上で、大切なこと。
やりたいことをやる。
やりたくないことをやめる。
好きかどうか?が大事だと思ってきたけど、どうもそれだけではないみたい。
権利か義務か
権利とは、やるのもやめるのも自分で決められるということ。
義務とは、そうしなければいけないというもの。
これを自分の行動選択の動機に見た時、「やらなければいけない」「やめなければいけない」という感覚で決めるということは、責任が自分にないエネルギーになる。
私としてはAで行きたいけど、どうしてもBしか選べないのよ。
そういう言動は、よく聞く。
「私はやりたくないけど、私がやらないと家族が困るから」とか。
この矛盾した言動が、ものすごく嫌いだったのだけど、
それだけ反応するってことは、私の中にくすぶっていたということだった。
働くこと、お金を得ること
これが、生きていくための「義務」のように感じていた。
生きるためには働いてお金を得ないといけない。
その「義務」にずっと心中で反旗を翻したようです。長すぎる反抗期?厨二病?
とにかく働くことがイヤでイヤでw
お金を稼がないといけないって縛りが苦しくて苦しくて。
誰も縛ってないのに。
義務から権利へ
とあるワークで、
意識の中ですが、稼がないといけない呪縛から解き放たれた感覚を体感しました。
それから少しずつ少しずつ、日々過ごす中で、
稼がないといけない、が、
稼ぐの楽しい、に変わってきてます。
稼ぐの、というより、働くのが。
「好きでこの活動に加わっている」と言う意識が増してきてます。
多分、、、
自分の選択にずっと✖ばかりつけてきたところから
自分の選択に「いいね」を付けられるようになってきたんだと思います。
ずっと私のやることなすこと決めることに✖を付けていたのは、私でした。
でもうわべでは応援してるふりしてました。
自分との関係性が悪すぎましたね。自分に嘘をつきすぎた。そりゃ、他人を信じられないはずです。家族も。
そんな自分との仲直りに夢中で、ママ友LINEに無関心極まりない夜でした。
ちゃんと関心ないことに気づけたのもまた、嬉しかったりしまして。