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きっとあれが、インナービーイングってことで。


明けましておめでとうございます。


12/31に、ラジオ、配信しました。

なんかもう、話が尽きなくて、
55:55すぎまで話したよ。


その中で話したことをば、もう少し。


あの時、逝かなかった私こそがインナービーイングかと。


きっと、魂とかインナービーイングとかっていう所と一致した時にやることって

努力とかモチベーションとか、

そういう
「ふんっ!」と力が入る感じでなく、


気がつけば、通過してた、、、

みたいな、

振り返れば、そこに結果があった、

的なことなのじゃないかな?と思った。



あの日の私は、
人生終わろうと外に飛び出したのに、

(今、高いところに登ったら、一歩踏み出しちゃうよな。)と感じながら、

なぜか上らないようにしなきゃ、とどこかで思いながら、

それこそがインナービーイングだった気がする。


地を這うような気持ちで、

バスに乗って、電車に乗って、

仲人をしてくださった方の元に辿り着いてたんだ。


「今日は帰りなさい。切羽詰まったら、また来なさい。」みたいなこと言われて、

(今がそうなんだけど?)と、モヤモヤしながら帰ったんだ。


でも、今思うとそれもよかったのかも。

私が決めるしかないことだった。


あの時の私には、
もうなんの(エゴ的な)力もなかった。


母としての責任とか、
大人としての分別とか、
そんなもの
全部放り出して。

前向きに生きるとか、くそくらえで。



そうなってようやく、
握りしめていた『力み』がなくなって、
インナービーイングと一致したのかもしれない。


情けない姿で帰った私は、泥のように寝た。



あの時、
まだ生きようという意識はなかったけど、

まだ生きたいって突き動かした力が、
インナービーイングだったのな、って最近思ったんだ。

って話をした。




それは意識してできるものでもなくて、

自動操縦的な感じだったりもして。

でも寄り添ってるような。


まだうまく感覚は掴めないけど、

引き寄せって、波動って、

そこと共鳴するんじゃないな。


瞑想って、その距離が近くなる気がした。



20年経って

あの時の私に、
生きててくれてありがとう、と

ようやく、今、感謝できるくらいには、
幸せになれた。


離れて暮らす息子からのメッセージがやさしくて、泣けるくらいの親子になれた。

生きててよかった。



アラインする

インナービーイングは、
生きよう
と動いてくれている。

そういう『動き』と
ただ響いていればいい。


願わくば、
どん底でようやく、、、ではなくて、

普段の生活で、いい気分の中で。



あの日の私の「生きたい」は、まるで、
ニコ・ロビンの叫びだった。

泣いたよね〜


つまり
消えたい、は、
生きたい、なんだと実感した。

私を生きたい。だ。


でも、毎回、そこまで行かないと気づけないようでは、苦しいよね。


素直に感じると響き合ってく

寒いと感じたり、
暑いと感じたり、
嬉しく思ったり、
悲しく思ったり、

その一つ一つを
ただ丁寧に、正直に感じていけば、

ちゃんと繋がるはずなんだ。



感じることをおざなりにしなければ、

いい選択ができる。

勝手に。してくれる。


自分の感覚に
まかせていいんだ。


誰の役にも立とうとしなくてもいいし、
欲しいものが買えなくてもいい。

そんなことは、些細なことで。


その胸に、安心感が広がっているのか?

深く息が吸えているのか?

人生で大切なことって、
そういう根源的なことでいいんだと思う。

私はね。



深く息が吸えてるなら、

雨風しのげて、
水も電気も問題なくて、
地面は揺れてなくて、
風が平和に吹いて、
太陽も月もちゃんと巡って、、、

この上なく
平和な環境にいられてるって証拠だ。

そこに立ち返られる私でありたいなと思う。


そう思えるようになったのは、
どん底でなんとか踏みとどまって、
命があるからこそだよな。

すべての出来事に、
全力で、悩んで、苦しんで、
それでも選択してきた私と私のおかげだ。


この豊かさから、
全てを始めてみようと思う、
2025年であります。

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