
おいしい、は波動アガる
旬。
とれたて。
なんておいしいんでしょう!
今日も、
もらったすいか🍉
おいしかったなぁ〜
の話しです。笑
食にあまり関心がなかった私にとって、
大きな変化のひとつが、
『不食』という概念。
それは、食べずに生きてる方々がいるという事実。
そのことが、
私を、
ある概念、思考から
パーン
と解放してくれたのです。
それは、
『食べないといけない』
つまり
『栄養を摂らないといけない』
という縛りから。
少食で、
のんびり食べていた私。
噛む力、飲み込む力が弱くて、
人と同じ量を食べ終わるのに、
時間も労力もかかってしまっていたんだと思います。
そんな私にとって、
「早く食べなさい」
「残さず食べなさい」
と、
食べることは、
生きるためにやらなきゃいけない苦しいこと、
苦しい時間、
という観念で生きていたんだと思います。
全くの無自覚でしたが。
今思うと、です。
それが、
『食べても食べなくてもいい』
という概念に触れ、
それはもう晴れやかに!
思考や義務で食べることが
やめられたんですね。
①
食べなければいけない。
じゃあ何にする?
と、
②
食べたーい!
じゃ、作ろう!
この波動の違いたるや!
雲泥の差です。
そうやって、食べたいものばかりを食べていたら、
ふと買い物に行って野菜を取っているときに違和感を感じたんです。
(野菜も食べなきゃ)で選んでるな、と。
そして、それもやめていこうと思いました。
あくまで、
食べたかったら食べる、
栄養が、、、を一切気にせずに、食べようと決めたら、
野菜はもう自分ではほぼ選ばないで、
必要なものはやってくることにしよう、
もらった新鮮なものだけで、私の身体は大丈夫ってことにしよう、
と決まりました。
なので、たまーに、買い物に行ったときには、
すごく(おいしそ〜う)と思ったものだけを、ほんの少し買うことにしました。
あとは、大好きなパン屋さんのパンやクッキーやケーキといったお菓子、ポテチなどばかりを買います。
食べ物にお金を支払うのが、
とてもとても嬉しくなりました。
もちろん、食べるのも楽しくて嬉しくて、
そうしていたら、
『おいしい』の感じ方が格別なんです。
それはそれは、ボルテックス。
美味しいものを食べながら、
嫌なことを思うことは、
できなくなりました。
おいしい、が、とても幸せになったのです。
先日もらったのは
「実家で作っている」すいか。ミニトマトにナス。
大切な友人のご実家と聞いて、
そんなの、美味しくないわけがありません。
スーパーで売られているのとは、瑞々しさが全く違っていて、
ナスの香りがとてもフルーティーだったりして、もう、驚きます。
何十年も、食べることがちょっと苦しかった私は、それまでを取り戻すべく!?いただいた野菜をモリモリと食べています。
これがまた、よくもらうんだ。おいしいものを。
思えば、学生の頃も料理上手な友人が多く、
ママ友からもよく離乳食ももらったし、自分では作らないおかずも。
「〇〇ちゃんママのコロッケ、おいしいねー」と、息子と一緒になって喜んでたっけ。
息子は、小さい頃から給食もモリモリ、食べるのが好きに育ってくれたのが、とても嬉しかったです。
病気で休んでても、「オレのプリン、誰が食べたのかなぁ〜」と給食を気にしていました。笑
私と同じようにならなくて本当に良かった。
料理が億劫で仕方なかったのが、
今は楽しくなったのも、
義務感ではなくなったからかもしれません。
〇〇しないといけない、という義務感は、どうやら、かなり波動を下げるようです。
食べないといけない、
の次は、
働かないといけない、
からも、
本格的に抜け出そうと目論んでます。
結構、
『お金がもらえる趣味』とか
『ゲーム感覚』
は強くなりはしたけど、
まだまだ、遊びにできるんじゃないかな?と感じてますので。
遊んで暮らしたい。
遊んで暮らそう。
はっ!
息子が中学1年の家庭訪問で、
将来はなにになりたい?と訊かれ、
「遊んで暮らしたいです」
って言った。
あれは私の心の声でもあったのか!笑