山雅らしさとは

結局のところ、山雅らしさってなんだろう。と最近よく考えてしまう。

走り切ることだ、と言われたら、多分そうだと答えてしまう。

泥臭いプレーをやり切ることだ、とも言われたら、これもそうだと答えるだろう。

ただ、今の山雅が目指すサッカーとこれらの「山雅らしさ」は両立しづらい。というか、根本的には両立するけど表に出てきづらいと思う。

以前の山雅だったら「全員で守ってカウンター」という図式が選手・監督だけじゃなくサポの間でも描き出せていた。

けれども今は自分たちでボールを握る。崩す。

このサッカーは難しいと思う。自分たちで考えなくちゃいけない分、どうしてもプレーが遅く見える。ガムシャラさ、泥臭さみたいな要素が減る(かもしれない)。

先日のパルセイロの方が、ぶっちゃけやりたいサッカーを具体化できてたし見てて分かりやすかった。

そういう意味では、もっと「山雅が目指すサッカーがどんなものか」を知りたいし、その中でどう「山雅らしさ」が出てくるかを理解したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?