![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/151179427/rectangle_large_type_2_adc5c654511b794e5fe5c76443960276.png?width=1200)
ナチスに背いてユダヤ人を匿った市民たち〜コテンラジオを聴いて考えたこと
今年からコテンラジオを聞き始めました。とにかくどハマりしてますが、それはまた別の回で詳しく話できればと。
最近特に印象に残ったのはオスカー・シンドラーの回。
スティーブン・スピルバーグ監督・製作の名画『シンドラーのリスト』を見た方も多いのでは。戦争映画を数多く見てきた私も、あの死体焼却のシーンを初めて見た時は衝撃的でした。
ユダヤ人の遺体がベルトコンベアーに乗せられて、次々と焼却され、その遺灰が風に乗ってドイツ市民の暮らす街の上に降り注ぐ。いつもと変わらない日常と、異常な殺戮が繰り返される非日常が、こんなにも近くにある。そしてお互いはお互いの存在に気づかない。
いかに異常な事態が繰り広げられていたか、を実感する映画でした。かなりしんどい内容ですが、見たことがない人は一度見ていただきたい名画です。
(あの物哀しいテーマ曲も名作です。胸が締め付けられます。)
コテンラジオでは、映画の主人公であるオスカー・シンドラーを軸に話が展開されていましたが、その中である本が紹介されていました。
それが岡典子著『沈黙の勇者たち』。
ナチス体制下では、ユダヤ人を匿うということは、匿った人、またその家族さえも命を脅かされる危険がありました。
そんな中でも、ユダヤ人を匿い、逃す手助けをした人々がいたことが研究で明らかになっており、この本にも様々な事例が登場します。
興味深いのは、匿った人々にもいろいろな動機があったこと。隠れるユダヤ人からの金銭が欲しかった人、人道的立場から救った人、ユダヤ人に昔よくしてもらった恩を返したいと思った人。
印象深かったのは、助けられる側のユダヤ人も聖人君子だけではなかったというエピソード。
特権階級意識が手放せない老婦人が偽造身分証の職業欄に「清掃人」と書いてあるのにクレームをつけるのです。
結果、彼女はこの「清掃人」という肩書きによって命が助かるのですが、人は命を脅かされる事態に陥っても、職業差別や特権階級意識を手放せない、プライドを保ちたいというのが、どう考えたらよいのかなと、考えさせられました。
この人よりはまし、と思って自分を満足させたいのか、染みついた特権意識は簡単には手放せないのか、人間の業の深さを思い起こされました。
そのほかにも、偽造身分証づくりを組織していたフランツ・カウフマンというユダヤ人も登場します。彼はユダヤ人ですが、奥さんが影響力の大きいドイツ貴族出身で、自身もかつて政府の高官を務めていたことなどもあり、身分を保証されていたようです。しかし正義感から同胞を助け、結果ひょんなことから身分証づくりが露見し、処刑されてしまいます。
この偽造身分証づくりは『ヒトラーを欺いた黄色い星』でドキュメンタリー映画化されています。当時助かったユダヤ人たちのインタビュー映像が使われています。
一連の話を通じて考えたのが、この時代にもし自分が生きていたらどう行動したのかということでした。小心者なので見て見ぬふり、自分さえよければという行動をしてしまうのではと思い、恐くなりました。
同時に自分の身の回りの家族、同僚を思い浮かべ、この人ならどうするんだろうと考えました。この人は迷わず助けるんじゃないか、この人ならきっと何もしないだろうな、この人は見返りがあれば助けるのかななど、日頃の行いだけでもなんとなく想像できました。
コテンラジオでは善性の発動条件についても解説しています。
私は日頃自己中な人が急に正義感にかられて、命の危険がある危ない橋は渡らないだろうと思います。いかに日頃からの心持ち、本性が現れるかが、そういう究極の選択の場面なんではと感じました。
またドイツに占領されたポーランドでも、ユダヤ人の子供達をゲットーから助け出すという困難すぎるミッションを行ったポーランド人女性がいました。イレナ・センドラーです。
周りの同僚たち、そしてユダヤ人たちが次々捕まり、拷問を加えられる描写は、思わず言葉を失い、その中でどうしてこんな偉業が成し遂げられたのか不思議に思えるぐらいです。
彼女もついにナチスに捕えられ拷問を加えられますが、支援団体の工作により奇跡的に命をとりとめます。
しかし彼女は最後まで、救えなかった子供達のことを悔やんでいたそうです。
困難な時代には、人の醜さばかりが目についてしまいますが、そんな時代にも命をかけて他者を助けられる人がいたということは、人間を信じたいと思わせてくれます。