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~ワーキングマザーが白血病治療中に考え・感じたこと~時間は絞り出すものではなく、じょうろの水のように注ぐもの


「今日から、時間がありまくる生活が始まります」

忙しいことがディフォルトの毎日を過ごしている人は、突然こう告げられた、かなり戸惑うと思います。

私もその一人でした。

でも、ある日突然本当に「時間ありまくり生活」が始まったのです。

「時間ありまくりの入院生活」9か月を、実際に私がどう過ごしたか、書いてみようと思います。


毎朝6時過ぎに長女を起こし、まず中学受験塾の算数問題集をやらせる。その後、次女を起こし、二人に朝食を出す。小学校に子供達を送り出すまでの時間を使って、自分の身支度を済ませ、子供が出かけた後、まもなくして自分も出社。

会社では、通常業務、社内での複数打ち合わせ、外回りもこなし、17時半過ぎに退社。18時半前に帰宅して、子供達に夕食を食べさせ、その後、二人の宿題や習い事の練習をみる。二人をお風呂に入れて、10時前に寝付かせたら、2時間程度自分のため時間を過ごして、くたくたになりながら、休息。


ざっと言えば、入院前の毎日はこんな調子だった。自由時間は、移動時間、ランチ時間と子供が寝た後の時間のみ。毎日の歩数はだいたい8000歩ぐらい。


こんな生活を送っていた私が、急性白血病の治療のため急遽入院することになり、育児・家事・仕事をすることが出来なくなった。

病院での生活は、朝7時の起床とともに始まる。まず、自分で体重と熱を測り、血圧を測りに来た看護師さんに報告。朝食、昼食、夕食以外にやること言えば、検査や抗がん剤の投与。特に検査や治療が無い日は、シャワーを浴びる以外やることは無い。夜は、9時に消灯。消灯後も、各自電気スタンドをつけてベッドの上で起きていられるが、物音を立てることはできない。一日の歩数は、500歩を切る日が続いた。


抗がん剤は、悪い細胞をたたくと同時に、白血球もたたく。白血球数の低下は、免疫力の低下を意味するため、白血球数が回復しないと次の治療は開始できない。そのため、患者は白血球数が戻るのを何日もひたすら待つ。もちろん、感染症にかかった場合は、輸血をしたり、抗生剤の投与をしたり、と忙しくなる。しかし、白血球数が低下しても、体調が安定している時は、じっと時間をやり過ごすしかない。


「どうやって、時間を過ごそう……」


時間を効率的に使うかを、常に考えて生きてきた私だが、入院後、どう時間をつぶして生活するかを、真剣に考えなければならない状況に陥った。


「とにかく、一番時間のかかる方法を選ぼう」


それまでは、最短の動線を意識して動いてきた私だったが、最長ルートを考えてから動くようにした。例えば、外来棟でA検査を受けるように言われた場合、入院棟と外来棟の連絡通路は使わずに、まず入院棟の1階に降りて、曲がりくねったルートで外来棟に移り、別の階に移動して、さらに外来棟を歩いた。帰りは時間的に余裕があるので、さらに関係ないフロアまで移動して、上がったり下がったりしながら時間をかけて入院棟に戻った。


私は、体調が悪くない日は、共同スペースに出て、読書をしたり、音楽を聴きながらフィットネスバイクで運動したりするよう心掛けていた。そのため、スマフォ、PC、イヤフォン、雑誌などを病室から持っていく必要があったが、わざとそれらを個別に持ち込むようにした。病室から共同スペースの間を何度も行き来すると、時間もかかるし、運動にもなるので、一石二鳥だった。


また、入院前には絶対にやらなかったことにも、チャレンジした。お裁縫は大の苦手だが、手芸は作る喜びがあるし、作品を眺めたら、頑張って耐えた入院生活を思い出せるだろうと考え、刺繍をすることにした。中学生の頃、使っていた裁縫箱を持ってきてもらい、刺し子のコースターセットに取り掛かった。コースターを8枚仕上げたら、入院中にお世話になった友人へのお返しとして、髪留め制作に取り掛かり、30個近く刺し子刺繍の髪留めを作った。

9か月続いた「時間がありまくり生活」を耐え忍び、私は無事に退院した。だが、退院後、以前のような効率性を重視した生活に戻ったかといえば、否である。


第一に、以前のような身体にはすぐに戻らなかった。退院直後は、右手がひどい腱鞘炎になり、家事・育児を素早く行えなかった。退院後も、家での薬の投与は続いており、副作用もあった。そんな状態だったので、一日にこなせる用事のボリュームは、確実に減ってしまった。退院さえすれば、効率的に動ける生活が待っているかと思っていたので、正直私は、落胆した。


退院して一年になろうとした頃、コロナウィルスによる外出自粛生活が始まった。相変わらず薬による副作用は続いていたが、右手の腱鞘炎は治り、家事を大分自由にこなせるようになっていた。そこで、在宅時間を利用して、料理に勤しむことにした。

料理にはまり出すと、著名料理研究家によるレシピを試すようになった。時短料理をうたう料理研究家もいれば、昔ながらの調理方法を推奨する人もいる。そんな多くの料理研究家の中から、私が師匠と仰いだのは、アレンジ料理を一手間かけて作ることを提唱する、栗原はるみさんだった。


「同じ料理を作るため、より時間をかけること、イコール、時間の無駄ではないんだな」


栗原はるみさんのレシピは、面倒くさい工程が含まれていることが多い。でも、確実においしい料理が出来上がる。


スーパーで40円以下で買える、もやし。もやしのひげを1本1本取り除く。丁寧に処理したもやしを、高温でしゃきしゃきに炒め、塩コショウするだけで、ものすごくおいしい一品になる。もやしが、800円以上の一品に変身する。そう、40円で買ったもやしが、20倍の価値を持つようになる感覚だ。


時間はタスクをこなす際の「枠」だと思っていたが、料理を通じて、時間をかけることにより、ものの価値を増やすことが出来ることを実感した。まさに目から鱗の経験だった。


「あれ? 似たようなことが以前あったような気がする……」


入院中一生懸命、「潰していた」と思っていた時間が、実は白血病を治してくれてたことに、私は気が付いた。


病気は、治療と時間の掛け算で治すのだ。私の場合、時間をかけることにより、抗がん剤の効果を最大限に引き出し、かつ、繰り返し薬を投与して病気を治した。時間をかけず、薬のみで白血病を治すことはあり得なかった。


時間とは、治療や料理において、芽を育てるための、「じょうろの水」のようなものなのだ。



退院直後は、効率的な生活に戻れるか不安だった。しかし、今はあの生活には戻りたくない。もう、限られた時間内で、多くのタスクをこなすだけの生活はしないし、時短クッキングしか作れない生活もしたくない。また、白血病の再発防止のため、これからも「じょうろの水」を、治療を終えた身体に降り注ぎたい。


収入は減るかもしれない。
でも、時間をかければ20倍の価値を生み出せることも知ったので、以前よりは怖くない。


白血病の治療に、大きなコストを支払ったが、得たものも大きかった。
残りの人生、「じょうろの水」を使いながら生きていけるのだから。


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