2回の中学受験生伴奏から見えてきたもの ~闘病中と闘病後では景色の違った中学受験体験記~
「これでやっと、テキストや参考書が捨てられる。待ちに待ったこの日がやっと来たな」
次女の中学受験が無事に終わった2月某日。かなりのスペースを陣取っていた塾のテキスト、参考書や関連プリントを捨てるため、朝から廃棄物の仕分けを始めた。
「一気にいらなくなったテキスト類を捨てられるのは、マンション居住者の特権なのでは?」などと考えながらマンションのごみ捨て場と自宅を何往復もした足取りは、軽かった。
整理をしている最中、2020年に長女が中学受験をしたときに使った参考書やプリント類も出てきた。
「あの時から4年も経っているのか…今回は前回の中学受験とはいろいろと違ったな」
2回目の中学受験生の伴走を終えてみてしみじみと感じたのは、4年前とはだいぶ違う景色が見えたということ。トータル6年間にもおよんだ中学受験生伴奏生活に一区切りをつけるためにも、2回の受験を通じどう違うものが見えたのか振り返ってみたい。
2018年に急性リンパ性白血病を発症した私は、9ヵ月間入院し化学療法による治療を受けた。入院した時5年生だった長女は、母親不在の日常生活を送りながら塾に通い、宿題をこなしテストに向けた勉強を一人で行わなければならなかった。
「この冊子を見ても、どんなことを習っているのかよく分からないなあ」
入院中の私の手元にあるのは、塾が配布した年間学習計画が記載されている冊子だけだった。子供の宿題の丸つけが出来たら、各単元の理解度や・苦手な単元が分かったと思うが、それもかなわなかった。
私が退院したのは、塾では新6年生としての2か月が経っていた頃だった。「受験本番までまだ10ヵ月あるから、挽回できるはず」と当初は思っていたのだが、4教科の知識をインプットする5年生時に母親不在だったインパクトは予想以上に大きく、演習中心の6年生のカリキュラムでは苦戦を強いられた。母親不在の9か月をなんとか乗り越え、6年生になってもこつこつと勉強に励む長女を私は心から応援した。「こんな大変な経験をして頑張っている子はそう多くないよ。とにかく来年2月までは頑張ろうね。」と声がけし、不憫だなと思いながら長女の伴走を続けたことを覚えている。
2021年から本格的にスタートした次女の中学受験は、スタート時から全然違うものだった。長女と同じ塾に通ったので、カリキュラムやスケジュールが頭に入っていたし、宿題の進め方・月次テストの準備も要領を得ていて、すべてがスムーズだった。
一方で、次女の伴走の方が大変だと感じたこともある。我が家では父親が単身赴任をしている関係で、ウィークデーは私が2人の娘の子育てを100%担当している。無事に治療を終えた私は、2021年10月に復職した。そのため、朝から夕食時までの勤務と家事をこなしながらの中学受験生の伴奏は、てんてこ舞いの生活だった。長女が6年生の時は休職していたので、この仕事・家事・中学受験対応のジャグリング生活は初体験のものであった。
「在宅勤務ができなかったら、絶対に無理。コロナは大変だった。けれどその後の社会変化で、柔軟な働き方ができるようになったからジャグリング生活がなんとかこなせている…」そう思うと、もし私が白血病を発症しないままで毎日出勤しているワークスタイルであったら、果たして長女の6年生の時の伴走は可能だったのか?と疑問がわいてきたのを覚えている。
次女が受験生になったころには当たり前になっていた授業のオンライン動画配信も、私が白血病治療をしていた時に存在していたらどれだけ便利だっただろうと思ったものの1つ。子供が実際に受けている授業がみられるので、苦手単元については親が授業を確認してフォローすることが出来るし、子供も繰り返し授業動画が見られる。入院中でも動画が見られたらもっと具体的なアドバイスが与えられただろう。
塾の保護者会がオンラインになったのも、大きな助けだった。4教科の先生からの説明と全体総括のコメントとで保護者会は優に2時間を超える。勤務のある平日に通常保護者会は開催されるので、スケジュールをやりくりして参加するのが大変だ。オンラインであればいつでも見られるし、1.5倍速でも視聴が可能だ。先生が黒板に書いたメモをスマフォで撮影することもできて非常に便利。「入院中に保護者会がオンラインで視聴できたらよかったのに」と何度思ったことか。
白血病治療の直後にコロナが蔓延した際はびくびくしながら生活していたが、コロナ対応で塾のオンライン化が進んだのは、母親が仕事を持っている家庭や遠方から通っている生徒さんにとっては大きなことだと感じずにはいられない。私のように子供とともに長期間生活できないようなケースでは、学校・塾のオンライン化はかなり大きなメリットを与えてくれる。不謹慎ではあるが、「長女の時にポストコロナの環境だったら、違っただろうな」とつい考えてしまうことがある。
結論から言うと、次女は本人の実力と頑張りの結果受験した全ての学校から合格を勝ち取った。本人は大満足な結果で、無論親としてもうれしく思った。でも、受験終了後の私の疲弊は尋常じゃなかった。
それはなぜか?
2回目の受験なので塾のカリキュラム・スケジュールが頭に入っているため、次の展開が分かってしまい、常に先回りしていろいろとお膳立てしてしまう自分がいた。計画性を持って対応するぶん、子供がイメージ通りの行動や結果を出さないとストレスを感じてしまうことが非常に多かった。また、「受験2回目のアドバンテージ」と母親が丸3年間伴走したため、次女の頑張りを素直に認めなかったこともあった。これは私の反省ポイントではあるが、長女が受験生であった時を思い出すといまでも気の毒に思うし、あの困難な時期を乗り越えた長女を褒めてやりたいと考えてしまうのも事実だ。
「結果はどうであれ、新しい経験を試行錯誤しながら子供と模索して進んでいくぐらいの方がいいのかもしれない・・・」
数年後、長女は大学受験を経験することになる。でも、こう考えればそれほど怖くないし、多少はリラックスして臨めるだろう。
「母親が白血病治療のため入院して長期間にわたり十分な伴走ができず、それもあって長女は6年生で苦しんだけど、1回目の受験もそう悪くなかったな」と今は思う。2回の中学受験をしてみて、改めて私は結果だけでなくプロセスから得るものも重視する人間だったことを確認した。
中学校・高校と充実した生活を送っている姉を見ていたこともあり、次女は姉と同じ学校への進学を決めた。偏差値を基準にするのではなく自分にあった学校を選び楽しそうに通学する彼女を見て、最近になって次女の成長を素直に認められ、また今回の受験もよい経験だったと思えるようになった。
娘達が揃って通学する姿を見ていると、私のなかでも6年間の中学受験生の伴奏生活がやっと過去のものになったような感覚を覚え始めた。