~ワーキングマザーが白血病治療中に考え・感じたこと~ 入院中に、最高のチームメイト見つけました その②
前回のあらすじ:
白血病の治療のため、長期入院をしていた私は主治医との関係構築をとまどったが、主治医も私も同じ目的を目指すチームメイトであると気が付いたのだった。
・・・
「医師は、患者が良くなるよう動いてくれるチームメイトだ」
今ではそう自信をもって言える私も、H先生に対して不満を持ったことがあった。
膿瘍の治療を優先するため、抗がん剤治療が二か月弱ストップしてしまったことがあった。一刻でも早く子供のもとへ戻りたかった私には、とても辛い時期だった。
大学病院だからより検査の数が多く、治療の進みが遅いのではないか?という疑念が頭の中で渦巻くようになった。そこで、セカンドオピニオンを得るためにコンタクトした別病院のA医師に、疑問をぶつけてみることにした。
しかし、
「白血病の治療を急いで、膿瘍の治療をおろそかにすると命に係わることがある。膿瘍ができた患者に、慎重になるのは当たり前のことです」
とA医師から、一蹴された。
セカンドオピニオンの手紙は、通常医師同士でやり取りするので、患者が受け取ることはない。
でも、H先生は
「隠すことは何もありませんので、コピーを渡しますね」
と、A医師の書いたレターを手渡してくれた。
私はH先生を疑ったことを恥ずかしく思った。
「帰りを待つ子供がいる私にとって、治療が延期になることが一番辛いです。 でも、H先生の決めた治療内容が、ベストであることがよく分かりました。 焦る気持ちはありますが、治療が再開できるまで待ちます」
本心をH先生にぶつけた瞬間だった。このやり取りを境に、私とH先生は本当の意味で信頼し合うチームメイトになった気がした。
「急がば回れ、急がば回れ……」
そう呪文のように唱えながら、H先生の治療を淡々とこなす日々を送った。
H先生は、朝と夕方私の具合を見に来てくれた。雨の日も、嵐の日も、年末の私の誕生日も、元旦も。そんな日々が、結局9か月続いたのだった。
幸いなことに、私の「白血病治療プロジェクト」は、成功裏に終わった。
私の治療が終わるころ、H先生の移動が決まり、プロジェクトチームは解散となった。医師は患者とは、個人的なつながりは持たない。返事が来ないと分かっていたが、再び動くようになった右手で、感謝の気持ちを一生懸命書いて、H先生に手渡した。
もう会うことはないH先生。
普通に動くようになった右手を見ながら、ふとH先生のこと思い出しますよ。
「先生、元気にしていますか?
H先生という最高のチームメイトに恵まれ、私は幸運な患者でした」