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~ワーキングマザーが白血病治療中に考え・感じたこと~ 長期入院生活をサバイブするために必要なもの、 知っていますか?


「同室のOさん、占い師じゃないかって話よ。LINE通じて占いの仕事続けているのかもよ」

「占いの仕事を続けてる? 本当ですか? でも確かに、そう言われてみれば、あり得るかもしれないですね」


私は急性白血病の治療のため、約4か月間、AさんとOさんと3人で大部屋での入院生活を送っていた。Aさんは気さくな性格で、体調のこと、食事のこと、娘さんのことなど、毎日挨拶とともにおしゃべりをした。

一方で、Oさんは入院してからほとんどベッドから出てこなかった。持参したPCで映画を見ているのか、ほとんど音もたてずに静かに生活していた。私達とも話しをぜんぜんしない。聞こえてくるのは、医師や看護師との必要最低限の会話ぐらいだった。



大病を患った患者同士は、個人的に深くはつながらない。特に医師や看護師から止められている訳でもないが、無意識に親密になりすぎない方がベターと察するからだ。親密になりすぎると、それぞれの病状の変化に、お互い精神的ダメージを受ける可能性がある。そのリスクを避けるため、適度な距離感とプライバシーを確保しながら、患者同士は付き合う。


しかし、数か月に及ぶ共同生活を通じて、ある程度人間関係は構築されていく。
患者は、病気になった者しか分からない感情をシェアし、共感し合うことで、安心を得ようとする。


話しをしない人がいると、

「あの人は元気がないね。 治療はうまくいっているの?」

「ベッドにいてテレビばかり眺めているのは、身体によくないよ。 気分がいい時は、積極的に共同スペースに出てこなきゃ」

など、心配なのか批判なのか分からないようなコメントが、でてくる時もあった。



全く話しをしないOさんも、やはり心配される対象だった。人と全く話をしなくて退屈しないのか、正直私も不思議だった。占い師の仕事を病室で続けているという、半信半疑の話を聞いても、LINEで人とコミュニケーションを取っているから、病室では話しをしなくても大丈夫なのかもしれないな、と考えてしまった。


そんなOさんも、病院食のお皿を返却する時に、ベッドから出てくるようになった。顔を合わすようになったので、どのような反応があるか分からなかったが、私から挨拶をすることにした。


「おはようございます」
思い切って声をかけると、意外なことに、Oさんは満面の笑みを浮かべ、

「おはようございます。同室のOです。よろしくお願いします」
と返事をしてくれた。


その満面の笑みから、Oさんは今朝は気分が優れ、そして、私の挨拶を嫌がっていないことが分かった。また、私とAさんと話をしていたので、うるさいと思っていないか心配していたが、大きな不満がないことも伝わってきた。

笑顔って雄弁だなあ、としみじみ感心した。
全く話をしない人が、あんなビッグスマイルを見せてくれるとは期待していなかった。だから、なおさらOさんの笑顔は雄弁だったのだと思う。
今まで、心配だといいながら、Oさんに対して持っていた不安感や少し批判めいた感情は一気に消えてなくなった。



Oさんは知っていたのだ。笑顔は、人々のネガティブな感情を溶かせることを。
そして、言葉よりもいろいろなことを伝えられることを。
笑顔があれば、他の患者と距離感をもって接することができ、また、自分のプライバシーも守ることができることを。



他の患者と話をすることで、自分の心が乱れ、治療に集中できなくなる事態を招くことがある。


「他の患者さんはこんな治療をしているみたいだけと、今自分が受けている治療は本当に最善のものなのか?」

「自分の主治医は、本当に信頼してよい先生なのか?」


入院が長期になり、自分の病気が困難なものであればあるほど、こんな雑音が心に忍び寄る。
でも、時間のかかる白血病の治療こそ、急がば回れ、なのである。
焦りは禁物。
雑念を取り払い、淡々と治療をこなしていかなければならない。


Oさんは、「抗がん剤を投与すると、白血球の数値が下がる。 白血球の数値が上がるのを待ち、また次の抗がん剤を投与する」というサイクルを辛抱強く、こなしていった。そして、ほとんど私達と会話することなく、でも、たまにとびきりの笑顔を見せてくれながら、4か月後に無事に退院していった。


Oさんの姿は、まるで繭をつくる蚕のようだった。
蚕は静かに吐糸し、自分を守る繭を作り上げていくが、白血病患者の繭は、笑顔でできているのだ。笑顔という繭に守られたOさんは、着実に治療をこなし、病気を治した。
そして元気を取り戻し、元の生活に戻っていったのだった。

私はOさんから、長期入院中も心の平穏を保ち、治療を進めるためには、「笑顔」が必要不可欠なものだということを、学んだ。



「女の子はにこにこ笑って、愛想がいいのがいいよ」

と親類のおばさんが言った時、子供だった私は反感を覚えた。

「なんで、女だけ笑わないといけないの? それに、笑顔ってそもそも必要なわけ? 言葉で必要なことを話せばいいじゃない」

私は大真面目にそう思ったし、その後も笑顔にそんな価値は無いとずっとそう信じていた。



でも、40代半ばで経験した入院生活で、笑顔の威力を目の当たりにした。

大病になっても、笑顔の女性は多かった。
彼女たちは、入院中も尊厳を保ちながらも、確実に治療を終え、無事に退院していった。きっと皆、笑顔の力を知っていたのだろう。


私もほどなくして笑顔で過ごす患者になった。そして、笑顔を通じて他の患者さんや看護婦さんと、適度な距離感を保ち、心穏やかな入院生活を手に入れた。


笑顔のパワーを知れたのも、病気になってからの収穫の一つだ。
きっと、もとの生活に戻ってからも、笑顔は大活躍してくれるだろう。
これからの人生も、「笑顔」で自分を守りつつ生活していこうと思う。

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