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〜ワーキングマザーが白血病治療中に考え・感じたこと〜人生に突如発生する「電源オフ」を乗り越える術 その②

前回までのあらすじ:

会社の健康診断で、深刻な血液の病気発症していることが判明した私が、大学病院の医師から、その病気が「白血病」であることを宣告された・・・

              ・・・

まさに死神がすり寄ってきた気分だった。呆然として顔を上げることが出来なかった私に、医師が言った。

「白血病は不治の病のイメージが強いですが、今は治る病気なんですよ。ただ、治療に時間がかかります。最低6か月」

(え? 今は治すことができるの? 先生、それを早く言ってよ!!)

そして私が間髪開けずに発した言葉は、
「じゃあ先生、治してください。 私はどうしたらいいですか?」だった。

病気になったら治すしかない。
私のマインドはその瞬間から治療にフォーカスされた。


本来ならすぐにでも入院だが、今日は帰宅を許可するので必要なアレンジしてもらい、明日からの入院にしましょう、と医師は言う。

7月25日健康診断受診
7月29日クリニックからの呼び出し
7月30日精密検査後の白血病発症の宣告
7月31日大学病院入院・治療開始

まさに、すべてが強制終了だ。

仕事は当然休職となる。感染症予防のため、オフィスなど多数の人がいる場所には出入り禁止。電話やメールで会社とのコミュニケーションを行うこととの指示。

無菌室が完備されている白血病病棟には中学生以下は入れない。ただし、白血球の数値が高い時期は、私が共有スペースに出て、子供と面会することは可能。

信じられないレベルで自由のない入院生活が、突如としてスタートした。

そんな想定外のビッグチェンジ。
それを乗り切るために、いくつか心がけたことがある。


第一に断言できるのは、「人生における電源オフ」が起きたときには、発想の転換をしてしまうしかない、ということだ。

自分がリーダーをしているプロジェクトはどうしよう?
子供の世話は?
中学受験に向けて勉強している長女の勉強はどうする?

明らかに、今までのような日常生活を続けることは不可能である。正直、1-2か月の入院だったら、計画通りに事を進めようとしていたかもしれない。ただ、私の場合、治療期間は最低7~8か月となることが分かった。さらに、病棟には1年超入院している方もちらほらいた。そんな極端な状況だったので、完全なる白紙撤回をすぐに受け入れることが出来た。

今までの生活のTo Doを捨てると、気持ちは軽くなる。そして助けてくれる人が確実にいる。窮地に陥った時は、周りの皆の胸をかりて、はじめから大いに頼ってしまうのが一番だ。


次に重要なのは、くさくさ・いじいじしないことだ。

「なんで私だけ病気になるの? 私がなにか悪いことしたの?」
など、考えただけ無駄である。

主治医に白血病発症の原因を聞いてみたが、
「白血病は原因不明なんです。交通事故にあったと思って下さい」と返された。

深く考えすぎて自分を責めてもなにも生まれない。
病気になったら治療に集中して、淡々とやれることをやるのみなのである。


3つ目は、シンプルな生活ルールの順守。

私が入院生活で心掛けたことは、
「ちゃんと食べ、筋力低下を防ぐための努力をして、ストレスをためないこと」

私は複雑な医療の情報を求めるより、この単純な原則に耳を傾けた。

抗がん剤治療中でも自分が食べられるものをどん欲にサーチし、なるべく三食食べるようにした。筋力維持のための運動は、もっぱら病棟のバイクを利用したが、元気になる音楽(私の場合は、辻井伸行さん演奏のショパンのエチュード)を聴きながら体調の良い日はできるだけ継続を心掛けた。

ストレスや不安をためないように、(治療ブログは武勇伝的な部分があり、辛い内容が満載な場合があるので)同じ病気になった人のブログは読まなかったし、知っておくべき基礎的な知識以上に、細かな医療情報を求めないように心掛けた。

振り返ると、「人生における電源オフ」を乗り越えるのに大切だったのは、

① 発想の転換
② 自分を責めない
③ シンプルな生活ルールの順守

と、実に単純なことばかりだ。

これらの心掛けが功を奏して、私は9か月の入院生活を無事に終え、2019年春に無事退院。その後、順調に健康な生活を取り戻せている。


さあ体調も戻ってきたので、どんどん活動範囲を増やそう!
と、楽しみにしていたところで、コロナウィルスが蔓延。

実は、肺炎は、白血病患者にとって命取りになる最大の敵である。
大変な事態になってしまった。

でも、やるべきことは分かっている。

またいつか行けるはず、と中学受験を頑張った長女と行くはずのパリ旅行をキャンセルし、卒業・入学関連のイベントも白紙にした。

入院生活に比べたら、家で子供達と過ごすのは断然楽しく快適だと、ステイホーム生活を受け入れることにした。やりたくてもやれていなかったことに挑戦するのは、楽しかった。ホームベーカリーを購入してパンやピザを作ったり、ベランダガーデニングに手を入れハーブ栽培を始めたり。新たな知識やスキルが身に着いた自分が、誇らしく思えた。

子供との散歩やバトミントンを日課とした、リズムある生活をコツコツと続けた。その結果、3か月におよぶステイホーム生活後に受けた血液検査で、100点の結果が出たのだった。

コロナ禍での経験からも、入院生活で学んだ3つの術は機能することが分かった。今後、生活を一変させるような出来事が起きた場合も、3つの術をベースに淡々と生活していこうと思う。

≪終わり≫

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