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September 3,2024

気がつけば9月

のろのろ台風にすっかり調子を狂わされ
なかなか色々なことが捗らない日々を過ごした。

しかし無理して何かをしない、と決めているので
今はそういう時期なのだ、と思えばあまりもやもやしない。
都合の良い感じに聞こえるかもしれないが。

とはいえずっと片づけなければと思っていた
半分壊れていたネスプレッソをようやく捨てたり、
少しだけれど片付ける、というスイッチが入り始めた気がする。
本当に少しずつだけれど。

わたしの性格でもあるが、
だらだらとしている割に、突然スイッチが入ると
へとへとになるまでやってしまう。
その時のへとへとの記憶が、まただらだらに影響するという
悪循環。

頭の中でシュミレーションして、あれを捨てて、これも捨てて
シュミレーションだけはだいぶ進んだ笑

勿体無い、捨てたくない、思い出の品だ
と何かと理由をつけていたものが
ここのところ少しずつどうでも良くなり、
そういう時は片付けのチャンスである。

でもそうやって何でもかんでも処分して
やはり、あれは捨てなければよかった、と思うものも
ないわけではない。

もうないのだからどうしようもないのだけど、
時折何十年も前に捨てたものを
思い出したりもする。

しかし、これらのもやもやして
残した愛すべきものたちも
わたしが死んだら、ただのゴミになる。
その価値がわからなくてきっと捨てられる。

そして、遺品、と呼ばれるようなものを
わざわざ誰かに渡しても困るだけだろうから、
そういうこともしたいわけじゃない。

なので、せめて
これは価値があるものだから、
捨てずに売ってくれれば
それなりに引き取って、また市場に出回って
誰かの愛用品になる可能性がある(かも?)というのは
書き記しておこうと思う
(めんどくさがりのわたしにできるかは疑問が少し残る)。

例えばシャネルのハンドバッグ。
縁があってなんだか知らぬまに
結構な数を所有していた。

使うのは年に数回だから
数を絞ってもいいのだが、
ここ数年でこれらの所有しているバッグが
車が買えるほどの値段に高騰しているのを知り
(新品の値段だが)、
手放したらもう買えない、っていう
ちょっと貧乏くさい理由が浮上している笑

ブランドバッグはそれこそいろんなブランドを
昔は買い漁ったが、
結局手元に残したのはシャネルだけ
ということを考えると
やはり永遠性のあるものは限られるというのが自論。

ちなみにエルメスは
あれこそ上流階級の人が持つべきバッグであり
某バーキンとか電車に乗って持つものじゃあない
と昔から自分ルールで決めているので
エルメスは持っていない(皮小物は持っているけど)。

話が逸れたが、
年末までに、長年溜め込んだあれこれを
捨てたり、売ったり、(迷惑でなければ)差し上げたりして、
身辺整理第一弾、みたいなことをやりたい。

でもミニマリストにはならない。

無駄なものがある暮らしに
お金という意味ではなく
「豊かさ」を感じることができると思う。

ミニマリストの部屋や暮らしは
SNSに溢れているが
見ていると、人が暮らしているという
気配のようなものや
楽しみみたいなものは
どこにあるのかな?と考えてしまう。

一つ買ったら一つ捨てる

みたいな理論も

常にそれに囚われていると
心を病んでしまわないのだろうか?
と考えたりもする。

そんなわけで、人から見たら
どこが片付いたの?
というくらいの片付けになるかもしれないが、
暮らしている人がそれでよければいいのである。
(ミニマリストも、だけどね)

というまとまりのない最後。

写真は数日前の
大雨なのに夕方空が赤く燃えていて
ちょっと不気味だった時のもの。

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