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August 11,2024

本日の最高気温38℃
暑いというか、もう日差しが痛い

若くして亡くなった
従姉妹の7回忌があった

従姉妹の夫から急に連絡があり
開催されたこの法要

久しぶりに従姉妹の母である叔母や
近しい親戚だけがこの暑い中、
全身黒づくめで集まる

従姉妹の実家は神道だが
嫁いだところは浄土真宗の家

葬儀の時と同じお坊さんであるが
読経がはじまって
「そうだった、この歌うようなお経」
というのを思い出した。

よくこんな大きな声が出るものだ、
と思うくらいの張りのある声で
なんというか詩吟のようでもある独特のスタイル

木魚、拍子木なども操り
まるでコンサートにでも来たようである。

読経が終了し、
お坊さんのお話しが始まったのだが
これが驚くほど
声が小さくて、何を言っているのか
耳をすまさないとよく聞こえないのだ。

当然だが、同じ人、である。

このギャップは一体なんなのだろう。
お坊さんの不思議。


その後、従姉妹の骨壷が納められた
ロッカー式の霊苑でお墓参り。

このロッカーは扉をちょっと押すと
ぴょこんと開くタイプ。

従姉妹の夫はここのところの地震で
これでは骨壷が落ちて割れてしまうかも、と
危惧してこの霊苑に扉に鍵をかけて欲しいと
お願いしたそうだが、
それはロッカーの仕様的にできないと
言われたのだとか。

わたしは今回
そもそも鍵がついてない!
ということに驚いた。

とりあえず、従姉妹の夫は
小さな突っ張り棒数本で
スペースの手前に柵を作って
少しでも落下を防ごうと
工夫していた。



ところでこの場所は住宅街の中にある
小さなマンションが建つくらいの敷地に
法要ができる建物とその裏側に墓所がある
いわゆる街中の新興の極小の霊苑である。

東京のお盆は7月だが
こういう場所はきっと東京に墓を持たない
地方の方々が多いのだろう。
お盆の時期と重なり
今日はお参りに来ている人が多かった。

パッと一目で見渡せる敷地内は
隙間なく置かれた墓石、
ロッカー式の墓所がある小さな建物、
さらにハガキサイズくらいの墓石が
ずらりと壁面に並ぶエリア(初めて見た)が
ひしめいている。

墓石に供えられた花、
通路の周りに植えられたカラフルな花々が
モノトーンの墓石を際立たせていて
今日のような青空と強い光の下だと
まるでミニチュアの世界に見えた。

ウェス・アンダーソンの世界観という感じ。
ちょっと虚構感が漂うのである。

それは何かといえば、
どの墓石もピカピカで新しく
規則正しく並べられているからでもある。

これもまた新しい墓地の形なのだな、と
あらためて思った。

駅から不便な場所にあるにもかかわらず
こんなに人気があるなんて、
なんてお墓を求める人が多いのだろう。

お参りに来ている人たちの顔は
どの顔を見てもなんだかとても満足そうな
納得しているような感じに見えた。

自分の大切な人を亡くして
安堵の地を決められて、
そこにお参りにくるということが
現世を生きる人にとって
一つの癒しのようなものなのかもしれない。

なんだかそんなことを
溶けそうな真夏のお昼にぼんやりと思った。



法要の後、
徒歩で近くの和食ファミレスに
席を設けてあるというので
皆でそこで団欒。
血が繋がった人たちと会う機会も
年々少なくなってきているので、
できるだけこういう時には行くようにして
叔母たちの昔話を聞いたりするのも楽しみなのだ。

ちなみに従姉妹の夫、は
今日唯一の血のつながりがない他人。
法要が終わったら去ってしまった。

子が居ない夫婦の場合、
相方が亡くなると、
途端にあっさりした関係でしか
なくなってしまう、
ということも従姉妹の死で知ったことの一つである。
(もちろんそうでない方もいるであろうが)







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