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【自己紹介】30代後半でやりたいこと全部やってみた!40歳を迎えて、これまでとこれから

はじめまして。マキコ婦人と申します!今回は、私の自己紹介を兼ねて、これまでの人生、そしてこれからのことについて書いてみようと思います。

noteを始めた理由

一言でいうと、人生なかばの今、いったん思い出を整理して、文字に残したいなと思ったからだ。

私は37歳で東京の一部上場企業を辞めた。そして「40歳までは好きなことをしよう。今までやったことない事をしよう。」と決めた。

そして、それから3年間は、ホテル暮らし・海外ノマド・フリーランス・海外ひとり旅・AI副業・コンテンツ販売など、YouTuberよろしく 「やってみたシリーズ」を一人でやっていた。

これまで29カ国を訪問

そして、いざ40歳。写真もたくさん撮ったし、いろんな人と出会い、充実した時間を過ごしてきた。でも、気づいたのは「経験は積み重なったけど、ほとんどアウトプットしてこなかった」ということ。

これまで未来を見て走り続けてきたけれど、ここらでいったん整理したい。そう思って、2024年はデータの整理を、2025年はnoteを書くことにした。

なぜ40歳までになのか?

これから先、結婚や出産など、人生の大きな変化があるかもしれない。そうなると、自分だけの時間を自由に使える期間は、限られている。

また私には元気な両親がいるが、いつまでもこのままではいられない。40歳になれば、両親も少しずつ年を重ね、今のように何も心配なく過ごせる時間は、長く見積もってもあと10年くらいなんじゃないかと考えた。

悩みなく動ける時期は限られている

だからこそ、今のうちに「やってみたい!」と思うことに全部挑戦してみようと決めた。

「落ち着いたらやろう」ではなく、「落ち着く前にやろう」。旅も、仕事も、人との出会いも、今のうちにたくさん経験して、未来の自分が「もうやり残したことはない」と思えるようにしたかった。

小倉さん(77)が癌で死去する1ヶ月前に残した言葉

どんな人生を歩んできたのか

東京OLからフリーランスへ

私はもともと東京で会社員をしていた。東京の女子大を卒業後、東京の不動産会社で営業として働き、順調にキャリアをスタートさせた。

しかし、女子校エスカレート育ちの当時の私は「母と同じく、女性は結婚して家庭に入るのが普通」と思い込んでいて、結婚のために地元・福岡に戻ることを決意。安定した大企業での営業事務職を選んだ。

しかし、この選択が大失敗だった。

安定を選んだら茨の道だった

とにかくポンコツだった!

営業事務として働き始めたが、まったく向いていなかった!

電話対応で名前や会社名を聞き忘れる
来客対応で受付をした後、そのまま放置して席に戻る
定時出社が苦手で遅刻を繰り返す
事務職特有の濃い人間関係が苦手

ストレスで更にミスが増えるスパイラル

なぜこんなに仕事ができないのか、なぜうまく会話できないのか、なぜみんんなと同じ"普通"になれないのか…。当時の私にとっては「仕事ができない女」というのが大きなストレスで、「社会人失格だ…」 と自己嫌悪に陥る毎日だった。

当時は自己肯定感がゼロだった

それでも、せっかくの大手企業。辞める決断ができずに5年間働いたが、最終的には精神的に限界を迎え、東京に戻ることを決意。

私に合った働き方"リモートワーク"との出会い

東京に戻った私は、「自分に合った仕事を探そう」と決意し、IT企業のオンラインイベントディレクター職に転職。

これが大当たり!出社自由・フリーアドレス・リモートワーク という環境は、私の性格にぴったりだった。

• 出社自由(現場直行OK!オフィスに行かなくて良い)
• フリーアドレス(固定の席がない)
• リモートワーク中心(人間関係のストレスが少ない)

さらに、私は 短期記憶が弱く耳からの情報を記憶するのが苦手 という弱点があったが、リモート会議ではスクリーンショットを撮って記録できる ので、それを補うことができた。

「これなら、私でも続けられるかも!」

そんなふうに思えた仕事だった。

ノマド生活のきっかけ

オンラインイベントの仕事は、日本全国を飛び回る機会が多かった。

配信側は現地で撮影しないといけない

そのため、スーツケース1つで移動することが日常に。スーツケース1つとリュック1つで今日は北海道、明日は大阪という生活を続けていると

「家って、なくても生きていけるんじゃない?」

この頃から、そんな考えが頭によぎっていた。

そんなとき、ちょうどコロナ禍に突入。オンラインイベントの需要が爆発的に増え、会社の業績も急上昇。私は業務改善のポジションにつき、フローを整えたり、新人研修を担当したりするようになった。

整理整頓のコツも勝手に教える女

「私は、ノウハウを整理して人に伝えるのが好きなんだ」

そう気づいたのも、この頃だと思う。

コロナが落ち着き、オンラインイベントが当たり前になった頃、「そろそろ次のステージに進む時だ」いう思いが強くなり、37歳で退職。

「40歳まではやりたいことを全部やる」と決めて、家を手放してノマド生活 に踏み出した。

海外移住を試してみた

最初は、東京のホテル暮らしからスタート。でも、3ヶ月もするとコロナ収束にともないホテル代が高くなってきた。

自炊できないのも地味に辛い

「ずっとホテル暮らしは厳しいかも…」そう感じ始めた時「これだけ身軽なんだから、いっそのこと海外に住んでみよう!」と思い立ち、リサーチ開始。

日本とリモートワークをしながら住める国 を探し、時差2時間以内の国を候補にあげた。

候補に挙がった国はこちら。

• シンガポール・オーストラリア → 物価が高すぎて断念
• ベトナム → クラクションの騒音がストレスになりそう
• フィリピン → 油っこい食事が合わなかった
• マレーシア → イスラム文化に馴染めるか不安

そうして最終的に選んだのは タイ だった。

ノマド初心者向けの国

• 物価が手頃で暮らしやすい
• 街が整備されていて移動しやすい
ごはんが美味しい!(重要)

こうして、タイと福岡を行き来する 2拠点生活 をスタートさせた。

収入はどうしていたのか

リモートワークの仕事は、日本で働いていたときのスキルを活かし、フリーランスのプロジェクトマネージャー として受注。

ざっくりいうと進行管理の仕事

最初の仕事は、求人サイト「求人ボックス」で見つけた記憶だ。求人ボックスは食べログのカカクコムが運営する求人検索エンジン。

個別に掲載依頼された求人を掲載しているのではなく、いろんな 求人サイトや企業が公開する求人情報などを収集して、プラットフォームとして掲載してるので、とにかく求人情報が多い。

フルリモート指定で検索

Web経由の仕事は単価が低かったけれど、経験を積んでいくうちに知り合いから声をかけてもらい、高単価の案件が取れるように。社会人時代の人のご縁に感謝して仕事をいただいていた。

また、AIを活用したストック収入(コンテンツがダウンロードされる毎に収益がはいる不労所得)にも挑戦。おかげで「クライアントワークに依存しない働き方」も少しずつ確立できた。

これからやりたいこと

40歳の年だった2024年はフランス・ベルギー・ドイツ・トルコ・エジプト・ドバイ・インドをひとり旅 し、「人生で一度は見たい景色」を見てきた。

「いったんやりたいことはやりきったなぁ…」

そう感じてからは、福岡の実家に本格的にPCスペースを設け、AI生成と執筆が中心の生活をしている。2ヶ月に1回くらいタイに行って、のんびり過ごすのが今のスタイルだ。

50歳の自分に、「楽しかったね」と言いたい

振り返ってみると、過去の決断は間違っていなかったなと感じている。

全てのピースは繋がっている

30歳で上京しリモートワークという環境に変えたこと、37歳でやりたい!と思ったことを叶えたことは、今の私にとって自信になっている。そしてこれからも、「やりたいことを、やれるうちに」。その気持ちは、ずっと大切にしていきたい。

このnoteでめざすこと

私は 結婚しておらず家族もいないので、子供がいる人生を知らないし、そもそも自分1人分の人生しか知らない。なので、このnoteを通じて、私の知らない人生を歩んでるみなさまの人生を、垣間見れたらなぁと思ってます。

子育て経験ない私。女の人生は十人十色

逆にどなたか側からも「こういう生き方もあるんだな~」 って、パラレルワールドを楽しむ感覚で読んでもらえたら嬉しいです。

ここまで読んでくれて、ありがとうございます!

もし何か気になることがあったら、ぜひ他の記事も読んでみてください。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます!

余談:マキコ婦人という名前の由来

私が「マキコ婦人」と名乗るようになったのは、20歳の頃に流行っていたSNS「mixi」がきっかけ。

画像:画像で振り返る「mixi」歴代トップページ

当時から「落ち着いてるね」とよく言われていた私に、友達が「マキコって、なんかデヴィ夫人みあるね」とつけてくれたニックネームが「マキコ婦人」で、そこからずっと使い続けている。

「婦人ってことは、既婚者ですか?」と聞かれるが、私は結婚もしていないし、デヴィ夫人のような華やかな生活をしているわけでもない、ただの一般人。

ご機嫌麗しゅう

でも、昔からの友達やSNSを通じて知り合った人たちには、今でも「婦人〜!」と呼ばれることもある。そんな経緯もあって、SNSではこの名前をそのまま使い続けている。

補足:婦人と夫人の差

📝 この記事を読んだあなたにおすすめ!

「DIE WITH ZERO」は、私の価値観を変えてくれた本。どちらの本にも共通しているのは、「死を意識することで、新しい行動指針が見えてくる」ということ。「いつか」ではなく「今」。やりたいことを、ためらわずにやる。


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