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唯一無二の聖人として生きた シュリ・スワミ・チダナンダジ


 これは、正真正銘のグル、聖なる生まれ変わりとしてこの世に顕現されたシュリ·スワミ ·チダナンダジの生誕100周年という吉兆な機会に、内在からの多大なる愛と想いをスワミジの御御足に捧げます。

 真のサッドグルデヴ·シュリ·スワミ·シヴァナンダジ·マハラジを始め、聖人や賢者達は「私の…」や「私は…」といった言葉を使うことがありません。彼等は、渇望、怒り、貪欲さから完全に解放された存在です。全ての生きとし生けるものを自分自身と同じように思い愛情を注ぎ、落ち着きと慈しみの心に満ちています。彼等の口にする言葉は真実のみであり、耳に心地良く他者に有益な言葉です。他人の不平不満や批判に巻き込まれることなく、全てを偏見なく公平に扱います。常に穏やかで、澄み渡り、楽しく、恐れなく、寛大です。彼等が何かを要求することはなく、常に何かを与えることに価値があると信じています。思いやり、愛情、慈善、親切心が彼等の性質となり、不快なことに対しても常に善良な行為で応えます。全世界を探しても、このような真の賢者とその仲間はとても稀です。

 春の季節がやってくると、良い匂いや穏やかな春風、新緑や新芽によって世の中が喜び魅惑されるのと同じように、サムサーラの大海を渡り切った偉大なる聖者や賢者達は、その恐るべき大海を他者にも渡らせることによって、幸福、平安と至福を人類に与えます。

 ある時、グルデヴ·シュリ·スワミ·シヴァナンダジ·マハラジがスワミ·ヤッギャヴァルキャナンダジに言いました。

「あなたは、本当のスワミ·チダナンダを知らないでしょう。何故なら真のチダナンダを知ることができるのは、非常に稀な人だけだからです。彼は、想像以上の人物なので、あなたの知性で彼の本質を理解することは不可能です。ですから私は今、彼の偉大さを証明しに来ました。」

 非常に清浄で高潔で、寛大で気高く、善良で博愛主義で、高貴な性格と知識を携えた才能豊かな至高の人を見た時、そんな凄い人がこの世に本当に存在することを知れば、全能の神様の存在も否定できなくなるでしょう。さもなければ、そのような稀な特徴はどこから得たのでしょうか。そのような特質を目にすれば、実際の神様を見ることはできなくても、神々しい存在を目にしたと感じることができるでしょう。

 シュリ·スワミ·チダナンダジ·マハラジのような聖人を本当に理解できるのは、その人自身がシュリ·スワミ·シヴァナンダジ·マハラジやシュリ·スワミ·チダナンダジ·マハラジと同じようでなければなりません。ですから、ただのお世話係であるこの私が、真のグル·マハラジ(スワミ·チダナンダジ)について書くことは単純に不可能なのです。それにも関わらず、スワミジのお付きをさせていただいていた間に見てきたことをここに記すのは、スワミジの神聖な日常生活から学ぶことがたくさんあったからです。スワミジの生き様は、ヴェーダンタ哲学をそのままに生き抜かれたお手本と信じています。スワミジは、ギーターやウパニシャッドのような聖典について講義をされただけでなく、日常生活の中でそれらの教えを実際に実践されていました。そのような高貴なスワミジの生前の時を共にし貴重な時間を得ることができて、私達は本当に恵まれています。

  (グル·マハラジ、スワミジ·マハラジ、スワミジの全ては、シュリ·スワミ·チダナンダジ·マハラジのことを指しています)



 それは1994年12月のある日、夜8:30頃の出来事です。グル·マハラジの乗った車が、ブバネシュワリのカンドギリにあるシヴァナンダ·センティナリー男子校のグル·クティールという宿舎に到着しました。グル·クティールの建物は、門から6、7メートル位離れており、幅3、4メートルの歩道が敷かれていました。宿舎のベランダの小さな電球に薄暗く照らされたその歩道の両脇には、マリーゴールドやダリアや薔薇の花が咲き誇っていました。グル·マハラジが車から降りられると、お世話係であった私は深々と頭を下げてご挨拶しました。グル·マハラジも、そこにいた全員に対してオーム·ナモ·ナーラーヤナーヤとご挨拶をされながら歩き始めましたが、突然心を奪われたかのようにその場に座り込まれました。最初は誰にも何が起きたのか分かりませんでしたが、グル·マハラジの目線が一株のマリーゴールドに釘付けになっていたことで、ようやく理由が分かりました。スワミジの視線の先には、細い枝が折れ花が垂れ下がっているマリーゴールドがあったのです。懐中電灯とガス灯でその花を照らすと、その光の元で更に詳しく観察され

「ダンボールと糸を持ってきなさい」

とおっしゃいました。私は

「スワミジ、後で枝をつないでおきますから、どうか中に入ってお体を休めてください」

とお願いしました。何故なら、スワミジは120kmという長距離を車で移動してきたばかりだったからです。しかしグル·マハラジは返事をされなかったので、私は指示通りにダンボールと糸を持って行かざるをえませんでした。すると、グル·マハラジは、その枝にダンボールを添えて持っているよう私に指示され、人が骨折した時に添え木をするのと同じように、ご自身で糸を巻かれて固定されました。その作業には20分から25分ほどかかりましたが、全てをご自身で確実にされると満足され、ようやく休憩に入られました。実際、この出来事を明確に説明したり言葉に記したりすることは不可能です。なぜなら、グル·マハラジがそれを行った際に溢れ出ていた強烈な愛情、信仰心、慈しみのこもった献身と集中力は、どんな言葉を使っても表現しきれないからです。まるで、スワミジご自身が植物や木々が感じている苦痛を経験しているかのように、彼等の言葉を理解されて一元論に基づく視野で全てを見られているようでした。

 ナルシ·メタという書物の中にある『本物のヴァイシュナヴァである彼等こそが、神様の信者であり、他者の苦痛を感じ取ることができます』という名言は、スワミジの存在を表現するにふさわしい言葉です。またこれをシュリマッド·バガヴァッドギーターの言葉を借りれば『私を至る所に見られる者、そしてあらゆるものを私の中に見られる者は、私から引き離されることはない。そして私もその者から離れることはない』になるでしょう。



 スワミジ·マハラジがお住まいだった、リシケシの隣町デラドゥンにある家は、シャンティ·ニワスと呼ばれています。2004年10月のある日、スワミジはシャンティ·ニワスの門と裏庭の芝生の間をお散歩されていました。それは夕方5時くらいだったでしょうか、二人のお付きの者がスワミジの両側を、他の者はスワミジの後ろについて一緒に歩いていました。両側にいたお付きの者達は、折りたたんだ布を振りながら、スワミジに蝿や蚊がたからないようにしていたのですが、1匹の蚊がスワミジの足元を飛び回り始めました。お付きの者達は払いのけようと試みましたが、そんなことには動じず、その蚊はスワミジ·マハラジの周りを飛び回り続けました。そこにいた全員の視線はその蚊に集まっていましたが、スワミジ·マハラジはそんなことは気にせず、門と芝生を行ったり来たりし続けました。もちろん、その蚊もスワミジの周りを飛び回りながら移動していたので、スワミジもその状況に気付かれておっしゃいました。

「この肉体としての私は、過去にこの蚊に何かしらの恩義を受けたのかもしれません。だから、この蚊は私を追い回しているのであって、その借りさえ片付けば飛んでいくでしょう。だから、気にすることはありませんよ」

 スワミジ·マハラジがそんなことをおっしゃっる為に立ち止まると、蚊はスワミジに止まりました。血を吸ったかどうかは分かりませんが、その後すぐに飛び立ち見る影もなくなると、スワミジ·マハラジはまた歩き始めました。このグル·マハラジのお言葉の裏に隠されていた秘密は、もしグル·マハラジを追い回していた蚊が最終的に自由に解放されたのであれば、グルデヴ·スワミ·シヴァナンダジ·マハラジとグル·マハラジがお導きくださる道を歩んでいれさえすれば、私達もいつか開放されることは間違いないということです。



 1995年のある日、シヴァナンダ·センティナリー男子高校のグル·クティールに滞在されていたグル·マハラジは、ドリップされたマドラスコーヒーを飲もうとされていたその時、犬が咳き込んでいる声を耳にされました。その咳き込みは長く続き、犬が泣いているようにも聞こえたようです。グル·マハラジは

「オーム、オーム」

と小間使いの人を部屋に呼びました。彼がやってくると、

「このクティール(小屋)の裏で犬が咳き込んでいるのが聞こえました。パンを4、5枚持って行って、一枚ずつ犬に与えてみなさい」

と伝えられました。私は、彼と一緒にパンを持って小屋の裏に行ってみましたが、どこにも犬を見つけることができませんでした。小屋の周りだけでなく、他の宿舎や学校の中も探しましたが、犬の居場所を突き止めることはできませんでした。私達が戻ると、グル·マハラジはコーヒーを飲み終えていらっしゃり、私達は校内のどこにも犬を見つけることができなかったことをお伝えしました。

 しばらく経った後、グル·マハラジが夕刻のお散歩の為にテラスに出て来られると、またどこからか犬の唸り声が聞こえてきました。その頃、今現在グル·クティールの周りを囲んでいる塀は存在せず、竹の棒を地面に突き刺して隣との境界を示していました。グル·マハラジは小屋の裏側に周られると、すでに日が暮れて薄暗くなっていたので、懐中電灯とガスランプの明かりを頼りにその声の主を探し始められました。私は、先程のパンを持って付いて行きました。すると突然、グル·マハラジが立たれていた竹の棒の所に犬が現れました。まるでグル·マハラジのことを良く知っているかのように尻尾を振りながら近付いて来て、スワミジの聖なる手からしかプラサードをもらいたくないと言うようにやって来ました。グル·マハラジが外に出て来られなかった時は姿を隠していて、今となってグル·マハラジの前に姿を現したのにはこんな理由があったのでしょう。グル·マハラジは腰を下ろされると、ご自身の手でパンを与えながら、優しく犬の頭を撫でられました。犬は皮膚病でたくさんの毛が抜け落ち醜い姿となっていたので、私でしたら触ろうとしなかったでしょう。その後、グル·マハラジは人と会う約束があったのですが、急ぐそぶりも見せずに犬とゆったりとした時間を過ごされました。グル·マハラジが立ち上がってテラスに戻られると、犬もまたどこかへ行ってしまいました。これは、聖なる存在に会いたいという犬の切なる思いと、スワミジ·マハラジのあらゆるものに対する思いやりと哀れみが、目に見える形に顕現した出来事でした。グル·マハラジから聖なる恩寵を得られた犬は、本当に幸運でした。その後、その犬の姿を見ることは二度とありませんでした。

 聖者達は、一番高い位のブラフマナから野良犬や地位のない人までの全てを平等な目で見られています。何故なら聖者達にとっては、誰もが一つ一つの不死不朽のセルフに見えるからです。



 普通、人はその人の態度や姿勢によって記憶に残ります。普通の人は誰でも、自分より影響力のある人、尊敬に値する人、そして年上の人に対して友好な態度を示し敬意を払い、自分より地位の低い人に対して愛情や敬意を表すことは滅多にありません。グルデヴ·スワミ·シヴァナンダジ·マハラジは、ユニバーサル·プレイヤー中でこうおっしゃっています。


全ての名のあるもの形のあるものの中に

あなたを見ることができますように

全ての名のあるもの形あるものの中にいらっしゃる

あなたに仕えることができますように


 スワミジ·マハラジが私達に教えて下さったことは、スワミジご自身が日々の生活で実践されていらっしゃったことでした。

 デラドゥンのシャンティ·ニワスには、クヮユムという名の床屋がスワミジの剃髪にやって来ていました。シャンティ·ニワスに来たことがある人ならば分かるでしょうが、今現在スワミジの車椅子が保管してある場所で剃髪は行なわれていました。そこは幅は狭いですが、奥行きがある場所です。剃髪に必要な道具一式は時間前に準備され、冬場はヒーターを点けてその場は暖かく保たれました。クヮユムは、朝食を終えてからスワミジを待ちました。スワミジ·マハラジは部屋から出て来られると、コーランの一節『慈悲深い神様の御名であるアラーを唱えるだけで、神様のお恵みが訪れます。あらゆる作業が完璧に成し遂げられた後の賞賛は、全て神様へ手向けられます』と口にされて歩いていらっしゃいました。

 これを唱えながら剃髪の場所まで出てこられると、低く頭を下げてお辞儀をされ、両手を合わせて「いらっしゃい」とクヮユムを迎えられました。クヮユムは「こんにちは」と言って、スワミジに返答されていました。

 グル·マハラジは、床に座られるとクヮユムをそばに呼び寄せ、彼の両足に礼拝をするように額を両足に乗せられました。ヒンドゥー教では、両足はエネルギーの源、とても尊いものと考えられています。ですから両足に礼拝をした後は、壁でバランスを取りながら片足ずつ上げるようクヮユムに頼まれ、その足裏に付いていた埃をご自身の頭と目に付けられていました。またスワミジは、彼に渡す2つの封筒と2袋のプラサード(贈り物)を前もって用意されていました。一つの封筒には、クヮユムジの名が記されて謝礼金が入れられ、もう一つには同じように名が記され心付けが入っていました。これらは、グル·マハラジご自身がヒンディー語で記されてました。

 両方の封筒は、その時の機会に合わせて違った金額が入れられてました。ホーリー、エイディ、ディワリ、ムハラン、ラムザンなどのインドの祝祭日には、比較的大きな金額が包まれていたようです。プラサードの一つはクヮユムの子供達に宛てて、色々なチョコレートやビスケットが入れられました。もう一つの包みは、普通のプラサードとして、インドのお菓子であるソアンパプリ、スナック菓子のナムキーン2袋、ビスケット2袋が詰められました。これらを詰められている間、スワミジは目を閉じ背筋を伸ばして座られ、まるで瞑想をされているかのようでした。剃髪する為にスワミジに布が巻かれると、いよいよ儀式の始まりです。クヮユムはとても忠実な人で、スワミジの剃髪をする際は細心の注意を払われていました。剃髪が終わると、お付きの者がスワミジの周りを回って、全ての部分がきちんと剃られているかどうかを確認しました。それからスワミジは、最初にされたのと同じような作法でお辞儀をし、感謝を述べることを欠かしませんでした。

 スワミジはよく

「ハンサムにしてくれてありがとう。あなたの手によって、何歳か若返ったように見えますよ」

とおっしゃっていました。また、時々

「イスラム教のお祈りであるナマーズを毎日読みますか? 金曜日にはモスクに行って、ナマーズを読みなさい。モスクまで足を運ぶことができないとしても、時がきたらどこであっても読みなさい」

ともおっしゃってました。一度、ナマーズの時間に、祈りの為の敷布と帽子がクヮユムに贈られたこともありました。感謝の意を伝えられた後、スワミジはご自身のお部屋に戻られました。私達はこの全てを目にしていましたが、これらはただ外側から見えることに過ぎず、スワミジの身振りや行動の一つ一つを簡単に言葉にすることはできません。エゴを消滅させ、あらゆる人を尊敬することは、スワミジ·マハラジの態度からのみ学ぶことができました。

 牧草に生える細長い草よりも謙虚な人は、大木よりも忍耐があります。自分自身への名声を求めず他者を尊重する人は、神様の御名を唱えるに相応しい人です。



 ラワルジという名のバドリナートの司祭長は、ある時、助手達と一緒にスワミジ·マハラジのダルシャン(接見)を受けに来ました。スワミジ·マハラジは、ラワルジとその助手達が座る席を前もって私達に説明されました。ラワルジが座られる席はスワミジの右側に用意され、白いカバーがかけられました。また皆さんが席に着かれたら、コーヒーを淹れるよう指示されました。さらにスワミジは、プラサードには多様多種のドライフルーツを入れること、ラワルジには果物の詰め合わせや花輪を用意することなども言われました。ラワルジは助手達を伴って時間通りにシャンティ·ニワスに到着されました。彼らは全員で17人くらいだったでしょうか。私はマドラスコーヒーを作り始め、人数分のプラサードを用意し始めました。コーヒーとプラサードの用意が済む前に、グル·マハラジが部屋から出ていらっしゃり

「ジャイ·バドリ·ヴィシャール」

とおっしゃりながら応接室に入られてきました。

 グル·マハラジは応接室に入られるとショールと帽子を取られ、ラワルジの目の前で

「ジャイ·バドリ·ヴィシャール」

とおっしゃりながら、3回床にひれ伏されました。ラワルジも同じようにスワミジの前にひれ伏しました。スワミジは、ラワルジの首に大輪の薔薇でできた花輪をかけられると、ショールとお布施の封筒も手渡されました。そしてスワミジがお席に着かれると、ラワルジはバドリナートの氏神からのプラサードであるショールと白檀や聖なるバジルなどをスワミジに贈られました。スワミジはそれらを敬意と共に受け取られると、脇置いてあったお盆に乗せられました。そうしてスワミジは、私達もラワルジにお布施の封筒を渡すよう促されました。お金の入った封筒は前もって私達に渡されていて、一人ずつラワルジの前にひれ伏して封筒を手渡しました。最後に私がラワルジの前に行き、封筒を渡そうとしたその瞬間、他のお付きの者が私の名前を呼び

「コーヒーがガスコンロに吹きこぼれてるぞ」

と言いました。もちろん、弱火にはしておいたのですが、それでも吹きこぼれてしまったようです。この言葉で私の注意は完全に逸れてしまい、右手に封筒は持っていたのですが、左手を添えるのを忘れてしまいました。また、私の視線はラワルジではなく台所の方を向いてしまっていました。この時スワミジはすぐそばにいらっしゃったので、私の態度一つ一つを観察されており、大きな声で次のように言われました。

「何をやっているのですか?」

その轟くような声によって私の注意力は完全に逸れてしまい、思わず封筒を床に落としてしまいました。すぐに拾い上げましたが、スワミジは

「なんということですか? それが尊敬する人に何かを贈る時の態度ですか? まるで郵便屋さんが手紙を手渡しているかのようではありませんか。あなた自身が、どなたに物を渡そうとしているのか全く意識ができていません。まるで送る相手が見えていないように、封筒を相手の手に渡すこともできませんでした。何かを贈る時は、両手を添えて敬意を払って行うべきです。それから床にひれ伏して心からのお辞儀をするべきなのに、どうしてそんな機会的なお辞儀をだけで済まそうとしたのですか?」

とおっしゃいました。

 私は、胸の前で両手を合わせ

「スワミジ、大変申し訳ありません。全て私の過失です」

と言ってスワミジに許しを請いました。スワミジ·マハラジがしばらく沈黙を保たれていたので、私はスワミジのおっしゃったことに従って、両手で封筒を持ってラワルジにお渡しし、その後に床にひれ伏しました。私は自分の態度を叱られたことで落胆し、グル·マハラジも私のことを不快に感じられていたようでした。しかし同時に、グル·マハラジが間違いを正して下さったことに私は感謝もしていました。私は、この指導を生涯忘れることはないでしょう。

 私は台所に戻ると、皆さんの為にコーヒーを淹れ始めました。スワミジの目の前で、ホールにいらっしゃる皆さんにコーヒーをお配りしなければなりませんでした。また何か間違いを犯さないかと、私の心は恐怖に満たされていましたが、グルデヴのことを思いながらもう一人のお付きの者と一緒にコーヒーをホールに持って行きました。まず最初にラワルジにお出しし、それから他の皆さんにもお出ししました。ホールがコーヒーの良い香りに包まれると

「私にもコーヒーをください」

とスワミジ·マハラジがおっしゃいました。スワミジにコーヒーをお出しする時は、いつもミルクと砂糖を別々にお出しし、スワミジがご自身で混ぜていただいていました。スワミジ·マハラジご自身のカップでコーヒーをお出しすると、コーヒーを飲まれながら、皆さんでたくさんのお話をされました。ナラ·ナーラーヤナの苦行について、苦行の為にクリシュナ神がウッダハヴァジをバドリ·ビシャールに送ったこと、バドリナータの銅像がアディ·シャンカラチャーリヤによって設立されたことなどです。私はその間に、皆さんに渡すプラサードの袋詰めを終えました。スワミジ·マハラジからラワルジに果物の入った籠が手渡され、他の方にはプラサードが配られました。

 ラワルジが帰ろうと立ち上がると、スワミジ·マハラジも席から立ち上がり、また床にひれ伏されました。スワミジは立ち上がると、ラワルジの首にかけられれた花輪から落ちた花びらを集められ

「この花びらを小さな入れ物に集めて、祭壇に飾っておきなさい。この花びらは、礼拝される場で適切に保管されるべきです」

とおっしゃいました。

 そのような素晴らしい思い、高貴な状態、深い感情、崇高な視野は、もっと深く考えるに値します。ラワルジがお帰りになるにあたり、スワミジ·マハラジが外に出られようとした際、滅多にない機会として私はスワミジがサンダルを履くお手伝いをすることができました。その時、スワミジは屈んでいる私の頭を優しく撫でて下さったのです。私が驚いてスワミジを見上げると、スワミジは私のことを見下ろされていました。そのスワミジの眼差しは、幾万人分もの母親の愛情が詰まったような、言葉で述べることのできないものでした。



 リシケシのカイラス·アシュラムのそばにあるマドゥヴァン·アシュラムは、ジャガンナータのお寺として知られていて、毎年ラタ·ヤトラというチャリオット(馬車)のお祭りが執り行われてました。2005年、そのマドゥヴァン·アシュラムのシュリ·スワミ·バクティヨーガジ·マハラジが、スワミジ·マハラジのダルシャンを受けにデラドゥンのシャンティ·ニワスにいらっしゃいました。グル·マハラジはホールに入られると

「ジャイ·ジャガンナータ! ジャイ·バラバドラ! ジャイ·スバドラ·マータ!」

と言いながら、スワミ·バクティヨーガジの前にひれ伏してご挨拶をされました。シュリー·スワミ·バクティヨーガジも、同様にスワミジ·マハラジの前にひれ伏されました。その後、スワミ·バクティヨーガジは

「スワミジ、あなたは私達のグルと同じようにかなり年上です。そのような方が、年下の私のような奉仕者の前にひれ伏すのは見た目が良くありません」

とおっしゃいましたが、グル·マハラジは

「あなたはバガヴァーン·ジャガンナータ·マハープラブーに仕えていらっしゃる方ですから、私は敬意を表すべきです。内なる目を通して、あなたの中に在られる神様のお姿を見るのが正しい方法です。この身体に付いている目は、神様の幻影とお力を明らかにすることしかできません。私達が理解できる全てのものの中に神様を見ること、それが正しい理解力です。あなたの中に鎮座されている神様は、全ての人の中にも宿られています。このような思考が、常に心の中に保たれていなければいけません。」

 その後も同じような話し合いが続きました。最後に、グル·マハラジは、果物の詰まった籠と一緒に、グルデヴ·シュリー·スワミ·シヴァナンダジ·マハラジの『ヴァイラッギャ·マーラー』を贈られました。



 ジャガンナータ·マハー·プラブーのダルシャンを受けにプリーまで出向いたことのある人は、寺院内にあるガルダ像の後ろの壁に、チャイタンニャ·マハープラブーの手形を見たことがあるでしょう。これは、チャイタンニャ·マハープラブーがシュリー·ジャガンナータ神のダルシャンを受けて感極まった時に付けられた跡だと言われています。まるで、柱が石ではなく粘土やバターか何かでできているのではないかと思う程はっきりとした手形なので、私は子供の頃にどうやってできたのだろうと真剣に悩んでいました。

 スワミジ·マハラジは、毎日お散歩の為にお部屋から出て来られると、まず初めに広間の祭壇にあるグルデヴの椅子に向かってプラナム(ご挨拶)をされました。シャンティ·ニワスは、元々シュリー·B.N.カウルさんが家屋として所有されていたものをアシュラムに寄付して下さったのです。サラケシュワリ婦人は、グルデヴ·シュリー·スワミ·シヴァナンダジ·マハラジの訪問を強く熱望され、自宅を神聖化してもらいたいと願っていました。ある日、カウル·サハブさんとご婦人が留守にしていた間、サッドグル·シュリー·スワミ·シヴァナンダジ·マハラジとそのお弟子さん達がシャンティ·ニワスを訪れました。グルデヴは広間に置いてあったソファに座られると、少しの間キールタンを歌われたり、マドラス·コーヒーを飲まれたりして過ごされました。カウル·サハブさんとご婦人が帰宅した後、グルデヴが来訪されキールタンを歌いコーヒーまで召し上がられたことを知ると、底知れない喜びに包まれました。グルデヴが座られたソファにはお写真が飾られ、以後誰も座れないように配慮されました。後に、お写真はグルデヴのサンダルに置き換えられ、それ以降スワミジ·マハラジはグルデヴのサンダルに額を付け、心からのご挨拶をされるようになりました。この一連の儀式は20分ほどかけて行われました。スワミジ·マハラジは、体調を崩された時であっても、車椅子でお部屋から出て来られ、車椅子に乗ったままグルデヴにご挨拶をされていました。この時も20~25分の時間を費やされていました。広間でのご挨拶が終わると、スワミジはベランダから外に出て聖なるバジルを祀ってあるトゥルシー·チャウラ(花壇)のトゥルシーの木にお祈りを捧げられました。このチャウラは、スワミジご自身でどこに設置するか場所を決められました。トゥルシーはただの植物ではなく、神様が具現化したお姿だとスワミジはよくおっしゃってました。

 チャウラを建てられた後は、スワミジ·マハラジはまずトゥルシーを植えられ、その後に聖なるお水、香水、クムクム、お花をお供えしてからお香を焚かれ、最後にアラティ(火使った礼拝)をされました。それ以降は、お祈りを唱えながらトゥルシーの周りを3周回られ、朝と夕方の1日に2回、同じようにお祈りを唱えなさいとのご指示は、今現在も続けられています。

 毎日、お祈りを捧げ、トゥルシー·チャウラの周りを3回周ることに、スワミジ·マハラジは30分程かけていらっしゃいました。車椅子をご使用になり始めてからは、チャウラを回るパリクラマはできませんでしたが、それでも30分位かけてお祈りを捧げることを継続されていました。このお祈りの間、スワミジ·マハラジはトゥルシー·マタジ(女神様)とお話をされるように神様の賛歌をいくつも唱えられていました。スワミジは、世界の幸福の為、この世の誰もが苦しみや悲しみから逃れられるようにと、深い慈しみの心を伴ってゆっくりとこのお祈りを唱えられていました。スワミジの手は、いろいろな印を組んだり、手振りで多様な表現を表されたりしていましたが、私達に理解できるものではありませんでした。トゥルシーへの礼拝が終わると、スワミジは短いお散歩をされました。ある時はお庭を、ある時は屋上を歩かれました。お散歩が終わると、スワミジ·マハラジはまたいくつかの賛歌とマントラを祭壇の前で唱えられ、お祈りを繰り返されました。車椅子がお祈りを捧げらる先に正対されると、スワミジは手を合わせられ愛情と神心深い心でお祈りを捧げられていました。

 スワミジは、深い信仰心を伴って賛歌を唱えられていました。祈りを捧げ賛歌を唱えるスワミジのお姿は見ることができましたが、深い愛情、底知れない信仰心、心のこもった祈祷は視覚だけで捉えることはできませんでした。私達はいつも、スワミジがされる全ての仕草を胸の前で手を合わせてながらおそばで見守っていました。その頃の私は、祈りの言葉に対しての信仰心などを持ち合わせていなかった為、ただ集中してスワミジのなさることをじっと観察していました。そうしていると、私の体は興奮から身震いしたり、涙が流れ落ちたり、ワクワクしたりしながら精神的高揚を経験しましたが、それを説明する言葉が見つかりません。これが引き金となり、ジャガンナータ寺院のチャイタンニャ·マハープラブーの手形の跡の記憶が蘇ってきました。そこに不可能はなく、全てが可能だと知ることができたのです。スワミジ·マハラジが到達された精神的高揚は、私が理解できる範囲を大きく超えたものでした。このお祈りにも、スワミジは20分ほどを費やされ、プラナムを終えるとお部屋に戻られました。

 ある日、いつも通りのプラナムをされている間、スワミジ·マハラジがおっしゃいました。

「朝と夕にアラティをする際、グルデヴにご挨拶をするだけでなく、サラケシュワリのカウル·マタジに対してもご挨拶をするようにしなさい」と。



 スワミジは毎日、お散歩を始められる前にトゥルシー·チャウラにプラナム(ご挨拶)されていました。雨の日は、シャンティ·ニワスのベランダからトゥルシーに向かってプラナムをされました。12月と1月はかなり冷え込むので、トゥルシーを枯らさずに保つのはとても大変でした。夜間帯は覆いをかけたり、植木鉢に植え替えて日中陽の当たるところに移動させたり、色々と試しましたが、健康に保つのはとても大変でした。2008年4月の最初の週、小さなトゥルシーの苗がチャウラに植えられました。その夕方、スワミジ·マハラジが礼拝に訪れると、

「トゥルシーの木が見えないから、もう少し土を盛って見えるようにしてください」

とおっしゃいました。すぐその場で盛り土がされトゥルシーの木を見られるように嵩上げされると、スワミジ·マハラジはトゥルシーにお辞儀をされました。そのトゥルシーは急速に成長し、7月から8月までに成木となりました。8月28日の午後7時、私はいつもと同じようにトゥルシーにお祈りを捧げに行きました。その同じ夜、8時11分にスワミジ·マハラジはマハー·サマディ(永眠)に入られました。翌日、スワミジ·マハラジのジャラ·サマディ(水葬)を終え、10時頃シャンティ·ニワスに戻りました。部屋に入る前にトゥルシーにご挨拶をしに行くと、その光景に目を疑いました。母なるトゥルシーは何年も前から枯れていたように乾燥しきっていたのです。前日の夕方には、青々としていたのに…  本当に驚きました。雨季の最中に枯れ木になってしまう植物や木を私はそれまでに見たことがありませんでした。スワミジ·マハラジと共に、母なるトゥルシーも一緒に旅立ったのだと一人のスワミジが言っていました。その枯れた母なるトゥルシーは、スワミジのお部屋に移されました。今日でも、そのトゥルシーはスワミジがお祈りを捧げていた場所に保管されています。


ジャイ·ジャイ·マー·トゥルシー

ジャヤ·マー·ヴリンダーヴァティ



 1997年、シヴァナンダ·センティナリー男子高校の7年生に、勉強ができず嘘をついたり盗みを働く素行の悪い生徒がいました。毎日、彼に対しての苦情が出てきていたので、私は何度も彼を改心させようと試みましたが、全く歯が立ちませんでした。ある日、彼を現行犯で捕まえましたが、それでも少年は自分の罪を認めませんでした。結局彼は処罰されましたが、私は心が乱されていい気持ちがしませんでした。なぜなら、彼はまだ子供であり、もう少し指導があっても良かったかもしれないと思ったからです。私は、カセット·プレーヤーを持って彼の部屋に向かい、半分聞き終わっていたグル·マハラジのラウキク·ジヴァン·メ·アラウキク·サダナというお説法を流し始めました。お説法は、まず最初に『誰に対しても手をあげてはいけないと』いう言葉から始まりました。今さっき少年に向かって手をあげた私は、グル·マハラジのこの言葉にとても恥ずかしくなり音を止めてしまいました。私は、先生は生徒を指導しなければならないので、正しいことと間違ったことをきちんと理解してなければいけないこと、どうして悪行に走ってはいけないのか、悪い行いをした後の結果はどうなるかなどを熟考しました。もし同じような状況が再び起こったとしたら、生徒を改善させる為に処罰は必要かどうか、次にグル·マハラジが学校を訪れた際に助言をいただこうと心に決めました。そうしてこの思いは、誰にも打ち明けることなく心の奥に隠されました。

 数ヶ月後、グル·マハラジが4、5日の予定で学校を訪れました。スワミジがお手隙の合間に、あの疑問のお答えいただきたいとの思いが心に浮かびました。スワミジが学校に到着された日の夕方、お祈りを捧げた後に寮生に会いに広間へ出て来られると、私に向かって

「沸騰したお湯でクミンを煮出し、クミンを濾した後のお湯をここに持ってきてくだい」

とおっしゃいました。少し時間をいただいてそのお湯を作り、それを入れた魔法瓶とカップとボウルを持って広間に出て行き、グル·マハラジの隣にそれらを置いてから席に座りました。ちょうどその時、グル·マハラジはグルデヴ·スワミ·シヴァナンダジ·マハラジが書かれたユニヴァーサル·プレイヤーの説明をされていました。


 全ての名のあるもの形のあるものの中に

  あなたを見つけられますように

  全ての名のあるもの形あるもののに内在する

  あなたにお使えできますように


 神様は、あなたの母親、父親、叔父、叔母、先生、同級生、兄弟の中にいらっしゃいます。ですから、全ての人に敬意を払い、頭を下げてお辞儀をするべきです。誰に対しても無礼な感情を持ってはいけません。常に、神様の御名を心に留めておきなさい。心の中に抱いている神様のイメージは、常に敬われていなければなりません。勉強の合間などに暇な時間ができたら、いつでも神様のことを思い出しなさい。正しい行為は、最適な時に行わなければいけません。今現在の時を無駄に過ごす人は、未来も無駄にしてしまいます。ですから、役に立たないことや無駄話などにふけらないようにしなさい。あなた方全員は、知識を得る為にこの世に生を受けたのですから、時間を存分に有効に使いなさい。最後にグル·マハラジは、勉強をサボったりイタズラをして自分自身だけでなく他の人の時間を無駄にするような人は、罰せられるべきでしょうか?と生徒に質問されました。するとほとんどの生徒が、処罰を受けるべきだと答えました。

 グル·マハラジは、おっしゃいました。

「あなた方のご両親も先生も、あなたの幸福を願っています。ですから、あなた方は彼らの言う事を聞き、行儀良く行動するべきです。自分の間違いを自認できる人は、悪い癖を早く断ち切ることができ善良な人となれるでしょう。しかし、自分の間違いを隠す人は、悪い癖を増長させ悪人になってしまいます。ご両親や先生は、怒りや不満からではなく、常識的な条件下であなたの間違いを修正し正しい道に引き戻す為に処罰をするでしょう。それはまるで、陶器職人が片手で形作った粘土を下から支え、反対の手で持った棒で綺麗な形に形成していくように、ご両親や先生はあなたの為を思って罰するのです。皆さんは、良い生徒さんでしょう? 誰も悪行をする人はいないと私は信じています。」

 最後に、グル·マハラジは、持って来られた色々なものと一緒に甘いお菓子を配られました。

 私は、わざわざ聞くまでもなく、自分の抱えていた疑問の答えを全ていただくことができました。多分、グル·マハラジがクミン·ウォーターをご所望された理由はここにあったのでしょう。そうでなければ、私はグル·クティールに留まり、広間に行くことはなかったからです。


オーム·シュリー·アンタリャミネ·ナマッハ



 ある日のシャンティ·ニワスで、スワミジ·マハラジは、お豆とひょうたんを夕食に召し上がりたいと御所望されました。その頃のお料理は、茹でたものに塩とターメリックで味付けする簡素なものでした。マーケットから仕入れたひょうたんは新鮮でしたが、お豆は熟し切って虫に喰われていました。シャンティ·ニワスの菜園からもお豆を収穫しましたが、それらも虫に喰われていたので、どうしたら良いものかと私達はかなり悩み、もっと早くから準備を始めるべきだったと悔やみました。何故ならスワミジは11時にはご希望をおっしゃられたのに、通常7:30くらいからお召し上がりになる為、夕方の6時まで夕飯の準備を始めなかったからです。ですから、新しいお豆の買い出しの為に再びマーケットに行くことは時間的に不可能でした。キッチンにあったグルデヴの小さなお写真を見ながら、お導きを下さいとお祈りしながらひょうんを切り始めました。すると他のお付き者が、スワミジから伝言を伝えに来ました。お豆を切る前に、虫にやられていないかしっかり確認してから切りなさい、と。

 私は窮地から逃れ、スワミジの指示に注意深く添うことに徹しました。お野菜は全て調理され、スワミジはいつもの時間通りに夕食を召し上がられました。夕食にお出しする野菜などについて、スワミジが指示を出されたことについて考えてみる価値があります。私は夕刻に料理を始めました。今まで何度もお豆をお出ししたことがありますが、スワミジは今まで一度もお豆ついて言及されたことはありませんでした。私は、内在するセルフが問題を理解し解決してくれましたと捉えてますが、この考えを誰かに話したことは一度もありません。



 ある日、とても有名なアシュラムの高僧の地位であるマハーマンダレシュワラのスワミジが、2人の信者さんを伴ってシャンティ·ニワスにいらっしゃいました。何年も前、グルデヴがまだご生前だった頃、そのスワミジはスワルガ·アシュラムに住まわれていました。その頃たまにシヴァナンダ·アシュラムの図書館にいらっしゃったりして、その度にグルデヴのサットサンガにもご参加されていたようです。また他の時は、病院の薬局にお薬を受け取りに来られたりもされていたので、その頃からスワミジ·マハラジとも面識がありました。その方がマハーマンダレシュワラという地位に就かれた時には、スワミジ·マハラジもお祝いの儀式に出席されました。お二人が昔話をしていると、マハーマンダレシュワラ·スワミジがグル·マハラジにおっしゃいました。

「スワミジ、私には一つ疑問があります。これは、スワミジ以外に答えを知っている人はいない思っています。そして、その答えは私だけではなく、ここにいる全員にとっても、とても有益なことだと思います。ですから、皆さんの利益も考え、スワミジに疑問を投げかけてもよろしいでしょうか?」

 マハーマンダレシュワラジは、続けておっしゃいました。

「人は、自分より地位が高かったり、有名だったり、精神的に悟りを開かれた方に会う機会に喜びを感じ敬意を払います。しかし、たまに心の中に嫉妬が生じることもあります。この嫉妬の感情をなくす為には、何をすべきでしょうか? 私達は、ヴェーダのヴェーダンタやウパニシャッドを学んでマハーマンダレシュワラとなり、修道院の指導者となって数え切れないほどの御弟子さんがいますが、サンニャーサを受け入れた目的は果たしていないと思うのです。この疑問は、他の誰にもお伺いすることができません。いつかスワミジご自身にお伺いしようと、今まで心の中で温存してきました。どうか、私お導きをください。」

 スワミジ·マハラジは、しばらくの間沈黙を保たれてからおっしゃいました。

「解決方法は、とてもシンプルで簡単です。全ての人の中に神様は住まわれている、この真実を常に忘れないようにしなさい。これは、継続して練習しながら習慣にするべきです。もし神様を全ての人の中に見ることができれば、どうして他者に対して嫉妬心が生まれるでしょうか? また、あなたが嫉妬心を抱く人の前にひれ伏して、手を合わせて許しを乞いなさい。その人に嫉妬心を抱いてしまったことを謝罪し、許してもらいなさい。このようにしていれば、嫉妬心というものはすぐ消滅するでしょう。また、このような行為ができない時は、心の中でその人に対して首を垂れ許しを乞うのと同時に、神様へ強く祈りなさい。これを修練するのです。今あなたが私にお願いをしたのと同じようなバーヴァ(態度)で、神様にお祈りをしたことがありますか?」

「あなたは、隠遁できる部屋の中に自身を閉じ込め、神様もしくはイーシュワラ·デーヴァに子供のように祈りを捧げるべきです。アシュラムの中で数え切れないほどの責任を抱えていらっしゃるでしょうし、常にたくさんのお弟子さんに囲まれていることでしょう。ですから、隠遁することは難しいかもしれません。もしアシュラムの中に一人になれる場所がないのであれば、無人の場所に行って試してみるべきです。膝を付き、ハートに満ち満ちた信仰心と共に神様に祈り、強烈な献身から涙を流しなさい。

 神様、あなたの祝福によって、あらゆることを学ぶことができました。しかし、嫉妬心には打ち勝つことができていません。自己知識の為に、たくさんの勉強と復習はしましたが、効果がありません。神様、あなたには全てのことが可能です。これに関してあなたはどのように対処されるのでしょうか? 私に神様のお恵みをお与えください。

 このような祈りは、俳優が演技をしているように行われるのではなく、心からの切望に泣き叫ぶように、ハートの中心から持ち上がってくるものでなければいけません。熱望が深ければ深いほど、成功は早く起こるでしょう。しかし、ここで自己中心癖が最大の障害として働きます。同時に、あなたが学んだり習得したりしてきたことは、日常の中で実践的に反映されるべきです。そのように日常を過ごしていければ、成功はすぐやってくるでしょう。」

 このような尊い話し合いは、しばらく続きました。  



 シヴァナンダ·アシュラムのスワミ·シャニムカナンダジは、スワミジ·マハラジのグル·バイ(兄弟弟子)であり、シルディ·サイ·ババの熱烈な信者でした。スワミ·シャニムカナンダジは、毎日リシケシのシーシャム·ジャーリ通りにあるサイ寺に行って、プラサードを配っていらっしゃいました。スワミ·シャニムカナンダジのご要望で、たまにスワミジもご一緒に行かれたりしました。

 そのような時スワミジ·マハラジは、サモサ、甘いお菓子、カシューナッツのバルフィー、チョコレートなどをデラドゥンから持って行かれました。お寺に着くと、スワミジ·マハラジはサイ·ババの像の前でひれ伏してご挨拶をし、花輪をかけてお香とお供えを捧げてアラティをされました。お寺でもプラサードの準備はされていたので、スワミジ·マハラジのプラサードと一緒にそこに集まった全ての子供達に配られました。スワミジ·マハラジは、少額のお金も子供達に配りました。もちろん子供達はプラサードを大いに喜びました。

 デラドゥンのラージプール通りにもサイ寺があります。スワミジ·マハラジは、スワミ·シャニムカナンダジと一緒にサイ寺へ行く為に、2004年の1月1日にスワミジをご招待されました。スワミ·シャニムカナンダジは、もう一人のスワミジと一緒に時間通りにシャンティ·ニワスに到着されました。11時になるとスワミジ·マハラジと共に、スワミ·シャニムカナンダジと私達は、サイ寺に向けて出かけました。しかし、到着するや否や、大勢の信者さんでごった返しているのが目に入り、サイ·ババにダルシャンをするのは不可能のようでした。元日だった上、サイ·ババを尊ぶ木曜日だったので、すで順番を待つ長い行列ができていました。そこでスワミジ·マハラジは、翌日の1月2日に出直そうとおっしゃり、次の日の11時頃にお寺を再度訪問しました。私は、スワミジに指示された通り、サイ·ババへ奉納するショール、大きな花輪、籠いっぱいの果物持って行きました。とても寒い日でしたが、スワミジ·マハラジはお寺に入る前に靴下を脱がれ、そしてサイ·ババの前の床にひれ伏されたので、私達も同じようにお参りをしました。この日はお寺の中にも人はまばらでした。スワミジ·マハラジの後にスワミ·シャニムカナンダジが続き、私達はその後に続きました。スワミジ·マハラジはサイ·ババの御御足にお辞儀をされた後、すぐそば置いてあった寄付箱にお金を入れると、

「あなた達も何かしら寄付をしなさい」

と、促されました。籠いっぱいの果物、花輪とショールが祭壇の上に置かれました。スワミジ·マハラジと顔見知りの司祭が二人が出てくると、そのうちの一人の司祭が、私達がサイ·ババに持って行った花輪をスワミジ·マハラジの首にかけました。すると、一緒に行ったスワミジの一人が

「それはスワミジがサイ·ババにお持ちした花輪です。それをスワミジに返すのですか?」

と、意見しました。司祭はそれを聞くとすぐにスワミジから花輪を取り、サイ·ババに花輪をかけました。するとそのスワミジは再び口を開いて言いました。

「今、スワミジに捧げた同じ花輪をサイ·ババに捧げるのですか?」

それを言われて司祭は、少し神経質になり、サイ·ババの首から花輪を取って、またスワミジ·マハラジの首にかけました。

 スワミジは真剣な顔になられ、ご自身を指差しながら愛情を込めておっしゃいました。

「私とサイ·ババの間には、何の違いもありません。」

数秒の沈黙の後に、

「同じ神様がサイ·ババの中にも私の中にも、そしてあなた方の中にも宿られています。」

とおっしゃいました。そしてそこ置いてあったチャラナムリットを皆さんに分け与えると、スワミジご自身も一緒に召し上がられました。

 サイ·ババのマディャンハ·ボグの時間になると、司祭は、お香と光(ディーパ)とナイヴェディヤを捧げ、羽毛でできた小箒はスワミジによって捧げられました。スワミジ·マハラジは、私達全員がチャーマル·セヴァをできるようにしてくださいました。そしてアラティ後には、スワミジ·マハラジがアラティに向けてお辞儀をされたので、私達もそれに続きました。司祭はひよこ豆でできたお菓子、チャナバタシャのプラサードをくださいました。スワミジは、お寺の外側にあった火が燃え続けているアカンダ·ドーニの前にもひれ伏されました。ドーニが鎮火してしまいそうなのを見ると、スワミジは薪を焼べて一吹きされて火を燃やされました。スワミジは、ドーニの灰であるヴィブーティを額に塗りたくると、私達にも同じようにするよう伝えられました。私達はそれに従い、お寺の周りを回ってから外に出ました。

 その日のお寺はお祝いの日であるバンダーラで、門のそばでプラサードが配られていました。プーリ、ハルワ、じゃが芋、かぼちゃ、豆などの野菜も配られていて、お付きの一人がそれらのプラサードを葉っぱのお皿乗せて持ち帰りました。スワミジ·マハラジは、シャンティ·ニワスに戻られると、まず太陽の下でお散歩を楽しまれました。それからベランダに座られて、プラサードをご所望されました。そして、信者さん達をお側に呼ばれると、膝立ちになるように伝えスプーンで少量ハルワを食べさせました。スワミジから祝福を受けて幸せそうな彼等には、家族持ち帰るプラサード少しずつ持たされました。それからスワミジは、ご自分用にほんの少しだけのプラサードを取ると、残りは全部そこにいた全員で分けなさいとおっしゃいました。



 2008年のある日の夕方、スワミジはシャンティ·ニワスのベランダでお散歩をされた後、廊下にある祭壇の前でストーットラを唱えられていました。


ナモストヴァナンターヤ サハッスラムールタイェ

サハッスラパーダ クシロールヴァヴェ

サハッスラナムネー プルシャーヤシャシュヴァテ

サハッスラコーティユガダール ネー ナマッハ


 スワミジが何度も繰り返し唱えられていると、一人のスワミジが

「スワミジの唱え方は、スワミジご自身がサハッスラムールティ(1,000の御姿があり)でサッハスラーパーダ(1,000の御御足があり)でアーナンタ(聖なる蛇)のようですね」

と言いました。するとこれを耳にしたグル·マハラジは、すぐに

「そうですとも!」

と賛同されました。ご自身の手を胸の上に置かれ

「同じ神様は、ここに宿っているし、他のあらゆる所にも宿っていらっしゃいます。アーナンタであり、偏在されるサハッスラムールティに何度も何度もひれ伏します。」

そうおっしゃると、またストーットラ唱えられてから、お部屋へ戻られました。



 2004年の4月に、マー·アーナンダマイイー·アシュラムのスワミ·バスカラナンダジ·マハラジが、グル·マハラジのダルシャンを受けににシャンティ·ニワスにいらっしゃいました。スワミジ·マハラジは、スワミ·バスカラナンダジの前でお辞儀をされると

「ジャイ·マー!」

とおっしゃり、スワミ·バスカラナンダジもグル·マハラジの前でお辞儀をされました。グル·マハラジは、スワミ·バスカラナンダジの中にいらっしゃるマー·アーナンダマイイーのダルシャンを受けていたようです! スワミジ達は、思い出話に花を咲かせました。

 グル·マハラジは、アシュラムに帰ってくる旅の途中で起きた過去の出来事についてお話しされました。スワミジがハリドワールで電車を降りた時、マー·アーナンダマイイーが彼女のカンカルのアシュラムいらっしゃることを知りました。お付きの者にアシュラムに運んでおくよう荷物を託すと、グル·マハラジご自身はマーのダルシャンを受けにカンカルに向かわれました。それはとても冷え込んだ朝のことでした。グル·マハラジが直接マーのお部屋のそばまで行かれると、マーのお付きの修行僧が、シヴァナンダ·アシュラムからババが到着したと、マーに伝えました。ほとんどの人がマーと呼んでいたので、グル·マハラジもマーと呼ばれていました。そしてマー·アーナンダマイイーは、グル·マハラジのことをババと呼ばれていました。マーは、すぐにお部屋から出ていらっしゃったので、グル·マハラジはマーの前にひれ伏してご挨拶をされました。するとマーはおっしゃいました。

「ババ、誰を前にして挨拶されているのですか? ここには、あなたも私も他の誰もいませんよ。何故プラナムするのですか? 今ここにある全てのものは、一時的で儚いものです。至る所に在るのは、神様だけです。ですから、そんな挨拶など堅苦しいもの必要性はありませんよ?」

 グル·マハラジは、お辞儀をしたまま静寂を保たれていらしゃいました。マーはグル·マハラジを中に呼び寄せ座らせると、数え切れないほどたくさんのお話をされました。グル·マハラジには、牛乳が出されました。帰り際にスワミジは両手を合わせてマーに許しを乞いました。

「マー、私は今日ここに来ることを予定していませんでした。リシケシに帰る途中、あなたがここにいらっしゃることを聞いて、ダルシャンをいただきたいと直接来てしまったのです。早朝で何も買えずに手ぶらで来てしまったことをお許しください。」

 するとマーは、

「ババ、あなたは私のことをマーと呼ぶのに、そんな話し方をするのですか? マーにとっては、ババに会えることが最高の贈り物です。生命の宿らない如何なる物も必要はありません。」

 マーのアシュラムを後にすると、グル·マハラジはアシュラムでのご自身のお部屋であるグル·ニワスに戻っていらっしゃいました。数ヶ月して、サムヤム·サプタ(サダナ·サプタ=修行に専念する7日間)の時期となりました。マーのリクエストもあったので、グル·マハラジはサムヤム·サプタの頃によくカンカルに足を運ばれていました。グル·マハラジは、その都度バタシャで一杯にした大きな袋を持って行かれていました。ある時、マーのお部屋のそばまで行かれると、マーのお付きの方が部屋の中に入って

「シヴァナンダ·アシュラムのババが今到着して、大きな袋いっぱいに何か持ってこられました。」

と伝えると、

「きっとバタシャを持ってきてくれたのでしょう。」

とマーは答えられました。そして

「今、プールナに頼んでしまったばかりだけれど、マーケットからバタシャは買ってこなくていいと伝えなさい。早くしないと出かけてしまうから、すぐに行きなさい。」

と伝言をされました。

 マーが部屋から出て来られると、グル·マハラジはマーの前にひれ伏してご挨拶をされ、マーはグル·マハラジをお部屋の中に迎え入れました。先程のお付きの者が戻ってくると、プールナはすでにマーケットに出かけた後だったと伝えられました。しかし、しばらくしてプールナが戻って来ると、

「今日はお店がお休みで、バタシャを買って来られませんでした。」

と言いました。

 マーは

「ババがバタシャ持ってきてくれたから、何も心配することはありません。」

とおっしゃいました。

 サムヤム·サプタが終わると、マーはハンカチとバタシャを全員の信者さん達に配られました。話し合いが続いている中で、スワミ·バスカラナンダジと一緒に到着した外国人の一人がグル·マハラジに質問をされました。

「私はこのように瞑想をしていますが、スワミジの視点からすると、どのよう瞑想するべきでしょうか?」

スワミジは

「瞑想のような精神的な宝物は他にはありません。ですから、それに入っていく前に基礎的な実践がとても大切です。まず最初に、ヤマ、二ヤマ、アサナ、プラーナヤーマなど修練するべきです。特にヤマと二ヤマは大切です。ヤマには5つの規律があります。サッティャ(誠実さ)、アヒムサー(暴力的にならないこと)、ブラフマチャーリャ(貞節)、アパリグラハ(富をむやみに欲しがらないこと)、アステーヤ(盗まないこと)です。そして二ヤマにも5つ規律があります。シャウチャ(浄化)、サントーシャ(満足)、タパス(苦行)、スワディヤーヤ(聖典の勉強)、イーシュワラ·プラニダーナ(神様への帰依)です。これらは日常の生活の中でも実践されていかなければいけません。

 また、一つの座位で長時間座れる練習も必要です。プラーナヤーマも練習するべきです。プラーナヤーマを練習することで、生命力を呼吸で調整することが簡単になります。そうしてこそ、瞑想は成功させることができ、その中で上昇していくことができるでしょう。ですが今は、あなたが瞑想している方法を続けていき、同時にこれらの練習を実践していきなさい。あなたは少しサダナに対して意思が弱いようなので、ハリドワールやリシケシのようなタポブーミに辿り着いたのであれば、この機会を有効活用するべきです。200マーラーのジャパをしなさい。意味を考えながら、ギーターのスローカを詠唱しなさい。マハリシ·パタンジャリの『ヨーガ·スートラ』、『バクティ·ヨーガ』、『ディャーナ·ヨーガ』読みなさい。あなたのサダナに常に不変でありなさい。」

 その後でスワミジは、そこにいらっしゃった全ての人にプラサードを配られました。



 グル·マハラジは、アシュラムにいらっしゃった後、何年もの間バドリナートに行かれたことがありませんでした。このことをグルデヴ·スワミ·シヴァナンダジが知ると、こうおっしゃいました。

「毎年、バドリナートに行く多くの信者さん達に旅の詳細を伝えているのに、あなた自身は行ったことがないのですか? まずは、バドリナートジのダルシャンをしに行ってきなさい。」

するとグル·マハラジは

「いくつかのアシュラムのお仕事が終わっていませんので、それを終えてから行ってみたい思います。」

と、おっしゃいましたが、グルデヴは

「仕事は、ひっきりなしに続くでしょう。とにかく行ってきなさい。そしてバドリナートジからダルシャンをいただいてきなさい。」

とおっしゃいました。スワミジ·マハラジはグルデヴに従うしかありませんでした。

 グルデヴは、荷物運び要員として、山岳地帯出身の男性をスワミジに同行させました。なぜならその頃の旅と言えば、徒歩で向かうしかなかったからです。グルデヴは、幾らかのお金と一緒に、茶葉、お砂糖とマッチも持たせました。グルデヴはその男性に、スワミジ·マハラジのお手伝いをしっかりとするようにと伝えました。スワミジ·マハラジご自身は、自分の仕事をスワミ·クリシュナナンダジ·マハラジとスワミ·ヴェンカテシャナンダジ·マハラジに託し、グルデヴから祝福をいただいてバドリナートへと旅立たれました。その頃、スワミジ·マハラジはたった1足の靴下しかお持ちでなく、寒い時にはその靴下を履かれ、また手が寒いと感じれば同じ靴下で両手を覆われたりもしていました。数日後、スワミジはバドリナートでシュリ·バドリ·ヴィシャールのダルシャンを受けました。その時バドリナートには、病気のサドゥが数人おり、スワミジ·マハラジはすぐに彼らの看病を始めました。薬が必要だったのですが、今と同じようにお店や薬局がある訳ではありません。スワミジ·マハラジは、付き人であったシャムブー·プラサードをアシュラムに戻し、薬と食料を持ってくるよう調整しました。何日かすると、シャムブー·プラサードが薬を持って戻って来て、それによって病気だったサドゥ達も元気に回復しました。それから何日か後に、スワミジ·マハラジはアシュラムに戻られました。その時以降、シャムブー·プラサードは、スワミジ·マハラジの元を訪ねて来るようになりましたが、ご多忙なスケジュールや海外巡業などによって、長らく会えない時期がありました。このお話は、何かの集まりの時にスワミジ·マハラジご自身がお話されたものです。

 何年も経った後、スワミジ·マハラジはシャムブー·プラサードのことを思い出されました。シャムブー·プラサードは経済的に困窮していた局面で、ちょうど同時期にスワミジ·マハラジのことを思い出されていたようです。この頃、スワミジ·マハラジは体調を崩されていました。ある日、シャムブー·プラサードの親戚がシャンティ·ニワスを訪れ、彼がスワミジ·マハラジのダルシャンを切望していることを伝えましたが、スワミジがご病気だったこともあり実現しませんでした。しばらく経った後、彼がスワミジ·マハラジ会いたいと熱望している旨が再び伝えられると、スワミジ·マハラジはおっしゃいました。

「過去何年もの間、私は彼のことを思い続けていました。しかし、彼の電話番号を知らなかったので、連絡の取りようがありませんでした。アシュラムの中でシャンブー·プラサードのことを知っている人に尋ねても、無駄な努力に終わっていました。」

 何ヶ月か経った後、シャンブー·プラサードは、スワミジ·マハラジが彼に会いたがっているということを知りました。

 ある夕方、シャンブー·プラサードはシャンティ·ニワスにやって来ました。スワミジ·マハラジに彼の来訪が伝えられると、スワミジ·マハラジはすぐに彼をそばに呼びました。スワミジ·マハラジとシャンブー·プラサードの再会は、まるで何年も離れて暮らしていた母と息子の再会のようでした。シャンブー·プラサードは、感極まって涙を流していました。彼はデラドゥンのライプールに奥さんと一緒に住んでいて、息子は結婚をして他の場所で働いていました。どう過ごしているか聞かれると、経済的な支援を受けていることを話し始めました。するとスワミジ·マハラジは、今度は家族と一緒に来なさいと伝えられました。

 数ヶ月後、シャンブー·プラサードが病に倒れました。このことをグル·マハラジが知ると、即座にかかりつけ医のギルホトラージ医師に電話をかけられ、シャンブー·プラサードを入院させて治療してもらえるよう頼まれました。ギルホトラージ医師はよく面倒を見てくれましたが、シャンブー·プラサードは、1日に何度もおチャイを飲みながらタバコを吸うという悪習慣を持っていて、それが致命的だったようです。彼は、病院のスタッフに対して癇癪を起こしたりしましたが、ギルホトラージ医師だけは彼を宥めて愛情と共に食事や薬を与えてくださったので、最終的に治療を終えて家に戻ることができました。

 ある日、スワミジ·マハラジは、シャンブー·プラサードの家を訪問したいとおっしゃいました。一人のスワミジが彼の家の所在を確かめに行くと、次の日にはスワミジ·マハラジはシャンブー·プラサードの家を訪ねられました。シャンブー·プラサードは、スワミジ·マハラジの姿を見てびっくりしました。スワミジ·マハラジは、シャンブー·プラサードのすぐ隣に座られると、肩に手を置いて話し始められました。スワミジは、まるで本当の親のように健康を保つ方法について徹底的に指導され、同時に常に神様の御名を復唱していなさいと助言されました。帰り道の途中、スワミジ·マハラジは、

「彼が使用しているあの不衛生なベッドは、誰が寝ても病気になるだろう」

とおっしゃったので、次の日には、新しいマットレス、枕、毛布、布団などが購入され、彼の家に搬入されました。彼が病気になる度に、スワミジ·マハラジは適した治療を手配されました。シャンブー·プラサードが人生の最期に病気になると、スワミジ·マハラジはヴィシュワナータ·マンディールでのプージャとハヴァンを実行され、その後にシャンブー·プラサードは亡くなられました。その時も、スワミジは彼の魂の平安とアートマ·カリャンを祈られていました。



 神聖なる巡業の間、グル·マハラジは何度もチェンナイに行かれる機会がありました。パッタマダイに行くには、チェンナイを経由する必要があったからです。その頃は、その町ごとに信者さん達がスワミジをお迎えし、またその町からお送りするということをしていました。チェンナイの信者さんの中に、グル·マハラジを見るとひれ伏すことなく立ったまま

「サシュタング·プラナム(八体倒置でご挨拶します)」

と言う人がいました。

 ある日、グル·マハラジが電車でチェンナイのエグモア駅に到着された時、雨が降っていてホームが一面濡れていました。グル·マハラジが電車から降りられると、例の人が両手を合わせながら

「サシュタング·プラナム、スワミジ」

と言って近付いて来ました。するとグル·マハラジは、突然その人の前で雨にぬかるんだホームにひれ伏したのです。そこにいた全ての人が言葉を失いました。ご挨拶を終えて立ち上がられると、グル·マハラジのお召し物は泥々になっていました。何事もなかったように歩き始めたスワミジ·マハラジは、ふと足を止めるとその人に向かって言いました。

「今のが本当のサシュタング·プラナムです。ひれ伏した時に、あなたの8つの体の部位が地面に触っていることを指すのです。真のサシュタング·プラナムとはどういうものか、しっかり覚えておきなさい。」

 そしてスワミジは、そのまま次の目的地に向かわれました。それ以降、その人は二度とそのご挨拶の言葉を言わなくなりました。グル·マハラジのお姿を見る度、無言でスワミジの前にひれ伏すようになったのです。



 シャンティ·ニワスでは、改築工事が行われていました。リシケシのシヴァナンダ·アシュラムから石工技師と労働者がやって来ましたが、人数があと一人足りませんでした。そこで、デラドゥンにいたラクシャ·ラーマと言う人を雇うことにしましたが、彼はその仕事をするには少し若すぎるようでした。彼は、ファイザヴバッド村の近隣に住んでいる9年生の学生でしたが、彼の家族は学業を続けることに反対をしていました。しかし、ラクシャ·ラーマは学問を続行することを望んでいました。そこで、夏休みの間だけ十分な賃金を得られない村を出て、義理の兄を頼ってデラドゥンでお金を稼いで貯金しようと思っていました。

 グル·マハラジがこのことを知ると、ラクシャ·ラーマをご自身のお部屋に呼ばれて尋ねられました。ラクシャ·ラーマはスワミジに、高校生を卒業するまでに約7000ルピーが必要であることを伝えました。グル·マハラジが

「高校を卒業したら何をするつもりですか?」

と尋ねられると、ラクシャ·ラーマは

「短大か専門学校に進みたいと思っています」

と答えました。

スワミジ·マハラジは続けて

「あなたの村に大学はありますか? もしないのであれば、一番近い大学はどこですか?」

と尋ねられました。ラクシャ·ラーマは

「私の住んでいる村にはありませんが、近くのファイザヴバッド村に1つあります。多分30km程の距離です。」

と答えると、スワミジ·マハラジは

「高校を終える為の7000ルピーをあなたに差し上げましょう。でも、今すぐに村に帰って、学校の先生にI.S.C.かB.Sc.に5年間通うと、どのくらいのお金がかかるのかを聞いて来なさい。大体でいいので、大学に支払う金額、制服などの衣類、ホテルの費用、コンピュータなど学業に必要なもの、授業料、大学と実家を行ったり来たりする通学費などを簡単にメモして持って来なさい。」

そう伝えられると、ラクシャ·ラーマは村に帰る旅費と食べ物を渡されました。

 ラクシャ·ラーマは、グル·マハラジから5年間大学に通う学費の支払いの申し出を受けました。また、両親と一緒に7000ルピーを振り込む銀行口座も作ってくるよう言われました。ラクシャ·ラーマは言われた通りに村に帰り、数日して銀行口座の詳細と共に戻ってきました。また、2年の短期大学にかかる費用が大体75,000ルピーになるメモを持ってきました。シャンティ·ニワスのお付きのスワミジ達は、自分達で話し合った後、実際に書いてあった以上の金額にして費用の概要を知り合いの教授に相談しました。金額の詳細がグル·マハラジに渡されると、スワミジはその金額の為替手形を用意され、ラクシャ·ラーマが将来的に困ることがないように銀行宛に手紙も書かれました。

 まだ若い学生の子に、そんな大金を渡すことに躊躇することなく、グル·マハラジはラクシャ·ラーマの金銭面を全面的にサポートしました。ラクシャ·ラーマは、そこから幸せな学生時代を終えることができました。


雲は頼んでもいないのに雨を降らしてくれます

同じように聖人は、頼まなくとも常に他人の幸福を形にしてくれます

バルトリハリの二ティ·シャタカムより



 グル·マハラジは、ヴィンディャチャルにあるマー·アーナンダマイイーのアシュラムまで、会合に参加されに行かれました。ヴィンディャチャルのアシュラムは山岳地帯にあり、グル·マハラジはアシュラムのそばにある宿舎に滞在されることになりました。グル·マハラジのお部屋の裏には、曲がりくねった急峻な小道が遠くの村まで続いていました。ある日の昼食の後、グル·マハラジが手を洗われながら小窓からその小道に目を向けると、たくさんの荷物を乗せた手押し車を押して歩いている老人と子供の姿が見えました。子供は10歳くらいに、老人は60歳を超えているように見えました。老人は手押し車を押し上げ、子供がそれを上から引っ張り上げようとしていました。焼けつくように暑い日だったので、曲がりくねった道で手押し車を進めるのは、とても骨の折れる仕事のようでした。スワミジの神聖なるハートは、その光景を見てすぐに溶け始めました。すぐに一人のお付きのスワミジを呼ぶと、果物、ビスケット、水入れた水筒とお金を用意するよう指示されました。グル·マハラジはそれを伝え終わるとすぐに、老人と子供の元へと向かわれました。指示を受けたスワミジは、言いつけられたのものを袋にまとめ、すぐにグル·マハラジの後を追いかけました。そこには1.5メートル程の土の壁が、グル·マハラジと老人の間に立ちはだかっていました。グル·マハラジは、後から来たお付きのスワミジの背中使わせてもらい、その壁を乗り越えると、お付きのスワミジもなんとか壁を乗り越えました。老人と子供の所に辿り着くと、グル·マハラジは老人と一緒に手押し車を押され、お付きのスワミジは子供と一緒に引っ張り始めました。少し先の小道の脇に大きな木があったので、そこまで手押し車を進めると、老人と子供に少し休憩を取るようグル·マハラジはおっしゃいました。手押し車が倒れないように停めると、皆で木陰に腰を下ろしました。

 グル·マハラジは、堅苦しくならずに親切に、果物とビスケットを二人に渡すと食べるよう促されました。老人はグル·マハラジの愛情に圧倒され、尊敬の眼差しで見つめられていました。水筒の水で、喉の渇きも癒されました。老人も子供も、プラサードをいただいてとても満足そうでした。グル·マハラジは持って来られたお札を丸めると、老人の衣類の中に挟み込みながらおっしゃいました。

「尊敬するグルデヴ·スワミ·シヴァナンダジからのちょっとした奉納の品としてお受け取りください。私達は、グルデヴのお付きの者です。グルデヴのアシュラムは、ガンジス川のそばのムニ·キ·レティに位置しています。私達は、そこに住まわせいただいているだけのものです。」

 少し休憩を取った後、グル·マハラジはまた老人と一緒に手押し車を押し、お付きのスワミジは子供と一緒に前から引っ張りました。そしてなんとか急峻な斜面を登り切ると、村にも大分近付いたので、そこから家に帰るのは問題ないようでした。けれどもグル·マハラジは、本当に問題なく帰ることが出来るか何度も確認されながらおっしゃいました。

「毎日の日課をそのまま続けなさい。そしてその間に神様の御名前を唱えなさい。手では仕事をしながら、口元では神様の御名前を呟きなさい。」

そのように二人は祝福を受けると、幸せを噛み締めながら家路へ就きました。

 『思考、言葉、行為を通じて他者の幸福に常に従事すると言うことは、聖人の自然な本質です』

これはラーマチャリタマナスの格言です。



 グルデヴが生まれ育ったパッタマダイには、グルデヴの生誕100周年を記念して建てられた慈善病院があります。スワミジ·マハラジは、毎年数日間そこへ足を運ばれ、滞在中は朝と夕方の祈りの集会に出席されていました。その集会は講堂にあるグルデヴの彫像の前で行われ、祈りを捧げた後にスワミジ·マハラジが短いお説法を説かれ、最後にスワミジ·マハラジの手から直接プラサードが配られていました。

 スワミジ滞在の最終日、朝の集会とお説法を終えると、スワミジ·マハラジはいつものようにプラサードを配られ始めました。出席していた全員の人に配り終わった後も、スワミジ·マハラジはプラサードを手に持ったまま座られていて、誰かを探すように辺りを見回されました。

 そこで一人の信者さんが、

「皆さん、プラサードをいただきましたか? 受け取っていない方はいませんか?」

と尋ねられると、スワミジは

「毎日、少女がプラサードをもらいに来ていたのに、今日は来ていないようですね。白地に赤いラインの入った洋服を着て、鼻にピアスをしていた少女です。毎日ちょうどあの辺に座っていましたが、今日は誰も彼女を見ていませんか?」

と尋ねられました。

 お付きのスワミジ達は、その日は少女を見ていないと答え、そこにいた信者さん達の間でも探しましたが、誰も姿を見た人はいないようでした。

 するとスワミジは、

「きっと彼女はマータ·カンニャクマーリだったに違いない! ここはグルデヴの誕生の地であり、とても聖なる場所です。母なるカンニャクマーリの聖なる御御足のお力とその祝福によってとても恵まれていています。女神様の祝福によってこの土地はとてつもなく祝福されています。」

 人々は驚きました。女神様は人間の御姿をされてまでも、スワミジ·マハラジご本人の手から直接プラサードをいただきたかったということです。このような出来事は深く探求されるべきです。



 スワミジ·マハラジがパッタマダイに滞在されていた間、ガンジャム地区から夫婦とその息子がスワミジの祝福を受けに来ました。息子は血液の癌で闘病中で、治療を進めてもなかなか結果が出ない日々を過ごしていました。そのような苦悩の中、グル·マハラジだけが慰めであり支えであると、どうにかグル·マハラジに嘆きを聞いてもらいたいと長い間願っていました。そしてある日、グル·マハラジがパッタマダイいらっしゃることを聞きつけ、ようやくスワミジにお会いできる機会を得たと言う訳です。

 グル·マハラジには、彼等の苦悩が伝えられました。すると翌日、グル·マハラジは病院へと向かわれました。グル·マハラジが門をくぐる頃には、病院で働かれているスワミジ達、ボランティアの皆さん、その他のスワミジ達、それにたくさんの信者さん達に囲まれてしまいました。その人混みの後ろ方に、ご両親と息子さんが立っているのを目にすると、グル·マハラジはすぐにその男の子を自分のそばに呼ばれました。グル·マハラジは、両手を男の子の頭の上に置くと、数分かけてマントラを唱えられながら、慈愛に満ちたブッダのように祈り続けられたのです。最後にスワミジは

「サッドグルデヴ·スワミ·シヴァナンダジがあなたを祝福しますように!そして長寿を授けてくださいますように!」

とおっしゃいました。そして父親に向けて話し始めると、スワミジの愛と心遣いを感じた両親の目からは涙が溢れ祝福を実感しているようでした。次の日には、そのご一家はパッタマダイから家に戻られました。何年か経った後、その少年が完治し普通の生活を送っているとのニュースが届きました。



 スワミジ·マハラジがアシュラムにいらっしゃる間は、いつもサマディ·マンディールで行われる朝と夜のサットサンガに必ず出席されていました。夜のサットサンガの後など、スワミジ·マハラジはちょっとした言葉を交わすことで招待者や訪問者、信者さん達を祝福されていました。何年も前のこと、スワミジ·マハラジはお席に着かれたまま、周りに座られた信者さんやアシュラムの修行僧などに言葉をかけていらっしゃいました。前列にいた信者さん達は座られていて、後ろの方の人達は立ったままでしたが、スワミジ·マハラジは一人一人全員に声をかけられていました。すると突然、スワミジ·マハラジは一人のマタジを呼ばれました。その女性は、聴衆の一番後ろに立っていました。マタジの前に立っていた女性は、自分が呼ばれたものと勘違いしてスワミジの方に向かって歩き出しましたが、スワミジは

「あなたではなく、あなたの後ろに立っていらっしゃる方です。」

とおっしゃいました。

 その女性は、大得意になってそばにいた息子らしき人と一緒に前に出てきました。彼女はどこかの村の出身のようでしたが、バクティマティでした。スワミジの前の狭いスペースの中でうやうやしくお辞儀をしました。スワミジ·マハラジは、そのマタジと長い間お話をされ、ジュムリタライヤ村の皆さんの様子を一人一人名前を挙げて伺われていました。最後にスワミジ·マハラジがプラサードを差し上げようとすると、マタジは突然スワミジ·マハラジに贈り物を持ってきたことを思い出しそれを探し始めました。するとそばにいた人がガラスの入れ物を指差して

「これをお探しですか?」

と言いました。マタジは

「それです、それを探していました。」

と言いました。スワミジ·マハラジがマタジに声をかけられた時、マタジはとても幸せな気分になり、スワミジの所へ入れ物を持って行くことをすっかり忘れてしまったのでした。その入れ物には、彼女のお手製のグラブ·ジャムが入っていました。入れ物をスワミジ·マハラジに渡しながら

「これをスワミジにお持ちしました」

と、マタジは言いました。

 スワミジ·マハラジは、その入れ物を受け取られると、そばにいた信者さんの一人を手招きされました。その信者さんは、入れ物の蓋を開けられると、グルデヴのサマディに捧げる為、大切に両手で持って行きました。

 さらにスワミジは、スプーンを持ってくるよう伝えると、グラブ·ジャムを2つ続けて召し上がられました。それまでスワミジ·マハラジは、薬などを服用する以外は、お食事の時間以外に何かを召し上がられることは一切ありませんでした。何かを召し上がる時は、お食事と一緒に召し上がられていました。おそらくそのような違反を目撃できたのは、真の信仰心がそこに存在した証拠でしょう。これを見てマタジは、感極まり涙を流していました。

 2つのグラブ·ジャムを召し上がられると、スワミジ·マハラジは

「皆さんにも配ってください。」

とおっしゃいました。一人のスワミジが、一人一人にそのプラサードを配られました。そこには大人数人がいたので、プラサードの数が足りなくなってしまうだろうと思った私は、特別なプラサードがなくなってしまう前にもらっておこうと前に出て受け取りました。信者さん達はスワミジ·マハラジに視線を注いでいましたが、私の目はプラサードに釘付けでした。全ての人にプラサードが行き渡った後、残った4つのグラブ·ジャムは容器ごとスワミジ·マハラジの前に戻されました。その容器を見てスワミジ·マハラジは

「グル·ニワス持ち帰りなさい。」

とおっしゃいました。他の信者さん達にも祝福を与えた後、スワミジ·マハラジはグル·ニワスに戻られました。

 何年も前にスワミジ·マハラジは、ナイニタールのそばのカインチまでニーム·カロリ·ババのダルシャンを受けに数人の信者さんと一緒に行かれたことがありました。スワミジが到着された時、ババは何人かの信者さん達と一緒にお部屋に座られていました。スワミジ·マハラジはババの前でご挨拶をされると、持ってきたオレンジの入った籠を差し出されました。ババは、そのオレンジをプラサードとしてそこにいた皆さんに配られました。信者さんの人数は、籠に入ったオレンジの2倍くらいだったのですが、配り終わった後にもいくつかのオレンジが籠の中に残っていました。それと同じことが今日、目の前で起こったのです。スワミジはこのオレンジの出来事をお話しされることはあったのですが、スワミジご自身で同じようなシッディ実現させるのは初めてでした。



 ある時、スワミ·シヴァナンダジ·マハラジの2人のお弟子さんが、議論しながら熱い言葉を交わしていました。グルデヴ·シヴァナンダジ·マハラジがこれを知ると、誰に伝えることもなくニラハラに留まると、彼らに対して神様の許しをお願いすると共に彼らのサッド·ブッディ(真の識別知)に向けて祈られました。グル·マハラジも、その状況の中で同じようにされ、お弟子さん達のサンマティに向けて神様に祈りを捧げられました。同時にスワミジは、グルデヴの編曲された『ラーマ神の内在性』という歌を歌うことがあったのですが、それを歌い始めるといつも他の人にも一緒に歌うようお声かけをされました。


オーム シュリー ラーム ジャヤ ラーム ジャヤ ジャヤ ラーム

シュリー ラーム ジャヤ ラーム ジャヤ ジャヤ ラーム


土にも、水、火、風、空にもラーマ神が内在されています。

心臓、心、プラーナ、感覚の中にもラーマ神は内在されています。

呼吸、血液、神経、そして脳の中にもいらっしゃるのがラーマ神です。

感情、思考、言葉と行為の中にもラーマ神はいらっしゃいます。

内在しているのも外側にあるのもラーマ神で、目の前にいらっしゃるのもラーマ神です。

上にも下にもいらっしゃり、後ろにいらっしゃるのもラーマ神です。

右側にも左側にもいらっしゃり、どこもかしこもがラーマ神です。

ヴャーパクも、ヴィブーも、プールナムもラーマ神です。

オーム シュリー ラーム ジャヤ ラーム ジャヤ ジャヤ ラーム

シュリー ラーム ジャヤ ラーム ジャヤ ジャヤ ラーム

サットはラーマ神です。チットもラーマ神です。アーナンダもラーマ神です。

シャンティもシャクティもジョーティもラーマ神です。

プレムも慈愛も美しさもラーマ神です。

至福、喜び、純正も全てラーマ神です。

避難場所、慰め、道のり、神様、傍観者はラーマ神です。

お父さん、お母さん、友達、親戚、グルはラーマ神です。

支援、原因、中心、理想、目的はラーマ神です。

創造主、保護者、破壊者、回復させる人もラーマ神です。

オーム シュリー ラーム ジャヤ ラーム ジャヤ ジャヤ ラーム

シュリー ラーム ジャヤ ラーム ジャヤ ジャヤ ラーム

あらあゆる人の究極の目的地はラーマ神です。

シュラッダ、プレム、礼拝を通じて達成することができるものはラーマ神です。

信仰心と身を委ねることで手に入れられるものはラーマ神です。

祈り、ジャパ、キールタンによって近付いていけるのはラーマ神です。

ラーマ神を賛美し、ラーマ神の栄光を称え、ラーマ神に勝利を。

ラーマ神を崇拝し、ラーマ神にご挨拶し、ラー前にひれ伏します。

オーム シュリー ラーム ジャヤ ラーム ジャヤ ジャヤ ラーム

シュリー ラーム ジャヤ ラーム ジャヤ ジャヤ ラーム



 多分これは別の意味を暗示しているのでしょう。生命のあるものと無生物、目に見えるものと目に見えないものの全てがラーマ神であるならば、誰に対して、もしくは何に対しても憎悪や悪意を抱けるしょうか? 誰に対して腹を立てるのでしょうか? 敵意を剥き出しにしたり、誰かに立腹したりするということは、神様に対して憎悪の感情抱いているということになります。ですから、あらゆる人を愛するべきです。

 ある時スワミジ·マハラジは、車椅子でシャンティ·ニワスの周りを散策されていました。私達お付きの者達は、スワミジの後をついて歩きながら、チャイタンニャ·マハープラブーについて話し合っていると、スワミジ·マハラジに質問が出ました。

「スワミジ、チャイタンニャ·マハープラブーがジャガンナート·プーリーにいらっしゃった時、彼は一度もヴリンダーバンに行かれたことがありませんでした。まず最初に、彼はお弟子さん達をクリシュナ神が偉業を成されたそれぞれの場所に送られました。どのようにして、クリシュナ神がどの場所でどの偉業をしたのか知り得たのでしょうか?」

 それに対してスワミジ·マハラジは

「考えてみなさい。悟りを開いた魂は、知りたいことについてなんで知ることができるのです。それが過去のものであれば、まるでテレビを見ているように、もしくは今わたしがあなたを見て話をしているようにわかるのです。」

すると、すぐ聞き返しました。

「スワミジご自身も、同じように見ることができるのでしょうか?」

 スワミジ·マハラジは、この問いかけに返答されませんでした。残りの時間、私達は一緒にいましたが、スワミジは完全なる静寂を保たれていました。この理由については、スワミジ·マハラジはその後も明らかにすることはありませんでした。



 ある日、スワミジ·マハラジはテラスに座られ、シュリー·ラーマクリシュナ·パラムハムサについてのお話をしてくださいました。ラーマクリシュナ·パラムハムサは、サダナを通じて異なった手法で神様を実現した唯一の聖人でした。どの道を進もうとも、それに完全に専心されていたからです。

 一人のスワミジが尋ねました。

「ラーマクリシュナ·パラムハムサは、肉体の中に生きているのではなく、何年も前にブラフマリーンになりました。悟りを開いた魂は、過去の時を喜んで観察し続けるでしょうか?」

 スワミジ·マハラジはおっしゃいました。

「はい、はい。確かに彼にはできました。」

するとスワミジは、すぐに話の話題を変えられました。



 2007年12月のこと、デラドゥンのリバー·デイル学校の何人かの生徒さんが、校長先生に連れられて、スワミジ·マハラジとのダルシャンを受けにシャンティ·ニワスにやって来ました。それまでも校長先生は、毎年12月になると何人かの生徒を連れてスワミジのダルシャンに来ていました。この年は、生徒さん達が賛美歌を歌ってくれたので、スワミジも彼らと一緒に口ずさまれました。生徒さん達は、シュリー·シャンカラチャーリヤによるニルヴァーナサットカム歌った後、バガヴァッドギーターの15章を詠唱され、へー·プラブー·アーナンダダータを歌われました。それを聞きながらスワミジ·マハラジはとても幸せそうでした。スワミジは皆さんに

「ご両親と先生に敬意を払って、言うことをきちんと聞くように。全ての中に神様は在られます。ご両親や先生は、神様が顕現された御姿です。誰に対しても思いやりの心を持ち、友好的でありなさい。誰であっても憎んではいけません。誰に対しても怒りを見せてはいけまんせん。怒りは、自分自身の敵だと知りなさい。癇癪を起こすと、それは他の人だけでなく、自分自身をも傷つけけます。全ての中に神様はいらっしゃいます。誰かに対して怒りを感じたり憎しみの心が生じたりしたら、それは神様に対して怒っているのと同じです。また、一度たりとも嘘はついてはいけません。嘘つきは大きな罪です。そして、時間はとても貴重ですから、浪費しないように効果的に使いなさい。何かをしている時、完全なる信仰心と共にその行為を行いなさい。そうすることで、人生は成功へと導かれて行くでしょう。真実だけを話しなさい。正義でありなさい。偉大と言われる人の伝記を読みなさい。心は移り気です。ですから、常に良い行為によって忙しくさせておきなさい。」

 生徒さんの中の二人は、イスラム教徒でした。スワミジ·マハラジは彼らに、毎週金曜日にイスラム教の経典を読みにモスクに行くか聞かれました。すると彼らは

「はい、行きます。」

と答えました。するとスワミジは

「金曜日はもちろんですが、経典は毎日読むべきです。」

とおっしゃいました。スワミジ·マハラジはキールタンを歌われ、シャンティ·パータを詠唱され、最後に皆さんにプラサードを配られました。



 ある冬の夜、サマディ·マンディールで行われたナイト·サットサンガの後、スワミジ·マハラジはグル·ニワスに戻られました。グル·ニワスの前には数件のお店があるのですが、そのうちの一軒の軒先で、一人の男性が毛布に包まって寝ていました。グル·ニワスに車が到着すると、スワミジ·マハラジはその人を目にされておっしゃいました。

「このような寒い冬空の下では、毛布1枚では足りないでしょう。この毛布をあの人にかけてあげなさい。彼を起こしてしまわないように気を付けて、そっとかけるのですよ」

と、とても分厚い毛布を私に託されました。スワミジに言われた通り、私はその人の元に行くと起こさないようにそっとその毛布をかけてあげました。

 グル·マハラジは多分、あらゆる奉仕の行為は、他の誰も不安にさせることなく、完璧な集中力と絶対的な奉仕の心で行うべきだという事を教えてくださったのだと思います。あなたが献身の行為をしている相手は、助けられている間であっても助けられているという意識を持たずにいるべきです。



 スワミジのお食事は、常に簡素でしたが、どんどんと量が減っていきました。2006年からのスワミジの食生活は、日中はコップに半分のバターミルク、夕方には同じ量のホーリックスとミルクを摂られるだけになっていました。たまに、それらさえも飲み干されることがないこともありました。これらが24時間で摂られる全てのものだったのです。お体はどんどん弱っていかれ、たまにご病気になられることもありました。そんな時でも、面会の約束が入っていれば、それを延期することなく行っていらっしゃいました。信者さんと会話を交わしながら祝福をしている間は、スワミジ·マハラジはご自身のお体と時間には全く関心を持たれていないご様子でした。面会の後はいつもお疲れで、疲れ過ぎてお食事であるバターミルクやホーリックスさえも飲むことができないこともありました。そして更にお体が弱っていかれると、スワミジは完全なる休養を望まれました。時々、信者さんにお会いする時間を決められると、その時間になったら教えるよう私達に頼まれることもありました。しかし、それでもスワミジ·マハラジご自身が時間を延長されることもありました。信者さん達は、スワミジのお声がとても良い状態だったので、完璧にお元気だと思っていたようです。しかし本当は全く正反対の状態でした。



 2005年にルディアナという町のチャンダン·シンジが、グル·マハラジのダルシャンを求めてシャンティ·ニワスにいらっしゃいました。チャンダン·シンジは、スワミジ·マハラジから経済的な援助を受けて、学校を卒業することができました。そして卒業後は、リシケシで仕立て屋になるトレーニングも受け、その後ルディアナで商売を始めました。そして息子が結婚をしたのを機に、グル·マハラジからの祝福を受けにやって来ました。

 グル·マハラジは、ご家族の様子などを伺った後、年長者を敬い年少者を愛するよう伝えました。また、自分にできる範囲でいいので、お腹を空かせている人、貧しい人、鳥、年老いた人、病人に、自分が食事をする前に食べ物を与えなさいと伝えました。また

「食べ物を粗末に扱ったり無駄にしてはいけません。アンナ(食べ物)はブラフマ(神様)です。可能な限り、他者への奉仕であるパロパカラをしなさい。他者へ良き行いをしなさい。この体は、他者の幸福に向けて奉仕する為にあるということを常に忘れないように。奉仕とは、無償で無私であるべきです。奉仕の行為によって、あなたは浄化されます。あなたは自ら撒いた行為からしか、結果を刈り取ることはできないのです。いつも神様のことを思っていなさい。日常のルーティンを行う間でも、時間があれば神様の御名を唱えなさい。神様は、優しい言葉を話す為、そして神様の栄光を称える為だけに、私達に舌を与えてくれました。ですから、誰かの悪口を言ったり、言葉や行為で他者を傷付けることをしてはいけません。あなたが見るもの、聞くもの、味わうもの、感じるものの全ては、その中に神様がいらっしゃると感じなさい。全ての中に神様の存在を見るのです。これができるように何度も何度も練習しなさい。」

 そう伝えると、スワミジはキールタンを歌われプラサードを配られました。



 看護師のブリガディエール·メフタジは、スワミジの健康を気遣ってよくシャンティ·ニワスにいらっしゃってました。ある日

「何か私にもご指導はないでしょうか?」

とスワミジに尋ねられました。するスワミジ·マハラジは、

「病人のお世話をしているということは、すでに神様に仕えているのと同じことです」

とおっしゃいました。神様は、全ての中に安住されています。病気の人の面倒を見る時、その人の中の神様を礼拝する気持ちを持つようにしなさい。無償の行為は、真の神様への礼拝そのものです。あなたに割り当てられた義務から、尻込みしないようにしなさい。お医者さんの言葉は、それ聞いただけで半分治ったように感じられるべきです。私達の体が毎日食べ物を欲するのと同じように、魂は健康な体を欲しています。毎日、聖なる経典読みなさい。バガヴァッドギーターの何節かを勉強し、その意味について深く熟考しなさい。そしてそれらを日々のサダナとするべきです。



 2004年11月18日、スワミジ·マハラジが午後のお散歩されていると、デリーのシヴァナンダ·サットサンガ·バーヴァンから使いの者が届け物を持ってやってきました。スワミジ·マハラジは、彼との会話の中でいくつかの助言をされました。

「常に神様のことを思っていなさい。全ての時に神様の御名を唱えていなさい。サッドグル·スワミ·シヴァナンダジもユニヴァーサル·プレイヤーの中でおっしゃっています。」


全ての名のあるもの形あるものの中に

神様の御姿を見られますように

全ての名のあるもの形あるものの中に

内在する神様に仕えられますように

神様のことを常に思っていられますように

神様の栄光をいつも歌っていられますように

神様の御名がいつでも口元にありますように

いつまでもいつまでも、神様が守ってくださいますよう

いつまでもいつまでも、神様と共にいられますように


「人間の中だけでなく、植物、木々、蟻にまで、神様の存在を感じなさい。全て人の中に神様の御姿を見て、尊敬の念を持ちながらひれ伏しなさい。あらゆる生きとし生けるものに対して仕えなさい。神様は何処か遠くにいらっしゃる訳ではありません。神様は、あらゆる人と共に常にここにいらっしゃいます。神様は私達の内側と外側にいらっしゃり、全ての場所に存在していらっしゃいます。ですから、常に神様の存在を感じていなさい。それを練習して、そして更に修練を積みなさい。日々の生活の中で、しなければならない義務を神様への奉仕とし、そして礼拝するように行いなさい。このカリユガの時代、神様の御名の中には偉大なる栄光が含まれています。ですから、神様の御名は常に唱えているべきです。仕事を始める前、仕事の合間、そして仕事終えた時に、必ず神様のことを思い出しなさい。神様のことを思えば思うほど、あなたは清浄に浄化れていくでしょう。仕事を続けながら、神様の御名を唱え続けなさい。」

 スワミジ·マハラジからは、他の指導も与えられていました。



 2005年のある日、シッダールタ·カウルとサガール·カウルという若い兄弟が、スワミジのダルシャンを受けにシャンティ·ニワスにやってきました。彼等は、ケララのカンハンガッドにあるアーナンダアシュラムの信者さん達で、心の中にある疑問を抱えていました。それは1991年に、カセットテープの音声を通じてパーパ·ラムダスから洗礼を受けたことについてでした。洗礼から数年経った後、アーナンダ·アシュラムのある聖者が、彼等のグルはパーパ·ラムダスではなく、マハラーシュトラの聖者スワミ·ラーマだと伝えたのです。スワミ·ラーマは、よく彼等の家を訪ねてきていた繋がりがあったので、本当のグルは誰なのかと迷いが出てしまっていました。

 スワミジ·マハラジはおっしゃいました。

「それぞれの家庭がクラ·グルを持っています。このクラ·グルがいなければ、16のサムスカーラのどれもが不可能です。ガルバ·サムスカーラからアグニダーハ·サムスカーラまでの全てが必須です。しかし、サッドグルとは、そのようなグルとは違います。サッドグルとは、洗礼を与えてくれる人であり、啓蒙へ向けた高尚な道を指し示し、自己実現に到達させてくれる人です。お二人の聖者の写真を飾って礼拝するのは良いことです。しかし、あなた方のサッドグルはパーパ·ラムダスだけです。」

 彼等は尋ねました。

「パーパ·ラムダスのイシュタ·デーヴはクリシュナ神でした。私達のイシュタ·デーヴは誰でしょうか?」

 スワミジ·マハラジは答えられました。

「そうですね、パーパ·ラムダスはクリシュナ神について瞑想をされていました。クリシュナ神がフルートを吹きながら踊っている時に、彼にダルシャン与えたと言われています。しかし、パーパ·ラムダスは謙虚に祈りました。パラブラフマよ、その御姿だけではなく、普遍に存在されているあなたの御姿でのダルシャンが欲しいのです。サルヴァン·ブラフママヤム。」

 兄弟のうちの1人が言いました。

「スワミジが私の耳元で、私のイシュタ·マントラであるシュリ·ラーム·ジャヤ·ラーム·ジャヤ·ジャヤ·ラームを唱えていらっしゃる夢を見ました。私は、あなたのようなジーヴァンムクタになりたいと望んでいますが、私にもなれるでしょうか? そう夢の中で伺うと、スワミジが身を任せていらっしゃる流れの中に、私も流れることはできるとおっしゃってくださいました。スミワジ、可能であれば、私達にイニシエーションを与えてくださいませんか?」

 するとスワミジ·マハラジは

「いいえ、ダメです。あなた方はすでに洗礼を受けています。同じマントラを唱え続けないさい。精神的世界を進んでいく上での助言することはできますが、あなたは自分のグルを信頼し献身になることが大切です。そして同じ思いでイシュタ·マントラを唱えなさい。」

とおっしゃいました。

「スワミジ、私達は今大学で勉強をしています。大学内でも外の世界でも現代はとても汚染されてしまっています。そのような環境の中で自分自身を救う為にはどうすればいいでしょうか?どのように神様を見つければいいのですか?ぜひご指導をお願いします。」

 スワミジ·マハラジは答えられました。

「いつ何時も神様の事を忘れてはいけません。時間を無駄にしてはいけません。あなた方のする活動の全てを神様への礼拝と変容させなさい。全ての行為とその結果を神様に引き渡しなさい。あなたのイシュタとグルデヴの小さなお写真を肌身離さず持ち歩きなさい。時間があれば、30分ごとにそのお写真を出して見てみなさい。これをすると、神様の事を思い出していられるようになります。あなたの心の中に常にゴールを持っていなさい。授業の合間の休み時間には、ジャパとリキット·ジャパをしなさい。リキット·ジャパのノートは常に持ち歩き、時間があればマントラを書きなさい。けれども授業の間は勉強に集中して、それ以外の時は完全なる集中を神様に向けなさい。心は束縛への原因でもありますが、解放へのきっかけでもあります。集中した心によって、完全に神様に焦点を当てることができるでしょう。無駄な噂話などにふけるのはやめなさい。全ての人の中に神様を見なさい。そうすれば、いかなる過ち犯す事なく全ての願望は叶うでしょう。」

「私達にお恵みを与えてください。祝福をお授けください」

と兄弟は願いました。

 するとスワミジ·マハラジは、

「偉大なる神様、パーパ·ラムダス、マーター·クリシュナバイジ、スワミ·ラーム·ティルタジ、ラーマナ·マハラシジ、シュリ·シュリ·アーナンダマイイージ、グルデヴ·スワミ·シヴァナンダジ、そしてバーラタヴァルシャの偉大なる聖者と賢者の皆様の祝福が、この兄弟の上に降り注ぎますように。」

と祝福の言葉をおっしゃいました。

 すると兄弟は、

「パーパ·ラムダスは、頭の上に両手を当てられて祝福してくださいました。同じような形で祝福をしていただく事は可能ですか?」

と懇願したので、スワミジは望みを叶えるべくそのようされました。さらに

「この生で神様を悟ることができるよう祝福してください」

と何度も頼みました。するスワミジ·マハラジは

「あなた方は、この生で神様を悟ることができるでしょう」

とおっしゃいました。

 若いうちから、何という熱望でしょう。この兄弟にだけでなく、彼等の両親にも祝福あれ。

 彼等とお話をしている間にスワミジ·マハラジがおっしゃいました。

「私は前世で神様を悟りました。しかし、カルマが残っていたのでまた戻ってこなければなりませんでした。」

 前世でジーヴァンムクタの崇高な状態に到達したにも関わらず、スワミジ·マハラジは私達の幸福の為に年老いて問題を抱えた肉体に留まってくださっていました。

 ある日スワミジ·マハラジは、診察を受けている間にモーハン医師に言いました。この肉体で成し遂げなければいけなかったことは全て達成しました。ですから、もうこの体を維持する必要がなくなりました。

 いくつもの誕生を経た後に、あらゆるものはヴァースデーヴァ(最奥のセルフ)だと悟り、賢者は私の元にやってきます。そのような偉大なる魂(マハットマ)はなかなか見つける事はできません。(バガヴァッド·ギーター 7章19節)

 いろいろな機会の経過していく中で、数え切れないほどのお話がありましたが、全てを覚えている訳ではありません。ここには思い出した限りのお話をご紹介しましたが、私自身の限られた視野と理解力では、真髄が明らかでないものもあります。聖者や賢者、学びを終えた方や高潔な読者の方で誤ったことを見つけられましたら、どうか私をお許しください。


  ハリ·オーム·タッサ

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