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制限するのは過剰のはじまり


バシャールのある動画を見たら、

質問者が
「怖さ」を感じる感覚がある
ブルブル体が震える


ということ
を相談していた。


それについて
バシャールが答えてたのは


" 刺激を受けることに自分で制限を
かけているから"


その枠を超えるとき
「 過剰な刺激 」として受け取るのは
当たり前なのですよ


と。


つまり、
自然に自分の中に通るエネルギーを
ありのまま通して行動に現れることを許す


ことができると、
それは緩んでかえって
「自制」されるのだと。



変に自分で制限しなければ
おのずと、自然に
いい塩梅に調整されるのだと。


それを見て
自分もハッとした。


人前で話すときにすごく緊張して
しまうんだけど、
そう自覚しているからこそ、


「緊張しちゃいけない」
「緊張を感じちゃいけない」


て思っていたかもしれない。
バシャールが言う「制限」という
やつをかけていたかもしれない。


だから試しに
緊張を感じていいよ、と
自分に言ってみると


これがめちゃくちゃ
ラクになった。


そうか、私は自分に
緊張することや
緊張を感じることを許してなかったんだ。



てことはだ、
しちゃいけない
しちゃいけない
て言われるほどに
したくなる

ていうアレと同じなんだね?笑


極端なことを考えると
仮に危険ドラッグだって
いつでも好きなだけ自由に
していいと
喫煙所みたいにあったとしたら
そんなに以前ほどしたく
なくなるんじゃない?
(実際はいやだけど笑)


しちゃいけないと
自由を制限されると
何か悪いことをしてる
という意識を過剰に育てるのは
あるかもしれない。


だから
自分で制限している分、
余計に過剰にやりたくなる


緊張を感じることを
制限している分
その枠を超えたとき
過剰に緊張を感じてしまうようになる


自然に自分に流れる
自然な感情(エネルギー)
自然に自分に表れる反応


それをどこまでも
そう感じていいものだと
否定しない、制限しない


いったん、
流れるままに
流してあげる
感じるままに
感じさせてあげる


「自然」であるというのは
つまり
陰と陽があることで
ネガティブもポジティブも
中立もなんでもあるということで


それが自分の中にも
通るということが
自然な自分であることなんだ



こういうことを
感じちゃいけない



そうしているものは
まだまだ自分の中にも
たくさんあるだろう


どこまでも受容していくことが
大事なんだというのが
改めてわかった気がする。


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