ダカラコソデキルコト
昨日ふと珍しくも海外のYouTubeが
目にとまった。
事件の捜査などを扱うチャンネルぽかったが、
目にとまったのはそこではなく
「パラノーマルチルドレン」という言葉だった。
いわゆる霊視ができてしまう子供たち
についてのドキュメントだった。
私は霊というよりも高次の存在と交流したい願望があるため、そういう能力を羨ましく思っていたが、そこで紹介されてる子供たちはとても悩んでいた。
それもそのはずだった。
いつでも霊の存在が視えたり、話しかけられたり、時に怖い姿で現れる。
霊の感情と自分の感情が混ざり合う。
攻撃されるかもしれない恐怖が常にある。
加えて、誰にも相談できない。
やはりまだマイノリティな領域なのだ。
海外ならそんな話や番組は多いイメージだし、オープン&柔軟でしょ?と思いきや、
意外に信じない、受け入れられない親も多く、その能力に対して否定的なため、親子の溝ができてしまい、その子の抱える孤独は計り知れない。
では同年代の子たちは?というと、これまた意外に理解者は少なく学校で話せば変人扱い、時にいじめへと発展してしまい、居場所がなくなった子達は不登校になり、自宅で勉強している子もいた。
その能力を信じ肯定してくれる親も自分自身にその力がないため、「自分は助けてやれない、無力さを感じる」とどうしていいか分からない事で悩んでいた。
親も子も、それぞれにみんなが悩んでいた。
そこでそのチャンネルでは、
実際に霊能捜査などで活躍している霊媒師や臨床心理士などの専門家がタッグを組んで、それぞれの悩みを持つ家庭を会わせて、問題解決に取り組んでいたのだ。
子供たちはそこで「初めて」自分と同じような能力と悩みを持つ「仲間」と出会い、自ずと笑顔になってハグをし合った。
遠く離れていて会ったこともないのに、瞬時に境遇を共有し理解できたかのように、安堵ぬに包まれる子供たち。
その瞬間を見る私自身も「よかった…」と涙が出た。
三家庭がとある場所で顔を揃えた。
問題解決となる場所なのだが、これまた「なんで?」と思う場所。
その場所というのは、恐らくその地域では有名とされる心霊現象の起こるお屋敷や建物なのだ。
まずパラノーマルチルドレンと言われる子供たちに共通するのは「恐怖」だった。
その恐怖を克服するには、ちゃんと恐れのもとに向き合うこと。
自分が「感じたもの」を信頼すること。
そのために、この場所である意味と、同じ能力を持つ仲間がいることは、マストなようだ。
数々の心霊現象が噂される建物の中で、霊媒師が同行しながら、それぞれの子供たちがそれぞれ感じること、気になることを心を開いて伝えていくことを促される。
勇気を出して話してみると、自分が感じたことと同じことを仲間も感じているから、自分の感じるものに対して「疑い」ではなく、「自信」になっていく。
そう、この工程で何より大切なのは、
最も否定していた自分のことを
自分が肯定し受け入れてあげることなのだ。
そして別部屋で残された親たちは、
臨床心理士と話しながら、初めて我が子への心からの思いや悩みを打ち明ける場となっているようだった。
そして、子供たちと建物探索に同行していたカメラマンクルーも、子供たちが見たものと同じものを生まれて初めて目の当たりにした。
建物探索を終えた子供たちは、自分たちが見てきたことを別部屋で待機していた親達にシェアする。それまでは我が子の妄想だと思っていた親達も、妄想ではないことを確信していくのだ。
2日目は、子供たちの能力を「人のため」に使うという体験をさせていた。
行方不明者の捜索だ。
こちらも霊媒師が同行し、3人の子供たちが各々現場となる場所で霊視していく。
行方不明になっているのは20代の若い男性。
そのお父さんも長年捜索し続けている様子で、自宅の部屋には息子を探すためのポスターが大きく貼られていたり、胸には息子の写真の缶バッジをつけていらっしゃった。
愛と執念と深い哀しみを感じるには、十分だった。
「証拠となるものを探すも否定する人が多い中で、協力してくれるとは、本当に有り難い…」
と、臨床心理士の手を固く握り、涙を抑えていたお父さん。
3人が現場で視えたもの、感じたものは、本当に具体的で捜査に協力できるようになるには僅かな時間の問題に思えた。
それでも不確かなことは確かなことだが、それを大前提として、視えた捜査結果をお父さんに伝える。
生存しているかいないか、意見が一致してないこともちゃんと伝える。
お父さんから驚くべき言葉が話される。
「本当に辛いよ。
多くの人は手がかりを否定していく。
でも君たちは見つけようとしてくれている。」
「君たちはとても立派だよ。
みんなの話を聞いていて、感じたことを上手に伝えてると思った。すごくありがたい。
君たちは人の役に立ってる。」
その1人である少女は溢れる涙を拭っていた。
彼らは生まれて初めて、自分の能力について
他者から感謝と称賛の言葉をかけられたのだ。
お父さんの言葉を受けた青年はこう話した。
「辛い思いをしてきた人に頼ってもらえて
僕は光栄に思っているし、感謝している」
この2日間でパラノーマルチルドレンの3人の意識や心は大きく変化して、とても成長していた。
その成長を親達もちゃんと感じとっていた。
失っていた自分への肯定と自信を取り戻して、
自分の持つ能力に向き合い、人のために活かしたいとさえ思うようになった。
後日、親子の関係も見違えるほど自然で温かい関係をそれぞれの家庭が築いていた。
何事も共有できない、共感が得られないというのはとても辛く、孤独だ。
もちろんそうであっても気にしない人もいる。
だけど人知れず悩み、問題を抱えているなら
同じ境遇である仲間、それらを克服した人、
が一番の力になることを改めて学んだ。
共有共感できる人がいるということは、
それだけで強大な生きるエナジーになるのだ。
武田双雲さんが書かれていた魔法のコトバを
思い出した。「ダカラコソデキルコト」
この言葉の前にどんな言葉を持ってきても
ポジティブに変換できてしまう。
今の自分がどうあっても決して力や価値を失う理由にはならない、大切なことを思い出させてくれるコトバだ。
日本にもきっと同じく悩んでる子達がいることだろう。どんなマイノリティでも、唯一無二の自分という存在を誇れる、そんな空気感がこの日本にも充満していくことを心から願ってやまない。