金沢の犀川にかかる江戸時代唯一の橋、大正時代の鉄橋 〜犀川大橋〜
あっという間の1年でした。来年へかける橋として、今回は橋を見に行きます。
建築好きには、橋もとても魅力的です。
知らないところへ行くと、橋もつい見に行ってしまいます。
日本三大古橋の1つ瀬田の唐橋
近江八景の1つで風光明媚〜、と思いきや、歴史的に戦乱のど真ん中の橋でした。
672年に、壬申の乱で大友皇子が橋桁を落として、大海皇子の軍を阻止しようとした橋です。
その後も名だたる面々、義経、木曾義仲、北条氏、足利氏、本能寺の変後の明智光秀により、この橋は戦場となってきています。
日本三大奇橋の1つ錦帯橋
岩国にある周囲の景色によく馴染んだ橋です。
木造のアーチ橋ですが、よく見ると端は橋脚に差し込まれ、順々に中央へ向かうという変わった造りです。
※興味ある方は、(余談)へ。
傾斜の強い亀戸天神の反橋
反橋(そりばし)は、日本で生まれた橋の形態です。基本的には、橋脚があり、反り自体が目的で下を水路として使うためのアーチではありませんでした。
亀戸天神の橋に、今は橋脚はありません。でも、江戸時代の浮世絵をみるとちゃんとついています。
レンガのアーチ橋、南禅寺水路閣
お寺の境内の中に現れ、驚いてしまう明治の構築物です。当時の最新技術が使われています。
琵琶湖疏水を通すために、明治23年(1890年)に建造されました。琵琶湖疏水は、明治維新により人口の激減した古都京都の産業発展のための希望の運河です。
前置きが、つい長くなりましたが、金沢にも、ちゃんと面白い橋があります。
ここまで、見てきていない鉄橋です。鉄橋は産業革命の賜物ですが、日本に入ってきたのは、幕末、明治になってから。文明開花の象徴でした。
犀川大橋
現在の犀川大橋は、大正13年(1924年)につくられた鉄橋です。
金沢の三文豪の1人、室生犀星がこの近くの出身で、「橋」という詩に詠んでいます。
慣れ親しんだ木造の犀川大橋が鉄橋となったさみしさをこの詩からは感じます。
でも、じゃあ鉄橋はすごく無機質なのかというと、そこは金沢。橋名盤に地元の伝統工芸品、金箔が使われています。
そして、橋の青色はグラデーションで、加賀友禅のぼかし技法を表しています。ただ、この色になったのは、平成6年(1994年)。犀星の見ていた色とは違います。
銘板を照らす、照明はアールヌーボーのようなしなやかさです。
橋の脇にも、照明があります。
こちらも、どことなくアールヌーボー風です。ガス灯をイメージしたデザインです。
金沢市のガス灯は、明治41年にはじめて灯され、その記念として尾張町にガス灯が記念に復刻されています。
完成した当時は、銘板の照明はあるけれど、まだサイドにはガス灯風の照明はありません。
代わりに、独立した街灯がたっていました。
また、当時の写真を見ていると橋の歩行者用部分はまっすぐです。今では流線に波打っています。
川の流れが現れているようで、わたしは今のほうが好みです。
波の部分は、上から見るとポケットパーク的にイスが並んでいます。
さらに犀川大橋のパーツを見ていると、「大正十三年 日本橋梁株式会社」とあります。
日本橋梁株式会社が気になり、見てみると、鐡板製造、ペイントと橋にも関する関連企業から始まった財閥系の会社でした。
大正5年 大阪鐵板製造
大正7年 関西ペイント
大正8年 日本橋梁株を設立
犀川大橋は、会社が設立されて、比較的新しい時期に作られた力作です。
大正13年(1924年)つくられ、そろそろ100歳になろうという犀川大橋ですが至って健在です。
コロナのときには、医療従事者に敬意をあわらし、ブルーにライトアップされ、現代的な顔も見せてくれました。
犀川大橋の歴史
犀川大橋は、加賀藩祖の前田利家が、文禄3年(1594年)にかけたのか始まりです。
江戸時代には、犀川にかかる唯一の橋でした。
この頃は木造のゆるいアーチの橋です。
橋は、洪水でしばしば流されて、その都度復旧されてきました。
そして、大正8年(1919年)にはじめて、犀川大橋が鉄筋コンクリート造りとなりました。
あれ?さっきの鉄橋は、大正13年(1924年)で間隔短くない?と思いましたか。
そう、市電も通すために、わざわざ木造でなく、丈夫な鉄筋コンクリートで作ったにも関わらず、大正11年(1922年)に洪水で落橋してしまったのです。
3年ほどの幻の橋でした。その予算は、8万6千9百余円。
復旧に際して、また鉄筋コンクリート橋にするか鉄橋で紛争があったものの、鉄橋に決定。
予算は、26万7千8百円と3倍強に跳ね上がっています。
市電の重みにも耐えられるよう丈夫なトラス構造(三角形を基本単位とした集合的構造)。
橋は、川には橋脚がないタイプで、洪水で流木などがたまり、橋脚が倒れての落橋が起こらないようになっています。
2024年には、百歳になる犀川大橋、これからも金沢の四季とともに。
ひとまずは、2023年への架け橋として。2023年がよい年となりますように!
(余談)錦帯橋と世界遺産
錦帯橋は、1673年に最初につくられました。お城と城下町を結ぶ「流されない橋」を模索し、中国の西湖にかかる連続アーチの橋にヒントを得て造られたといいます。
江戸時代から架け替えされつつ、残ってきました。
1950年の台風で流され、コンクリート説も出たものの、1953年、無事に従来の木造で再建されました。
古さで言えば、もちろんローマ橋には敵いません。
でも、世界遺産に指定されている橋で、19世紀に建造されたものもあります。
こちらは、世界最古の運搬橋、産業遺産としての価値もありますが、他にも、19世紀の鉄道橋がいくつか世界遺産に登録されています。
(ビスカヤ橋は、登録基準のⅰ、ⅱ)
錦帯橋の場合、芸術性、周囲を含む景観、200メートルの川幅を渡すための独創的木造連続アーチ、歴史的意義からだけでも世界遺産になってもいいのではと個人的には思います。
適用は、ⅰ、ⅳ、ⅴ?
他に類を見ない構造の木造アーチ橋であり、伝統工法が守られていると思うと、無形文化遺産としての価値も。
実際、2020年には、伝統建築工匠の技が無形文化遺産として登録されています。(基準1〜6まで満たす)
※二千年の歴史ある伊勢神宮も、式年遷宮のために世界遺産にならないというのが不思議です。
平安時代の仮名文学「伊勢物語」、伊勢信仰、日本古来の建築様式である神明造の代表であることを考えると、ⅰからⅵまですべて満たすのでは?
ということで、錦帯橋ファンとしては、伊勢神宮も錦帯橋も早く世界遺産にならないかなぁと思っています。
参考
「魅せられて犀川大橋」
国土交通省金沢工事事務所監修
「日本の橋」 五十嵐弘著
金沢の百年 大正・昭和編
https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/shishinenpyou_t.htm#meiji
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