江戸時代の玉泉寺のまわりを歩いてみると 〜重層的な金沢〜
金沢城公園の一角には、玉泉院丸庭園があります。
金沢城では、いろいろな種類の石垣が見られます。
個人的には、ここにある「色紙短冊積」といわれる石垣が、他にはない石垣で、1番の見どころだと思っています。
玉泉院とは、織田信長の四女、永姫の院号(戒名)です。
永姫は、織田信長の四女で、加賀藩前田家第2代利長へ輿入れしました。
利長の亡くなった年に剃髪し、玉泉院の院号をもらいました。
玉泉院が住んでいた場所なので、玉泉院丸庭園と名付けられています。
玉泉院の位牌所となったお寺、玉泉寺が寺町の近くの野町にあります。
玉泉寺
玉泉寺は、あまり規模の大きいお寺でなく、永姫のお寺にしては物足りない雰囲気です。
でも、江戸時代の地図を見るとかなりの広さの敷地。
明治4年(1871年)の大火で焼けてしまうまでは、七堂伽藍が建ち並び、豪華な寺院だったといいます。
さらに、地形上石垣が組んであり、周りには堀が巡らされていました。
今でも、玉泉寺の前には用水があり、ちょうど堀のあった場所にあたります。
もともとの玉泉寺の敷地沿いの元野町小学校の周りには、段差と石垣が。
堀と石垣で、お城ではないけれど要塞のような印象を受けます。
玉泉寺の前には、六斗広見(ろくとのひろみ)という江戸時代の火除け地があります。
石垣と堀に囲まれた城塞のようなお寺と、その目の前に広がる広見。
一説によると、軍事目的で作られたのでないかといわれています。
玉泉寺のある場所は、金沢城と犀川を隔てた南側です。
絵図の緑の部分がお寺ですが、寺町寺院群といわれるだけあり、お寺が密集しています。
金沢城が攻められたときの予防線だったのかもしれません。
そして、玉泉寺の場所は、北国街道(北陸道)とつるぎ道の間です。お寺の近くには、
「上つるぎ道 下北陸道」という石碑も残っています。
それを考えると、軍事目的というのも本当かもと思えてきます。
広見に見えた鳥居の神社、玉泉寺の隣にある神社は、泉野菅原神社です。
永姫が建てた天満宮で、父の信長を密かに祀っていたという話もあります。
桜がきれいなので、春に参拝に行くのもおすすめです。
ギャラリー日色
玉泉寺の左の道へ入っていくと、前から気になっていた町家のギャラリーが開いていました。
この機会にと、入ってみます。
建物は江戸時代のものを増改築し残ってきた町家をギャラリーへ改修したものです。
古い柱や部材に、タイルや色ガラスが加えられていますが、違和感なく調和しています。
上を見ると、天窓がありました。
これは、昔からあったもので、明かりとりです。
展示は、七宝の技法をガラスに組み合わせた作品でした。
ガラスの表面に七宝が施されたものもあれば、七宝の銀線を色ガラスに入れて模様を描いているものもあります。
繊細、華麗だけど華奢ないい作品が見られます。
(展示は6月25日まで)
少し進むと、月照寺があります。
前田利家の長女の菩提寺です。
本堂は明治4年の大火で、玉泉寺と同じく焼けましたが、山門は残りました。
江戸時代らしい蟇股(かえるまた)の彫刻や、戸室石かと思われる柱を支える沓石(くついし)、格天井と豪華です。
前には、獅子の他に珍しい象と唐子の変わった彫刻もありました。
玉泉寺に続き、加賀藩前田家ゆかりのお寺です。
明治の大火で焼ける前の玉泉寺が、相当立派であったであろうことが推測されます。
そして、さらに少し歩行ったところが、玉泉寺の角にあたります。
いい雰囲気の町家、ゲストハウス初華です。
今は道沿いにびっしりと家が並んでいるけれど、堀があったところかもしれないと思うと、不思議な気がします。
野町小学校
曲がって再び野町小学校です。
約150年の歴史を誇る小学校でしたが、2014年に閉校。
現在では、金沢みらいのまち創造館となっています。
起業や食文化、創作フロアがあり、カフェやコワーキングスペースもあります。
エントランスは新しい様子ですが、基本的には小学校のときの造りのままです。
卒業制作も階段にかかっていて、小学生の姿が浮かんできます。
窓から住宅街の瓦屋根が並んでいるのが見えて、どことなく金沢らしい景色です。
ここまでも、いくつか町家を見てきましたが、この辺り他にもすてきな町家がひっそりと残っています。
玉泉寺と並行している用水を追って行くと、お寺に行き当たりました。
光専寺〜少林寺
正面へまわります。
蓮如上人の布教の際に、末村に創建され、江戸時代にこの場所へ移ってきています。
加賀藩前田家第3代の利常が、城下町を整備し、散在していたお寺を寺町に集めたときです。
入ろうと近付くと、扉周りの彫刻がデザイン的です。
中は、豪華に金沢名産の金箔がふんだんに使われています。
阿弥如来様の無限の光を表していて、自分がいかに愚かであるかを照らし出してくれるものだといいます。
ご本尊の阿弥陀如来様を拝みます。
落ち着いて、周りを見てみると、正面上部の彫刻は、真ん中に丸い形で龍がいて、向かい合うという見たことのないタイプ。さらに、柱の上部にも象か漠のような彫刻が。
天井も小組格天井(格天井の中にさらに細かい格子のあるもの)で、格式のあるお寺だと分かります。
外へ出ると、鐘楼もあまり見たことのないくらいの彫刻です。
出会いに感謝しつつ、先へ進みます。
隣あたりに、やはり江戸時代からある千手院。
角を曲がると、これも江戸時代からある少林寺。
こちらの鐘は、茶の湯釜で有名な初代宮崎寒雉の手によるものです。
ここを過ぎると、六斗広見の見える、玉泉寺の隅へ到着です。
往年の玉泉寺の伽藍がなくなってしまっているのは残念です。
でも、江戸時代からのお寺の建物、雰囲気のある町家の数々、ギャラリー、新しく生まれ変わった小学校の校舎と時代の移り変わりを感じることのできる金沢らしいエリアです。
寺町まで来たら、少し足を伸ばしてみるのもお勧めです。
参考
「金沢・野町の四〇〇年」
「金沢町物語」
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