前田土佐守、京への旅
京都で偶然、加賀藩邸跡の看板を見つけました。
三条あたりの高瀬川沿いです。
高瀬川は、江戸時代につくられた京都と伏見をつなぐ物流のための運河です。
そのためか、四条から三条までの間には他にも土佐藩、彦三藩の藩邸の石碑も見かけました。
江戸の加賀藩邸は、赤門もありその存在が知られています。
江戸には将軍、京都には天皇がいます。
考えてみれば当たり前なのですが、都である京都にも加賀藩邸がありました。
朝廷や各藩との交渉をする留守居役が駐在していたところです。
江戸後期の地図を見ると、この加賀藩邸のほか、岡崎のあたりに加賀前田屋敷がありました。
京都の文化ゾーンに、加賀前田屋敷があったと知り、なんとなくうれしくなります。
前田家には、皇族との姻戚関係もあり、京都とも深いつながりもあります。
藩主以外にも、江戸への参勤交代のほか、京都訪問の機会がありました。
今回は、前田土佐守(まえだとさのかみ)の京都訪問を垣間見てみましょう。
前田土佐守家は、前田利家の次男利政の家系で、加賀八家と呼ばれる加賀藩の年寄(家老格)のうちの1つです。
石高1万1千石で、小藩の大名にもひけをとりません。
江戸時代の屋敷跡、今では住宅街で、屋敷の面影はありません。
でも、前田土佐守資料館があり、そこでいろいろな資料を見ることができます。
金沢最古の用水、大野庄用水沿いです。
大野庄用水は、御荷川とも呼ばれていて、金沢城築城の資材など物流のための用水としても使われていました。
高瀬川と近しい点があります。
大野庄用水については、こちら。
用水近くのお菓子屋さんで、前田土佐守家の菓子集から江戸時代の味を再現したお菓子もうっています。
前田土佐守、京都へ
文化13年(1816年)、前田土佐守家当主が、大徳寺で行われる前田利家夫人まつの200回忌のため、京都へ赴きました。
金沢を、7月2日に出発。
米原経由で、7月8日に京都到着なので、ちょうど1週間かかっていて、9日は1日休んでいます。
特急サンダーバードで2時間強を考えると、文明のありがたさを感じました。
土佐守は、12日から14日まで、大徳寺で法要の責任者を無事つとめます。
10日、11日、そして法要後の16日、17日に、大伯母の嫁ぎ先、石清水八幡宮へ行き、もてなしを受けました。
石清水八幡宮
石清水八幡宮の社殿は、国宝です。
現在の社殿は、徳川家光が建てたもので、日光東照宮のように華麗な彫刻が特徴的です。
さて、土佐守は、八幡茶屋で休み、表参道の一ノ鳥井(一ノ鳥居)から参詣をしたとあります。
鳥居の額の文字は、石清水八幡宮の僧侶、松花堂昭乗の文字を使っています。
この松花堂が、農家の種入れから考案した仕切りのある煙草盆が、のちに「松花堂弁当」開発の元となります。
松花堂昭乗が住んでいた松花堂跡は、裏参道の途中にあります。
※草庵は移築され、松花堂庭園にて見ることができます。
土佐守は一ノ鳥居から、表参道を進んで行ったとすると松花堂は見なかったかもしれません。
同じ江戸時代でも、松花堂と土佐守には約200年の時差があります。
石清水八幡宮の社の見学については、金の雨樋について述べられています。
この金の雨樋は、天正8年(1580年)織田信長が寄進したものです。
本願寺との争いに決着をつけた年です。その頃、信長の家臣だった前田利家も見ていたかもしれません。
先の旅程に15日がないと気づきましたか?
15日には、土佐守は、詩仙堂、銀閣寺、真如堂を巡っています。
銀閣寺、真如堂については、さらっと触れられていただけなので、ここでは詩仙堂をみてみましょう。
詩仙堂
江戸時代初期の文人、石川丈山の隠棲したところです。
梅の木の間ということで、両側に梅の木があるのかなと探してみましたが、今は梅関の門の左奥に一本だけでした。
梅鉢は、前田土佐守家の家紋です。
関係はないけれど、ご縁を感じます。
建物の中について、次のようにあります。
石川丈山は、日本の三十六歌仙に対して、中国の三十六歌仙を選びました。
丈山が詩の文字を書き、狩野探幽が坐像を描いた色紙が土佐守の言うように並んでいます。
第4代加賀藩主が、文化に造詣が深く東寺文書の整理をし、書をよく集めていて、「加賀藩 は天下の書府」と呼ばれたこと。
前田土佐守資料館に、多くの古文書が残されていることを考えると、詩仙堂へ訪れたのは自然だと思われます。
詩仙堂、詩もいいですが、建物とお庭の調和した景色も楽しめます。
京都だけあり、伏見桃山城にあったという左甚五郎作の欄間彫刻が、歌仙の下にあり、驚かされました。
個人的趣味はさておき、土佐守は、7月18日に西本願寺、東本願寺へ寄り、19日に金沢へ向け出発。
26日に無事帰って来ました。
江戸時代の旅、加賀藩と京都では簡単に行き来はできず、スマホもないので情報も検索できませんでした。
わたしが伏見桃山城の欄間に驚いたのとは比較にならないほどの驚きが、前田土佐守にはたくさんあったと推測されます。
江戸の旅の跡の片隅を令和にのぞく旅というのも、たまにはいいものです。
参考
「金沢・京都往復道中記」