時速100キロで走らないチーター、水面下で努力しないハクチョウ
動物園に行くと、親御さんが子どもに「この動物はね〜、チーターっていって〜、時速100キロ以上で走れるんだよ〜!」みたいな解説をしているシーンを横目で見ることがある。
他にもシロナガスクジラは1年に地球の半周くらい移動するとか、イルカは超音波で何百キロも離れた仲間と会話できるとか、なにか動物を説明するとき彼らが持つ「最大パフォーマンス」を特徴として挙げるのは何も間違ってはいない。
しかし、実際の野生動物たちのほとんどの時間は、驚くほど効率的で力を抜いた過ごし方で占められている。我々は野生動物をテレビ番組や本という編集された媒体を通じて断片的に知ることしかできないので、いつの間にか彼らが常に特徴的な行動をしているようなイメージを持っていないだろうか。その裏に隠れた意外な日常を知ると、少し考え方が変わるかもしれない。
チーターは本気を出さない(出せない)
冒頭の通り、チーターのダッシュは最高時速112キロメートルにも達すると言われ、動物界でも屈指の俊足として知られる。子どものハートを掴んで離さない人気者なのもうなずける。
しかし、この全力疾走は実際のところ、最長でも20秒程度しか続けられない。日常生活に目を向けると、チーターが狩りに費やす時間は驚くほど短く、大半はリラックスして過ごしている。狩りが失敗すれば、追いかけ続けることはせず、無駄なエネルギー消費を避け、のんびりゴロゴロして次のチャンスを待つ。全速力で走るのは「ここぞ」という場面だけの特別なパフォーマンスに過ぎない。
そしてもう一点知っておきたいのは、そもそも狩りのたびに最高時速を出すわけでもないし、全てのチーターが時速100キロを出せるわけでもないということだ。彼らはよくテレビで見るような広大で起伏のないサバンナだけに住んでいるわけではないので、疎林に暮らす個体なんかはそもそも100キロなんか出そうと思っても出せないし、サバンナに住んでいる個体であっても栄養状態だったりモチベーションだったり必要性だったりの要因で60キロそこそこで狩りをすることもよくある。
ウサイン・ボルトが100mを9秒58で走ったという記録があるからといって人類みんながその記録を出せるわけじゃないし、ボルトだって陸上用にきちんと整備されたトラックで万全のコンディションで測らなければそんなに速くは走れない、という話である。人に置き換えてみると当たり前の話なのだが、身近にずっと観察できるような動物ではないのでいつの間にかよく知られる「特徴」をもとに、みんながいつも100キロ超で狩りをするんだ、と思い込んでしまっていないだろうか。
ハクチョウは空の上でも水面下でもそこまで努力してない
ハクチョウといえば、優雅な見た目をしながらも、3000km〜4000kmという東京と博多を2往復できるくらいの途方もない距離を毎年移動する渡り鳥であり、また「水面下の努力」なんて言葉があるように、ただ静かに水面に浮いているように見えても実は水中では必死に足を動かしているといったイメージがあるのではないだろうか。
しかし実際はそこまで必死に頑張っているわけでない。飛行においては単に羽ばたき続けるのではなく、気流を巧みに利用する。オオハクチョウは時速30〜40キロメートル程度で飛行し、上昇気流に乗ることで高度を維持しつつ、翼をほとんど動かさずに長時間飛行することができる。イメージ的には人間がセグウェイに乗って走りやすそうな道を見つけながらスーッと走っているようなものだ。姿勢の制御は必要だがそんなに大変ではない。
また、水面下で必死に足をバタバタさせているというのは完全に誤解である。ハクチョウが水に浮かぶのは、体の構造によるものだ。ハクチョウを含む鳥類は骨が軽く、体内に空気をためる気嚢を持っているので、そもそも水に沈みにくい。さらに尾の近くにある油脂腺から出る油を羽に塗ることで水をはじき、羽毛の間に空気を保つ。これにより、浮き輪のように体が水に浮く。そして足には水かきがついているのでフィンのようにちょっと動かすだけで推進力を得ることができる。つまり、水面下の努力など特にしておらず、見た目通りのんびり休憩しているのである。
逆に、ハクチョウが最も「頑張る」瞬間は離陸する時だ。
ハクチョウの体は大きく、重いため、水面や地面から飛び立つにはかなりのエネルギーを必要とする。水上から離陸する際は、勢いをつけるために助走をしながら力強く羽ばたき、水面を蹴るようにして加速する。特に無風状態や追い風のない状況では、離陸までに長い距離の助走が必要で、より大きな負担がかかる。また、冬の寒冷地では凍結した水面が邪魔になり、滑って十分な助走が取れないこともある。このため、ハクチョウにとって最大の努力を必要とする場面は長い長い渡りの旅でも水面に浮かんでいる時でもない、飛び立つ一瞬なのである。
特徴ばかりに注目すると見えなくなるもの
「野生動物は毎日が生存競争!それぞれの特徴を最大限に活かして必死に生きてる!」などと思われがちだが、実際には適度に力を抜きながら効率よく快適に生きているということがなんとなく見えてきただろうか。動物たちは、彼らを特徴づける「最大パフォーマンス」を発揮する瞬間もあるが、その時間はごくわずかであり、ほとんどの時間は結構のんびりしている。
人間社会でも、よく知らない相手ほど、肩書きや経歴といった「最大パフォーマンス」にばかり注目しがちだ。しかし、それらは一時的なものであり、その人の生活の大部分はもっと地味で穏やかなものだろう。
目をひく特徴ばかりに気を取られると、自分を過小評価したり、「このままでいいのか」と焦燥感に駆られたりしやすい。そんな時は、「意外とみんな適当に力を抜きつつ、幸せに暮らしているのかもしれない」と考えてみると、少し気が楽になるのではないだろうか。