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Vol.7【ハリガネロックとタイムマシーン3号という、芸人受けより客受けを重視した2組が到達した対照的な帰結点】

2018年のM-1グランプリで霜降り明星が優勝して以来、【第7世代】と呼ばれる若手芸人たちの快進撃が止まらない。彼等の快進撃の分析に関しては様々な媒体で擦り倒されているから、今更私が取り上げた所でその内容自体に新鮮味の欠片もないのでここでは省略する。だが、現在のバラエティTVでは必ずと言っていいほど第7世代の誰かを見かけ、大御所や中堅を相手に爪痕を残すという仕事の結果を残し、またそれが次に繋がるという好連鎖を展開しているのは見ていて気持ちがいい。事実この年末年始のお笑い特番でも、第7世代の誰かを見ないことは無かった。

そんな中、12月30日放送のアメトーーーーーーーーーーク5時間スペシャルで、私の胸を騒めかせる芸人が出演していた。今の彼を芸人と呼ぶよりは、ライターであり構成作家であると表現した方が適切だろうか。2014年に解散したお笑いコンビ・ハリガネロックのボケ担当・ユウキロックさんが家電芸人として他の家電芸人である土田晃之、品川祐、かじがや卓也、松橋周太呂(別名家事えもん、元ジューシーズ)と並んで映っていた。私自身家電に興味が無かったので今まで触れる事が無かったが、どうもユウキロックさんは家電三兄弟の長男というポジションでレギュラー参加しているらしい。解散後のライター活動でその文章に触れる機会は個人的に多かったが、画面越しにはっきりと認識して見るユウキロックさんは恐らく15年振りかもしれない。熱唱オンエアバトルの司会をやっていた彼の記憶が最後だったのだ。

当時33歳だったユウキロックさんも今では48歳。同期のたむらけんじやケンドーコバヤシ、陣内智則と比べ、その年輪の重ね方に驚いてしまった。表現を変えれば、久々に見たユウキさんは15年前の若々しく尖っていた雰囲気が消え、渋みを増していた。そこに彼の現在に至るまでの道程が偲ばれる。

思えばハリガネロックは20年前、当時の若手漫才師の中でアタマ二つも三つも飛び抜けた存在だった。2001年度のオンエアバトルでは優勝を果たし、第1回M-1グランプリでも優勝候補の筆頭だった。事実、第1回だけに存在した【観客投票】ではチャンピオンの中川家を抑え1位、結果総合2位で最終決戦まで駒を進めた。だが裏を返せば、審査員は観客程の高評価を与えなかったとも取れる。

後日ユウキロックさんは自身の著書にて、芸人は誰に向けてお笑いを発信しているのか?という言葉を残している事からも、彼が【実際に目の前で自分たちを見ている観客】を最重要視していた事が窺える。だがそれが彼自身を自縄自縛する結果になったのも事実だ。実際その後のハリガネロックはボケとツッコミを入れ替えるなど迷走を続け、全盛期の輝きを取り戻すことなく解散した。ユウキロックさん自体はその熱いお笑い熱が冷めることなく、媒体をセンターマイクからペンに変更して今でもそのカロリーを消費し続けている。

そのハリガネロック以上に観客受けを重視したコンビがタイムマシーン3号だ。ハリガネロックはその漫才の凶暴性が客の心を掴んだが、タイムマシーン3号は客に自分たちのネタを掴ませに行った。つまり、どれだけ客に嫌われないかを最重要視した。その結果、オンエアバトルでは流れ星と並び敵無し、後継番組のオンバト+では第2回チャンピオンに輝いている。そんな彼らはM-1グランプリでもキングオブコントでも決勝まで進んでいるが、栄冠には届いていない。当時の彼らが織りなす漫才に関して言えば、個人的には70点くらいのネタだった。要はテンプレ漫才である。ボケの関は途中から改名し、本名の関智大から関太と判り易くした。ネタ中必ずデブネタを挟み、ライト層にも優しいネタを展開した。それが当時ハリガネロックやダイノジなどのスタイルが刷り込まれた私にはこのコンビの個性と映らず、只々優しいネタをするコンビというイメージが拭えなかった。

そんな彼らが太田プロに移籍し、それまでのアップフロントという、お笑いとはかけ離れた事務所では存在しなかった【売れてる先輩】という武器を貰い、再評価の波が来ている。その先輩とは有吉弘行であり、その戦場は【有吉の壁】である。彼らの大衆受けするネタ作りの発想はこの番組でも如何なく発揮し、鬼ギャルゾンビというキャラクターは視聴者投票で1位を取るなど、彼らの大衆性が再び日の目を浴びている。有吉自身は認めていなかったが、そこは彼特有の後輩に対する愛情表現と解釈できる。

この売れかけたが売れなかった2組にそれぞれのターニングポイントがあるとすれば、全盛期を過ぎてからの動き方にあったと思う。ユウキロックさんは自分達の道程を否定し、スタイルを変えて迷走した。タイムマシーン3号はレッドカーペットやイロモネアにまで出て、なりふり構わず売れる道を模索した。今はまだその解答とまでは行かないが、当時のタイムマシーン3号の輝きを知る人達は、再びスポットライトを浴びかけている彼らを見て心中喜んでいると思う。事実、現在のお笑いにそこまで詳しくない私の友人が、直近のタイムマシーン3号をテレビで見る機会が増えた事を嬉しそうに語っていた。彼らが舗装した道は決して無駄ではなかったと言えるし、ハリガネロックが示した道も後進に脈々と受け継がれていくことを願ってやまない。

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