母親が孤独死した話❻
やっと本格的な遺品整理へ
公正証書が生きてるか確認した4日後、不用品買取業者と遺品整理業者に入ってもらい、家を一気に片付けてもらった。
公正証書にあった宝石貴金属は全て売り払われ、雑貨屋で買ったようなアクセサリー類が残されてあった。
不用品買取業者の営業も「これは事前にいいものは全部処分されてますね」と言っていた。
贅を尽くして買い集めたであろう着物類は26着で数千円だった。
「いやー、これとかすごいお金かかってますよ。この生地だとあつらえでしょうね。」
「でも私達の成人式では着物はレンタルでしたよ。」
「えっ・・・」
一瞬、時が止まった。
時を戻そう。
遺品整理業者は8名の人員を携えてやってきた。
予定では朝の8時半から夕方18時までの作業ということだった。
私と妹で事前に分けたゴミ袋を開けて、さらに細かく分別していく。
不要な衣装ケースに分別された物がどんどん放り込まれていき、どんどん片付いていく。
その間、敷金をちょっとでも多く返してもらうため、邪魔にならないように窓ガラスを拭いたりして過ごした。
洋室にあったタンスは年代物で造りがしっかりしておりかなりの重さだったのか、作業員も「この家具すごい重さや!モンスターや!」などと悲鳴をあげていた。
(私は心の中で「そらそうやろw」と思ってたが、妹的には心証が悪かったらしくクレームを入れたとのこと)
予定より2時間ほど早く終わったので持ち帰るものをまとめているとダンボール10箱以上になってしまった。
160cmサイズのダンボールに収めるも重すぎて運べないと配送業者に言われてしまった。
「また明日もこのために来なあかんの・・・」
と落胆してると、たまたま近くを通った配送業者の同僚さんがいろいろ気を利かせてくれて、ダンボールを開けて裸で配送できるものは別にしたり、これとこれとこれはこっちに入れた方が運べると思うとかいろいろアドバイスしてくださり、その日のうちに全ての荷物を配送できることになった。
地元からN県まで来るのが本当に苦痛だったので、やっと解放された気がした。
N県の日本郵政さん、ありがとう。
ひとつ山を越えて
遺品整理を終えてやっとひとつ山を越えたなという感じだった。
職場に行くと母親が亡くなったことはすでにセンター長が全チームのグループリーダー達に「まきぐそさんのご母堂様が逝去されました」とメールで展開しており、同じチームの日勤さんからはすごく心配された。
しかし普通の人の世界で、自分の家の話をしようものなら、家族仲がよく所謂いい家庭で育った人に「でもお母さんは心配してると思うよー」「帰ってあげなよー、お母さん絶対寂しいと思うよ」などと、クソバイスをされて胸糞悪い思いをしていたので、職場では自分の家の話は誰にも話したことはなかった。
「死んでしまえば終わり」とばかりに早くもネタにして話すと「映画みたいな話やな!」「それ本書き、本!」と言われたりした。
私の話を聞いて「ええ・・・」と不快に思ったり、ドン引きしたりする人もいるだろうが、話を聞いてくれた人はそのような反応は見せず面白がったり、「そんだけ子供が離れて行くって、相当キョーレツなお母さんやってんな!」と言われたりして、若干それに救われた気もした。
漸く1週間に12時間しか寝られない日々から解放された私は少しずつ遺産を分割することにしていった。
本来であれば、遺言執行人の私は兄と妹に遺言執行人の就職通知を送り、それから相続の手続きなどに着手しなければならなかったが、兄に遺産を渡す気など毛頭なかった。
兄はもうすでに私達の養育費から法定相続分の30倍以上を受け取っているのだ。
母親がやったこととは言え、今回のことも合わせて私はそれらを一生許す気にはならない。
長々と書いたがとりあえずこれで終わり。
あとは納骨を年内に終わらせて、年末年始は明るく過ごしたい。