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38. ニュージーランドの北の大都市オークランドに移動

 かつてヒカシューがレコードデビューした頃(1979年)、日本ではデパートの景気がよく、屋上の小さなイベントスペースでは、ロックバンドが演奏するという、いまでは考えられない光景がみられた。最近では、ショッピングモールの広場にある特設ステージで、新人アイドルや演歌歌手がサイン会をしているような、感じである。
 ヒカシューもいろんなところで演奏した。記録も記憶も定かではないが、津田沼パルコ、池袋東武、梅田阪急など様々だ。なかでも忘れられない場所がふたつある。ひとつは仙台の遠藤チェーンの下着売り場横。籠を背負った野菜売りのおばさんが、ヒカシューの中でもパフォーマンス性の高い「プヨプヨ」という曲で、ぼくの顔の動きを追っていたのが印象深い。もうひとつは、新宿のアルタ前広場でのアルタのオープニングイベントである。当時、ヒカシューはドラムのメンバーはいなくて、リズムボックスを使って演奏していた。リズムボックスは電圧の不安定な所では大変なことになるということを身をもって知った。電圧の変化で、リズムボックスのテンポが変化するのである。ぼくらはそれになんとか合わせる。歌もあるので、歌が間延びしたり、早口になったり、突然止まったり。これでは完全にコミックバンドである。ずっこけ具合も甚だしい。
 そこでいきなりニュージーランドの話に戻るが、ウェリントンをあとにヒカシュー一行は、ニュージーランドの北の大都市オークランドに移動した。The Audio FoundationのJeff Hendersonのオーガナイズで、空港到着後連れて来られたのは、アオテア広場である。アオテアセンターというショッピングモール近くにある野外広場で、ここでいろんなイベントが行われている。ヒカシューも南半球の夏の光を浴びながらの演奏するようだ。ちょうどヒカシューがデビューした頃と重なる光景だ。のどかな午後、ステージではマオリの踊りが始まっていた。
 サウンドチェックをして、近くにランチを取りに行くと、たくさんの韓国料理店があって。ぼくたちはその中のなんとなく良さそうな店に入り、スントゥブチゲなどを食べ、英気を養った。
 ショッピングセンターがおそらくお金を出してくれて、その後の演奏料の足しにするという寸法なのだろう。かつてのデパート営業もそんな感じだった。それで当時60万円くらいいただいていたので、ツアーはどんなに人が入らなくても赤字になることはなかったのだ。
 いまはそんなのないなぁと思っていたら、まさかニュージーランドのオークランドで。
  がっつりヒカシューらしく演奏したが、広場のお客さんたちはたのしそうに微笑んでくれていた。

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