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36.ヒカシューはじめての南半球
南半球は夏だ。日本で寒さに震えているとそんなことはまったく想像がつかない。ヒカシューはやけにシベリヤだの北欧だの寒そうなところに行ってるな、というイメージを払拭するためにも南半球に行くことは、なかなかな名案だった。
「行こうよ」
メンバーの坂出と意気投合した。
そこでぼくはニュージーランドに何回か招待してくれた友人にメールをした。ひとりは作曲家のジャック・ボディ。首都ウェリントンにあるビクトリア大学の音楽の教授で、ニュージーランド音楽界の重鎮でもある。かつて北九州音楽祭(1996年)で演奏された彼の弦楽四重奏曲にぼくは魅せられた。それは雲南省の四枚弁口琴の演奏をトランスクリプト(採譜)した作品で、ほとんどフラジオレットで演奏されていた。その曲に感動し挨拶したことで知りあい、ソロヴォイスの実演で大学に呼んでもらうことになり、数回ウェリントンを訪れた。
もうひとりはオークランドに住む創作楽器演奏家のフィル・ダッドソンである。フロムスクラッチというパーカッショングループで来日したことで知られている。倍音唱法や即興演奏にも通じていて、巨大な自作コピチャンや石笛やら不思議な楽器を奇を衒わずに演奏できる稀な人物。どうやって知りあったのかすっかり忘れてしまったが、いままで何回も一緒に演奏している。
フィルから返信があった。ジャックが昨年亡くなったというメールだった。
ひどく残念で悲しかったが、そのせいで余計ニュージーランド再訪の思いが強くなった。ジャックにお礼を言わなくちゃ。それにジャックがぼくのために書いてくれていたオペラはどうなってるだろうか。
フィルの情報で、タスマニアでロックフェスティバルがあることを知った。好都合だ。しかも自然たっぷりのタスマニアでの演奏なんて想像するだけで面白そうだ。なんとか出演にこぎ着けたい。
ニュージーランドのブッキングは、オークランドの冒険に満ちた音楽や美術を支援する団体オーディオ・ファンデーションのジェフ・ヘンダーソンがしてくれた。
彼のおかけでヒカシューの単純なライブというより、より広範なローカルアーティストとの交流やワークショップ、野外イベントなど多彩なプログラムが組まれていた。
成田からシドニー経由でウェリントンに入る予定の3月20日。この日の天候は突風が幾度となく吹く荒れたものだった。
「大丈夫かな」という呟きは、現実となり、ヒカシュー一行は、2時間遅れた飛行機のせいで、シドニーの乗り継ぎに失敗した。
誰も焦っていなかったが、この日ウェリントンのミュージシャンたちとのセッションが企画されているのだ。なんという無謀。海外からの移動で乗り打ち(本番当日入り)は危険きわまりない。
カウンターにはヒカシューの他に一人、大学の数学の教授がいた。
「わたしは夜の便でもいいので」と、ファーストクラスラウンジに案内されていった。こちらはそうはいかない。
トランジットのカウンターでやっと現れた飛行機会社の担当に、「どうしても今夜のライブに間に合いたい」と告げた。明らかに航空会社の連絡ミスでの乗り遅れだったので、あちらも真剣になってくれた。
運良くニュージーランド航空の機体が遅れに遅れていて、ぼくらはそのフライトに乗れることになった。シドニー空港の中をあっち行ったりこっち行ったりしながら、担当の女性が、「うちの父はジャズ喫茶をやっていました」と言う。関係あるようなないような話がこういう時にはクッションになるのだろう。
意味もなく遠い目をしてしまうものだ。そして妙に親しげになってしまうというか。
そしてどうにか間に合い、午後7時半にウェリントン空港に着いた。
オーガナイザーのダニエル・ビーバンが迎えに来ていた。