39.ヒカシューとゴジラの関係は深い。
ヒカシューとゴジラの関係は深い。なにしろデビューライブですでにゴジラやモスラを演奏している。
ヒカシューのデビューというのは、かれこれ39年ほど前のことで、夏のことだった。7月に『幼虫の危機」というパフォーマンスを江古田のマーキーという出来たばかりの店で上演し、そのために作った音楽をもとにヒカシューを結成した。吉祥寺に羅宇屋というフリージャズの店があり、吉祥寺住まいの山下が決めてきたのだと思う。
突然バンドになるということで、オリジナルをたくさん作っている時間もなく、クラフトワークの「ヨーロッパエンドレス」DEVOの「モンゴロイド」などをカバーした。怪獣ものの演奏は、井上誠所蔵の3台のメロトロンのひとつに自作テープによるゴジラの咆哮が入っていたからだと思う。
そして現在2017年になって、井上誠と再びゴジラである。4月にニューヨークのジャパンソサエティで公演し、フルアルバムの録音を行ってきた。そしてようやくキングレコードから9月に『ゴジラ伝説V』が発売になった。
KING RECORDS KICC-1386
このきっかけは2011年の福島原発の事故である。大地震と巨大津波によりコントロールを失った原発の電力喪失による爆発は衝撃だったし、事故はいまも収束していない。あの時「日本はもう終わる」と本当に思ったものだ。(いや、実際にゆっくりと終わっているのだろう)。
その年のヒカシューのクリスマス公演で、放射能の申し子であるゴジラを演奏しようと井上に提案した。ゴジラが作られたのは、1954年3月第五福竜丸がビキニ環礁でアメリカの水爆実験にさらされ、死の灰を浴び、命からがら焼津港に帰ってきた事件に端を発している。その年の11月に第一作のゴジラが公開になったのだから、その映画製作のスピード感には驚かされる。
ぼくらもあやかり、2011年の12月に「ゴジラ・放射能・ヒカシュー」と題してコンサートを行い、翌年はそのタイトルでフジロック2012に出演した。
映画でピーナッツがモスラで演じた小美人には、チャラン・ポ・ランタンという美しい姉妹が扮してくれたし、キノコホテルのマリアンヌ東雲は、「ヘドラ」の中の挿入歌「かえせ、太陽を」を熱唱してくれた。
コンサートで、ぼくは映画の中の印象的なセリフを言う係をしているのだが、どれもが印象深い。
インファント島の酋長は言う、「むかし このしま いいとこだった へいわな みどりのしまだった それを あくまの ひ たいたのだれだ! かみもおそれぬ ひ たいたの だれだ!」
生物学者の芹沢博士は、「‥‥あのゴジラが 最後の一匹だとは思えない もし 水爆実験が続けておこなわれるとしたら あのゴジラの同類が また世界のどこかへ現れるかもしれない」
折しも北朝鮮が水爆実験を繰りかえすという、前世紀の愚行を真似ている。
ゴジラの警告がリアリティを帯びる必要などどこにもないのに、ぼくらは大きな銅鑼を鳴らして、ゴジラをまだ演奏しつづけるだろう。
2017年9月 巻上公一