2019/1/9 至高の自己肯定感
複業先の懇親会で夜は恵比寿。時間がちょっとあったので、その前に恵比寿のルミネをブラブラと。恵比寿のルミネ、たまにしか行かないんだけど、行くといつもキラキラとたくさん欲しいものがある。年始にカバンを買って以来、どんなものもお値打ちにみえる私は、散財まったなしの状況。
にもかかわらず、何も買わずにでてこれたのはいっぽんの電話のおかげ。大好きな友人が親友の行動に百年の恋も冷めるようなことをされて幻滅してたのだけど、ひとばん考えて、怒りがおさまったのだと言う。
親友の行動の根底にある醜い感情、それが自分にもあるとはたと気づいたからだと彼はいう。そしてそれで相手を許せたそうなのだ。
相手の中にみる自分も持つ醜い感情。それを見つけたら許せる、なんて、どれだけ自己肯定感が高いのだ、と私はビックリ。そしてそんな友達の心の広さ、もとい自己肯定感に恐れ入った気持ちになった。
大学生の時、大嫌いな人がいた。嫌いすぎてその子の前では顔がひきつるほどだった。にも関わらず、サークルも一緒だし、仲の良い共通の友人の縁で、飲み会やランチもしばしば一緒。この子さえいなければどんなに学生生活が有意義だったろうと幾度となく思った。
今なら分かる、その子は私に似てたのだ。難しい本を読んでいることをさりげなくアピールしたり、男性に対してユニセックスな態度で接しつつ女らしさを演出したりとか。
彼女をみていると、自分のあざとさを見せつけられているようで嫌だった。そしてその頃の私はきっと今ほど自分のことを気に入っていなかったように思う。
そういえばもうずいぶんと長い間、人を嫌いになったことがない。それはたまたまなのか、私の自己肯定感があがって、人を嫌えなくなったのか?
おそらく私はただの前者。ただ次に会うときは自分と似た人を好きになれるといいなと思う。私の大好きな友人のように。
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