プルースト「失われた時を求めて」(1913-1927)/紅茶とマドレーヌ、そのかわりのヴァイオリン
2022年の目標のひとつに世界でいちばん長い小説、プルーストの「失われた時を求めて」を読むというのがあって、2月の最初から少しづつ読み進めている。
まだ全10巻の2巻の途中で、当初考えていたよりずっと遅いペースでしか読み進められず、年内に読み終わるかどうか、といったところ。
なぜ当初考えていたより時間がかかるのか、というと理由があって、実はこの本を読み始めてからヴァイオリンの練習をはじめた。
今まで読書に費やしていた時間の一部を楽器練習に捧げるようになった、それで読書する時間が減り、読むペースが落ちたというわけ。
キッカケは、「失われた時を求めて」に出てくるヴァントゥイユのソナタという架空の曲の描写だった。ヴァントゥイユのソナタ、は、この物語でキーになる事柄のひとつで、何度も何度も繰り返し描写される。
あまりにも具体的なものだから、どんな曲なのだろう、と気になった。そしてそれは「失われた時を求めて」を読んだ多くの読者にとってもそうであったようで、ヴァントゥイユのソナタのモデルとなっただろう曲を集めたCDまで発売されている。
そして色々な曲を聞き比べている最中にこの曲に出会った。
記述とは大してかぶるところはないように思った、ただまるでスワンのように、この曲、フランクのヴァイオリンソナタの小楽節が頭から離れず、そして繰り返し聞くうちにどんどん虜になった。
その日からこの曲が弾けるようになりたい、と練習をはじめた。そして弾けばひくほど、小さな頃のすっかり忘れていた記憶がいくつか蘇り、練習は嫌だったけど、ヴァイオリンの音自体は好きだった、そんな当時の複雑な思いが蘇った。
この小説でいちばん有名な箇所はここだ。マドレーヌに浸した紅茶を飲んで、それがきっかけで過去の記憶が引き出される。
今こうやってこの一説を書き起こすと、フランクのヴァイオリンソナタと出会った後の私のようでもある、と思う。この語り手にとってのマドレーヌと紅茶、私にとってのヴァイオリンを弾く行為。
本を読み進めていてこのような体験をすると、物語の世界と自分が地続きのような気がし、そしてこの感覚も私が小さい頃から慣れ親しんでいる、本が好きな理由だと気づくのだった。
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