2019/5/14 変えられるのは自分だけ
共感性羞恥の傾向がある。テレビや映画でさえこれから何かを失敗するぞ、誰かを怒らせるぞというシーンに遭遇するのがとても苦手。いたたまれなくて、観るのをやめてしまうか顔をそむける。ましてや生身の人間がマイナスの感情をぶつけあう場に居合わせるのは本当に好きじゃない。
先日、そんな話をしていたら、とある人から「変えられるのは自分だけ」という言葉をもらった。「場」に変わることを期待するのではなく、自分が変わる。そちらに頭を使った方がいい。
ああそうだなあとそれからその言葉を噛み締めている。これは何も我慢する、ということじゃない。負の感情が渦巻く場に居合わせるのが好きじゃなかったら、毅然としてその意志を表明するのも、その場を立ち去る行動をとるのも「自分が変わる」ということだ。
とはいえ、じゃあこれからどうすれば、というのを具体的に考えているのだけど、これがなかなか浮かんでこない。
そして思う。「他人に期待する」というのはずいぶんと楽だ。ただ願って、その結果に一喜一憂すればいい。一方で「自分が変わる」というのは大変だ。現に最初の一歩でさえ、今はどう踏み出せばいいかわからずにいる。
だけど私に「変えられるのは自分だけ」と教えてくれた人はとてもスッキリとしたいい顔をしている。「自分が変わる」を繰り返してきた人の顔。私もそういう顔になりたくて、なりたくて。だから知恵を絞って「自分が変わる」に食らいつく。
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