2021/10/19 ものおじしないことと、禅の話
最近の彼と私の一致する興味関心は実需を兼ねた不動産投資で、それで最近、モデルルームや竣工済の物件を、出物があれば回っている。
今のマンションを購入する際も30件近くみているのでだけど、前回と違うところは、ずいぶんとラグジュアリーな物件も見ていることだ。フルローンを組んでも購入できそうにない部屋もよく見せてもらつている。
これ、実は前回のマンション探し中は、恥ずかしくて出来なかった。どうせ買えないのに、と思われるのが恥ずかしかった。
一方彼はもともとそういうことに恥ずかしさを感じるタイプではなく、いつも堂々としている。他人の目から自由だよなあと感心していて、見習いたいと思っていて。それが彼同様、最近あまり気にならなくなったのは、一緒に寝食を共にするようになって似てきたのか、仕事や読書なんかが軌道に乗って、自信がついたのか。何にせよ、家めぐりはとても楽しい。今までみた中ではシブヤザタワーに興味津々。
この日は最近気になっている作家、サリンジャーが大いに影響を受けたという「弓と禅」という本を読んだ。これは私の故郷、仙台の大学に講師として来日したドイツの哲学者が、弓道を学んだ記録で、「悟り」にいたるまでのステップがとても詳しく、そしてわかりやすく書かれていて、悟ることへのイメージが少しついた。
が、私が気になったのは、なぜ禅に、サリンジャーが惹かれたのか、ということ。彼の半生に関するwikiを読み返して、ユダヤ人だったこと、学校にうまく適応出来なかったこと、結婚直前までいった人が急きょ別の人(何とチャプリン❗️)と結婚してしまったこと、そして第二次世界大戦の最前線で戦ったことなんかが、キリスト教的な考え〜神の定めた運命として納得するにはあまりにも過酷だった、、そんな仮説を持った。
先週末に「王妃マルゴ」という、16世紀フランス王室の血みどろの宗教対立の映画をみたのだけれど、確かにそれも「神の決めた運命」と言われたら絶望するくらい、陰鬱な結末だった。
私はそこまで東洋思想に惹かれるわけでもなく、自分の知らない世界を知りたいという好奇心から、最近禅に纏わる本を読むのだけど、そのモチベーションは、サリンジャーと比較するときっと恐ろしく軽い。
心底世の中に絶望したことがないのは、神の存在を疑うようなことがなかったのは幸福なことでもあるものの、深い絶望の底にいた時に引き上げてもらうような、そんな経験もないわけで。深さをみせてくれる小説に出会うと、それは決してわたしには書けないな、と少し残念に感じるのだった。
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