平凡のなかに、光る狂気
文章というのは不思議なもので、パソコンを閉じた瞬間、書きたくなるものである。
また、どうしようもなく役に立たない文章を書きたくなることがある。わたしの場合1ヵ月に1回ぐらい無性にこの衝動にかられる。
ふつう、文章を書くときは、誰かの役に立つ、ということを念頭において書く。だが、誰の役にも立たない、ただ自分が吐き出したい文章を書きたくなるときがあるのだ。
------
最近、OKUDAIRA BASEさんというYouTuberにハマっている。
彼の動画のコンセプトは「暮らしを楽しむ」。
暮らしとは、料理や掃除、洗濯や整理整頓など、「やらないといけないこと」です。
でもその「やらなきゃならないこと」を「楽しくて仕方がないこと」に変えることができたら、毎日が、そして人生が楽しくなると思うんです。
とインタビューで語っている。
登録者数は約14万人で、近々、本も出版される。
わたしが彼の動画を見るようになったのは「すっごくインテリアがオシャレなんだよ」と旦那に紹介されたから。彼の動画の料理や洗濯などの生活音がとても心地よいため、眠気がない夜に再生して眠りにつくというルーティンになっている。
彼がこんなに人気になったのは、「真似したい」と思えるコンテンツを提供することに、価値があるからなのではないだろうか。
と、なると、だ。
わたしは一体、何を提供できるのだろう。
------
かつてわたしはnoteを毎日投稿していた。
これは、単純にアクセス数の変化を知りたかったことと、以前、好きな声優さんのひとり「茅原実里」さんが
「私はいつもここにいるよ」っていう、ファンのみんなへのメッセージ
と記事で語っていたのを読み、「自分にファンがいるとは全く思わないけど、noteにわたしはいるよ」という気持ちをこめて毎日投稿していた。
結局、妊娠してしまい、体調が悪くなり、毎日投稿をやめてしまった。
また、今年になってから、新しくブログをはじめた。
今までの自分の失敗が、誰かの役に立つかもしれないという想いで更新している。
------
・毎日更新
・役に立つ内容
個人の情報発信が容易になった時代で、大切とされていた考え方だったが、今は、ちょっとだけ違うのかもしれない。
毎日更新も、役に立つ内容も、ありふれてしまった。
同じような内容は、あまたとあり、
飽きられてしまった。
きっと今は「真似したくなる」コンテンツの方が興味の対象なのだろう。
真似をして、
今度は自分が情報発信して、
真似されてゆく。
自分が主人公になれる
自分がアイドルになれる
そんなコンテンツを提供した方が、きっとウケる。
------
と、なると、だ。
再度問おう。
わたしは一体、何を提供できるのだろう。
わたしから、何か真似したくなるようなコンテンツは生み出せるのか?
平凡、平均、無個性、才能も夢もなし。
真似したくない
こうなりたくない代表ではないだろうか。
「等身大」「ありのままの姿」がウケるとしても、それは何か面白いと思える部分があるからなのだ。ひとつだけでも何か尖ったものを持っているからなのだ。
だって、わたしも、ふつうの人の動画は面白くないと思っちゃう。同じOLでも、毎日ボロボロになっていく姿とか、びっくりするほど散財するとか、全く知らない部署や業種の仕事の様子とか、なにか「自分と違うもの」を提供してもらわないと、つまらない。
ちょっと顔がいいとか、ちょっと部屋がキレイとか、ちょっとイイこと言うとか、そんなのでは満足しなくなってしまった。
平凡のなかに、光る狂気みたいなものを
わたしは欲している。
------
わたしの中に、狂気は棲んでいるか。
わたしの中に、バケモノは棲んでいるか。
「世間の常識」という教育で駆逐されてしまった自分が存在するのならば、今一度、卵から孵化させてみたい。
具のない🍙まき子(@makicome1986)