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わたしはつよいんじゃない。にげてるだけ。
「君は泣かない人間なのかと思ってたよ」
結婚して3年。
旦那がわたしに対して、結婚する前と後で一番印象が変わったことだそう。
生まれた瞬間から泣いて生きているのだから、泣かない人間なんていないのだと思うけれど、どうやらそんな印象だったらしい。
「あなたは強いから、大丈夫」
この言葉もたくさん言われる。
出産するときも色々な人から言われた。うまくやれそう、心配なさそう。なにを根拠にそう思うのかわからないけれど、とにかくそう見えるらしい。
でも本当のわたしは、ちゃんと泣く。
涙活のために、あえて泣くようにしているっていうのもあるけれど、心のコップの表面張力でも耐えられなくなったら涙はドッとあふれる。ただし、人前では決して泣かない。一人でいるときか、一人になって、泣く。声を押し殺して泣く。次の日、目が腫れないように目を触ることなく、流れるまま、涙を流し尽くす。泣いたことを人にわざわざ言う必要はないと思っているから、他者は泣いたことに気づかず、泣かない人間に思われているのかもしれない。
強い、というのも自分ではよく分からない。
おそらく「あ、なんか、嫌だな」と予感するものをことごとく事前に避けているだけだと思う。
◆
好きな作家さんがバズった。
ネットニュースに掲載されたり、インタビューされたりしていた。
わたしは気がついたときに、まとめて作品を読んでいたので、久々にサイトを訪れると、ずいぶん雰囲気が変わっていた。
もちろん、いい風に変わっていたのだけれど、わたしはダメだった。なんだかダメだった。なんだかダメだったのだ。
だからわたしは最近の作品をいくつか読んで、そっとブラウザを閉じた。
二度と訪れない、なんてことはしないけれど、しばらくは訪れないと思う。
わたしは逃げたのだ。
人気になって、さらに手の届かない人になって、読者が平等じゃなくなって。
寂しさから逃げたのだ。
◆
「そのグループに属していないと分からない話題について、置いてけぼりにされること」が苦手だ。
わたしは女なので女性のグループのことしか詳しくないけれど、かなり高い頻度で行われる。友達だけじゃなく、身内でも。
分からないことは聞けばいいのだから、聞く姿勢でのぞむのだけど、たいてい「えっ、知らないの?」という、勝手にこちらが損したかのような雰囲気を出されるので、気持ちが萎えてしまう。
だからなのか、わたしは友達はいるっちゃいるけれど一対一でしか会わないし、そもそもあまり連絡もとらない。グループに属するときも、分からないことを許してくれるグループを選ぶようにしている。
嫌な状況に遭遇したくないから、先に逃げているのだ。
◆
これらは強さではなくて、試行錯誤の結果であり、工夫であり、努力の賜物だと思う。わたしなりの危機管理能力だ。逃げることは恥ずかしいことではない。
でも逃げることにすこしだけ罪悪感がある。
なので精一杯の歩みよりとして、noteを書くことがある。
「逃げてしまったけれど、本当は逃げずにすむなら逃げたくないんだ。だけどやっぱり逃げてしまったから、あなたに向けて、この文章を書きます」ということ。本人に届いているかは分からないけれど、わたしなりの精一杯の距離の縮め方であり、誠意の示し方なのだ。
わたしは人づきあいがとても下手くそで、
そこから逃げることで自分を保っている。
他者から見たら、それが強さに見える。
たいくつな種明かし。
具のない🍙まき子(@makicome1986)
▼グループに属していないと分からない話題について、分からないことを許してくれるグループ(・・・だとわたしが勝手に思っている)、
WEBラジオの #ろりラジ リスナー達。
▼涙活についてまとめた記事あります。
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