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2章: 迷走と模索の日々 3.好きなことでも超えられない壁

フラメンコに夢中になっていた私に、ある日、現実という壁が立ちはだかりました。それは突然現れたものではなく、私の心の奥底で静かに膨らんでいた疑問が表面化したものだったのかもしれません。

初めは、ただ楽しくて仕方がありませんでした。体を動かすことの楽しさ、音楽と一体になれる高揚感、舞台で踊る喜び――すべてが新鮮で、夢中になる以外の選択肢がありませんでした。それがいつの間にか、「自分がこのままフラメンコを続ける意味は何だろう?」という問いに変わっていったのです。

気づけば、私は周囲の人たちと自分を比べるようになっていました。小さい頃からバレエやダンスをやってきた経験豊富な人たち、スペインに留学して現地の空気を吸いながら踊りを磨いた人たち、コンクールで結果を残している人たち――そんな彼らと比べると、私のフラメンコ歴は浅く、踊りの技術も未熟に思えました。「私なんてただの素人、趣味を楽しんでいる人に過ぎない」と感じることが増えていきました。

そして、次第に楽しいはずのフラメンコが「これを続ける意味」に悩む原因になっていきました。「楽しいだけでいいのか?」という思いが頭をよぎり始めたのです。好きなことに夢中でいる自分を楽しむ一方で、「これは将来何になるのだろう?」「年齢を重ねていったらどうなるのだろう?」という不安が私を支配し始めました。

さらに、「お金はどうする?生活はどうなる?」という現実的な問題が私の心に重くのしかかりました。「好きなことを続ける」ことと「生きていく」ことの間に見えない壁が立ちはだかり、それがどんどん大きくなるように感じたのです。

今振り返ると、私はその壁の前で立ち止まることしかできませんでした。その時の私には、「好きなことを本気でやり続ける覚悟」が足りなかったのだと思います。それは昔からの思考の癖、つまり「好きなことや望むことに本気になってもしうまくいかなかったらどうしよう」という恐れから来ているのだと思います。その恐れが、私を前に進むのではなく、手を引く方向に向かわせたのかもしれません。

「楽しい」という感情だけで突き進むには、私の心の中にある「現実の不安」があまりにも大きすぎたのです。そして、好きなことでは生きていけないのだと自分に言い聞かせることで、そこから逃げようとしていたのかもしれません。ぐちゃぐちゃに絡み合った感情や思考の中で、私はその壁をどう超えればいいのか、まるで見当がつきませんでした。

それでも、この時期の葛藤があったからこそ、私は「好きなことをすること」と「生きていくこと」の意味を深く考えるきっかけを得ることができました。その答えを見つけるのは、もっと後のことになりますが、この壁に直面した経験は、私の人生の大切な一部になったと今では思います。

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