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1章: 優等生の誕生とその影 1.「完璧を求めた学生時代」
小学校時代の私は、「ちゃんとすること」が当たり前だと思っていました。それが自分の義務であり、自然なことだと感じていたのです。特に「怒られる」ということが極端に怖く、失敗したり、先生や周囲の目から逸脱するような行動を取ることに強い恐れを抱いていました。今思えば、それは母がよく言っていた「みっともないことはしないように」「恥ずかしいことをしないように」という言葉の影響が大きかったのかもしれません。
母は決して厳しい人ではありませんでした。そのように感じたこともありません。ただ、私の記憶を辿ってみると、何かしらの形で「きちんとした子であること」を期待していた、あるいは、求めていたのかなと思います。それは母が子供に対する躾として大切に思っていたことだったのでしょう。そしてその期待を、幼い私はどこか無意識のうちに察していたのでしょう。「ちゃんとしていること」は私にとって息苦しいものではなく、むしろ自然な状態であり、特別な意識をしなくても当たり前のようにこなしていた気がします。
特に高学年になると、私の生活はまさに「ちゃんとした優等生」の典型のようになりました。学校では器楽部に所属し、毎日トランペットの練習に励んでいました。夏は水泳部の活動で表彰を受ける成績を残し、その他お習字でもよく賞をもらっていました。さらに、児童会の役員を務め、全校生徒の前に立つことも多々ありました。学校以外でも、英語を学び、ピアノのレッスンに通い、市の合唱団にも所属し活動するなど、家に帰るのは平日はいつも遅い時間、土日も習い事というスケジュールでした。
こうして振り返ると、スケジュールはぎっしり詰まっていて、今の私が当時の私に会ったら「どうやってそんな生活をしていたの?」と尋ねてしまいそうです。でも、その忙しさを苦に思った記憶はありません。それが「普通」であり、「ちゃんとしている私」には当たり前の生活だったのです。
「ちゃんとする」ことが私にとって一種の安心感をもたらしていたのかもしれません。怒られないように、期待に応えるように、きちんとした成果を見せる。こうした積み重ねが、周囲の大人たちからの信頼や評価につながり、さらに「もっと頑張らなければ」と思う循環を作っていたのだと思います。
ですが、それは決して「自分が本当にやりたかったから」という理由ではなかったように思います。むしろ、「こうあるべき」「期待に応えなければ」という外側からのプレッシャーに応じていた部分が大きかったのかもしれません。
振り返ると、この時期の私は、自分自身に対する意識よりも、他者からどう見られているかを非常に気にしていたのだと思います。怒られたり、悪目立ちすることを避け、いつも「正しい」「きちんとしている」ことを求めて行動していました。たとえそれが負担になっても、「みっともないことはしない」という暗黙のルールが私を支配していたように思います。
この時期の経験は、私にたくさんの達成感と自信を与えてくれましたが、同時に、周囲の期待に応え続けることでしか自分の価値を見出せない、そんな考え方の種を植え付けた時期でもあったのだと、今では感じています。それが私を支えた一方で、後々の人生で「自分らしさ」を見失い、生きづらさを感じるきっかけにもなっていったのです。