見出し画像

1章: 優等生の誕生とその影 5.「大学生活と氷河期の衝撃」

大学進学が決まり、私が一番喜んだことは、実家を離れて一人暮らしができるということでした。それまでの私は母の期待に応えていたという自覚は全くありませんでしたし、実家で両親と暮らす毎日を窮屈に感じたこともありませんでした。ただ、今思えば、どこかで「母の元から離れたい」という本能的な思いがあったのかもしれません。けれど、当時の私はその気持ちに気づくことはなく、「自由になれる」という表面的な期待だけに心を躍らせていました。

新しい生活への期待で胸が膨らみ、すべてがキラキラと輝いて見えました。大学生活そのものにも、高校生活以上の憧れを抱いていました。友達とワイワイ楽しむキャンパスライフや、親に縛られない自由な1人暮らし。私の頭の中はそんな楽しいイメージでいっぱいでした。

しかし、その期待は学びや成長といったものとはかけ離れていたように思います。授業には興味を持てず、出席しないことも珍しくありませんでした。その一方で、アルバイトや友達との時間は楽しく、それに多くのエネルギーを注いでいました。当時の私は、「学び」よりも「自由」を満喫することを優先していたのです。今振り返ると、本当に貴重な時間を無駄にしてしまったと感じます。

そんな中、私たちの世代にバブル崩壊という大きな出来事が襲いかかりました。それは、いわゆる「就職氷河期」の始まりを意味していました。大学生活の終わりが見え始めるころ、就職活動を考えざるを得なくなった私たちは、一転して厳しい現実に直面することになったのです。

私の世代は、受験においても常に激しい競争にさらされてきた世代でした。大学入試をなんとか乗り越えた私たちが待っていたのは、就職という新たな競争の場。それも、求人が激減し、企業が学生を選び放題という厳しい状況でした。周りの友人たちが苦労する姿を見て、私自身も「とにかくどこかに就職しなければ」と焦りを感じていました。

その焦りの中で、私はまたしても「世間体」を最優先に考えていました。就職できないのは恥ずかしいこと。何でもいいからとにかく就職先を決めなければという思考に支配され、結局自分のやりたいことや興味がどこにあるのかを深く考えることなく、就職先を選んでしまいました。

こうして私はまた、「外面を整えること」を目的に選択をしてしまったのです。世間の目を気にして、外見上は「問題がない」状態を作り出す。これが私の思考の癖だったのかもしれません。しかし、その結果、どこかしっくりこない感覚や、不安、そして落ち着かない気持ちがいつもついて回りました。それでも当時の私は、「これが人生というものだ」と割り切るしかないと思っていました。

なぜなら、バブル崩壊や就職氷河期は、私だけではなく、私の世代全体に降りかかった試練だったからです。「仕方のないこと」「私たちの運が悪かった」と諦めていました。けれど、それは本当にそうだったのでしょうか?その後、私はそんな中でも自分の道を切り開いている人たちがいることに気づき、愕然としました。

自分の考え方がいかに狭く、他人や世間を気にするあまり、自分自身を後回しにしてきたか、そのことに気づいたとき、私は深く後悔しました。そして、これこそが私の人生を大きく左右してきた思考の癖であったのです。

この時期の選択は、今振り返れば私自身にとって大きな学びでした。それは、何かを選ぶときに他人の目や世間体を気にするのではなく、自分自身と向き合うことがいかに大切かということです。しかし、その学びを得るのは、もっと後のことでした。

いいなと思ったら応援しよう!