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2章: 迷走と模索の日々 2.フラメンコとの出会い:体を動かす楽しさに夢中
フラメンコとの出会いは、今でもはっきりと覚えています。それまでの私にとって、フラメンコどころかスペインという国さえ、ほとんど意識したことがありませんでした。地図で正確に場所を指し示せるかも怪しいほどで、スペインの文化や音楽に興味を持ったことは一度もありません。
フラメンコを始めら理由は、高校時代の同級生と久しぶりに会った時のことがきっかけです。そのうちの1人が「フラメンコをやってみたい」と言ったのです。その時、私はフラメンコが何かすら知りませんでしたが、思わず「私も!」と答えました。もう1人も興味を示しましたが、実際に始めたのは私1人でした。
これまでの私にとって、体を動かすことは習慣でも得意なことでもありませんでした。それでも、なぜか軽やかな気持ちで始めてみたフラメンコは、私の中で大きな存在になっていきました。初めて踊る感覚、身体全体を使って音楽に合わせる楽しさ――それは言葉にできないほど新鮮で心地よいものでした。全身でリズムを感じ、音楽に溶け込む感覚は、まるで今まで経験したことのないような高揚感をもたらしてくれました。
いつの間にか、私はフラメンコに夢中になっていました。それは単なる趣味ではなく、生活の全てとなる存在へと変わっていったのです。気づけば、私はフラメンコ中心の生活を送るようになっていました。元来持っていた向上心が刺激されたのか、私はフラメンコに関するすべてのことに時間やエネルギーを注ぎ込むようになりました。
フラメンコを優先できるシフトが組める仕事に就き、踊る機会が得られるタブラオで舞台に立つ日々。自主練にも力を入れ、踊りを磨くことに全力を注ぎました。フラメンコのために時間を使い、フラメンコのためにお金を使い、フラメンコのために心を捧げる。私の生活は完全にフラメンコ一色になっていったのです。
「何のためにやっているのか?」などという問いは全く浮かびませんでした。ただただ夢中で、踊ることそのものが楽しくて仕方がなかったのです。振り返れば、無我夢中という言葉がぴったりな時期だったと思います。フラメンコを踊る時間は、間違いなく「今を生きている」感覚そのものでした。
フラメンコは、私に新しい自分を見せてくれる存在でした。音楽と踊りに心を解放し、優等生の枠にとらわれることなく、自分を表現する楽しさを知ったのは、フラメンコのおかげだったと思います。それは、これまでの私が経験したことのない、まったく新しい自由の感覚でした。
そして、このフラメンコとの出会いが、後にスペインという国を私の人生に引き寄せてくれるきっかけになったのです。当時の私は、スペインに行くことや住むことなど考えたこともありませんでした。ただ、「スペインでフラメンコを習える」という事実を知り、そこに憧れを抱いたのは確かです。しかし、それは私自身には縁のない、遠い世界の話のように感じていました。
とにかく、フラメンコが私に与えてくれた喜びは何にも代えがたいものでした。踊ることそのものの楽しさに没頭し、心を開放する感覚を味わったあの時間は、今でも私の心の中に鮮やかに刻まれています。
振り返ると、フラメンコは私に「今を生きる」ことの喜びを教えてくれました。それは単なるダンスを超え、私自身を解放し、新しい人生への扉を開くきっかけになったのです。