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昔、友達の隣でビールを飲みながら考えたこと

「挑戦」という言葉は、重い。
そこには、「ちょっとやってみた」とは違う響きがある。
毎日休まずに練習した、夜も眠らずに働いた、他のすべてをなげうって取り組んだ……
そんな悲愴感のようなものがつきまとう。

だけどその努力は、いつも報われる訳じゃない。
……実はきっと、そんなに肩肘張らずに、気軽に、楽しんで、無理なく取り組む方が理にかなっているんだろう、と正直、思う。
いまどき「挑戦」なんて流行らない。
「やってみた」でいい。

それでも、長く生きていれば、一回や二回(人によってはもっと多く)、引くに引けない事情や強い思いがあって、何かに挑戦しなきゃいけない場面というのがあるのかもしれない。
僕は「挑戦」という言葉を聞くと、十数年前、学生時代からの友人と行った焼き鳥屋のカウンターを思い出す。

彼は当時、テレビ関係の小さなプロダクションに勤めていて、バラエティー番組のADをしていた。
ところがひょんなことから、これまで何の経験もない(もっと言えば、「まともに観たことさえない」)硬派のドキュメンタリー番組のディレクターをすることになったという。
赤羽の安い焼き鳥屋で、彼は珍しく泣き言を言っていた。
テレビの世界のことはよく分からないが、どうやら、純文学の作家が漫画を描けと言われたくらい、全然違う仕事らしい。(漫画家が純文学を……と、例えを逆にした方がいいような気もしたが、互いにかなり酔っていたし、どうでもいいことだった)
「『伝えたいことを映像で表現する』って言われたって、わかんねぇよ。そもそも、『伝えたいこと』って何なんだよ……」
どうやら、組んでいるその道のベテランカメラマンと、うまくいっていないらしかった。
複雑に絡まりあった事情と因縁の果てに彼のもとに転がり込んできたその仕事は、プロダクションにとってはかなり大事な仕事で、社の命運を握るとまではいかないが、絶対に失敗できない仕事のようだった。
彼は、プレッシャーと不安に押し潰され、何をどう努力したらいいのかさえ分からず、途方にくれていた。
僕はその夜、何のアドバイスもできず、ただ隣でネギマやレバーを食べていることしかできなかった。

次に彼に会ったのは、その2か月ほど後のことだったと思う。
ドキュメンタリーの仕事は長期取材だとかで、彼はまだその最中にいた。
相変わらず、悩んでいた。
「俺みたいな、何も知らなくて、適当に生きてきた人間がやっていい仕事じゃないんだよ」
番組制作のノウハウとかテクニックの話ではなく、何というか、もっと根本的なことに苦しんでいるようだった。
若い頃から本も新聞も読まず、イベントやらライブやらに明け暮れてきたという彼は(もちろん、その方面のノウハウや人脈はあり、それはそれで財産だと思うのだが)、取材相手の話になかなかついていけないとこぼしていた。
つい先日も、ずっと交渉してきて、やっと話が聞けた相手にとんちんかんな質問をしてしまい、取材の途中で帰られてしまったそうだ。
「テレビ局のプロデューサーとの打ち合わせでも、知らない言葉を連発されて……わかったような顔して頷いているしかないのが、つらいんだ」。
本屋で専門書を何冊も買いこみ、毎日読んでいるという。
僕はまた、隣でだまって話を聞いていた。
彼の話が途切れる度に、奥のテーブル席の若者たちの大きな笑い声が耳についた。
帰り際、例のカメラマンのことを聞くと、「そっちはうまくやれてる」そうだった。「俺たちバカは、バカなりにやるしかない」、そう励まされたと笑っていた。

そのとき彼は、確かに「挑戦」していた。
その姿は美しかった、などと言うつもりはない。むしろ、本当に苦しそうだった。
数か月の取材の末に彼の作ったドキュメンタリー番組は、決して成功とは言いがたい出来だったらしい。
ただ、彼はその仕事でプロデューサーに気に入られ、その後もちょくちょく、そうした仕事を頼まれるようになった。最近では、よく知らない名前の小さな賞を受賞したとも聞いた。
例のカメラマンとは、社内では「名コンビ」と呼ばれる仲になったという。

無精な僕は、「挑戦」なんて自ら進んでするもんじゃない、と当時思っていたし、今も思う。
それでも彼を見ていて、感じたことがある。
新しいことへの挑戦にせよ、記録への挑戦にせよ、人は何かに挑戦することで、「扉」を開けることができるんじゃないか。
扉の先にあるのは、未知の世界。
それまで見たことがない風景が広がっていて、会ったことがない人たちがいる。
そこに足を踏み入れるのは、ある種の覚悟を持って何かに臨んだ人だけに与えられる特権だ。
挑戦が成功したかどうかは大事じゃない、なんて言うつもりはない。
(それは挑戦に対する冒涜だと思う)
でも「扉を開ける」ことも、結果と同じくらい大事なんじゃないか、とは思う。

くどいようだけど、「挑戦」ってのは、あんまり軽々しく使う言葉でもないし、賛美し過ぎるのもどうかと思う。

……でもまぁ、思わなくはない。

たまに「挑戦」のある人生も、退屈しなくていいかもしれない。

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