【恩師のことば】皆さんは李徴ですか。それとも袁傪ですか。
今まで出会ってきた先生が教えてくれた言葉の中でも、私の心でいつまでも色褪せないものをピックアップ。
今回は、高校2年次に現代文を担当してくださったK先生のお話です。
不人気の授業
高校1年次には古文を教えてくれていたK先生が、2年に上がった私たちの現代文を担当することになった。
60手前に見える、小柄な女性の先生だった。
とにかく声が独特だった。例えるなら市原悦子さんのような声質で、大きな声を出すとよく声がひっくり返ってしまうのだ。でも、そんな声を自分でも笑ってしまうような、朗らかで親しみやすい人だった。教え方も丁寧だった。
学年が上がって勉強のレベルはさらに上がっていた。いよいよ追い詰められていた私にとって、1人でも見知った先生がいるのはありがたかった。
ところがこの先生、1年生の時こそ生徒からの人気がすこぶる高かったにも関わらず、現代文になってからは途端に嫌がられるようになった。
「だってさ、受験に関係ないじゃん」
クラスメイトから理由を聞いた時、とっさに言葉が出てこなかった。
「手作りってめんどくさいでしょう」や「試着を楽しむ」で紹介した家庭科のT先生に対する評価もそうだったが、私の通った高校の生徒たちはとにかく基準が一貫していた。
なるほど確かに、K先生が教える現代文は、読解テクニックを教えるものではなかった。むしろ、読んだ内容に対する私たちの感想を求めて、そこから人生や善性といった深いテーマを考えていく授業だった。良くも悪くも国語の域を超えていたと思う。
授業中に感想を書いて提出、先生がそれを切り貼りしてプリント作り、次の授業でそのプリントをもとに質疑応答。その繰り返しだった。
古文のK先生はきめ細やかで論理的な文法解説をしてくれていたから、クラスメイトとしては「現代文でもそれをやれよ」という気持ちだったのだろう。その気持ちも理解できなくはない。
そんなわけで、生徒からK先生に対する評判は悪くなる一方だった。とはいえK先生もそれを承知の上で進めている風があり、知らん顔で自分のスタイルを貫いていた。
私には授業に貴賤などあってたまるかという矜持(のような意地)があったし、インプットした情報に自分なりの考えや感想を抱くのは嫌いではなかったから、この授業との相性はすこぶる良かった。
必然、私の作文はプリントで多く取り上げられた。周りにもそれは知られていた。何せ私の筆圧は隠しようがないほど濃かったので、国語以外のプリントと照らし合わせれば一発でバレるのだ。
だからその度、クラスメイトには「また有帆ちゃん選ばれてたね」と言われた。受験に役立たない授業にも全力な私を、彼女たちは「すごいね」と褒めた。
恐らく何の嫌味もない。分かっていても、こんな会話が週に5日もあれば心は擦り減る一方だった。
でもこのグループに残れなければ、私は学校でやっていけない。
高校デビュー時に無理やり抑え込んだきつい性格を、歯を食いしばってさらにぎゅうぎゅうと締め付けた。
そういう中で、「山月記」が扱われた。
中国の「人虎伝」をもとにして書かれた中島敦の短編小説について、身も蓋もないあらすじはこうだ。
袁傪が山に出向くと、旧友の李徴が虎になっていた。虎になった経緯を聞いた袁傪は山を下り、李徴は虎のまま山に残った。
本当に身も蓋もないが、伝わる人には伝わると思う。
この「虎になった経緯」というのが原典と大きく異なる点であり、山月記の最も大切な部分と言っていい。現代文の教科書に載った理由もそこだろう。
山月記の李徴は、何か悪いことをして他者から裁かれ虎にさせられたのではない。己の「臆病な自尊心」や「尊大な羞恥心」に自ら囚われ、結果として自ら虎になった。
そんな一通りの解説を終えたあと、K先生は私たちにこう尋ねた。
「皆さんは李徴ですか。それとも袁傪ですか」
クラス全体がしらーっとした空気になった。
気がした。
先生はその反応に慣れっこなので、「自分は李徴だと思う人〜」と挙手を求め始めた。
李徴は、30人いるクラスで私1人だった。
次に先生が「袁傪だと思う人」と言った後、私と船を漕いでいる人以外は皆が手を挙げた。
私は動揺した。
「受験に関係ない授業で頑張っちゃってる槇」がこれ以上浮いてどうする?
確かに、李徴を選ぶということは「私は虎になったあのイタい思考に共感しちゃう人間です!」と宣言するに等しい。社会的自殺行為とも言える。
でも、二択で迫られているのに嘘はつけない。そもそも私は李徴にひどく共感してしまったのだから。
ああ、たった1人残った私は理由を聞かれるんだ。何という公開処刑……と、私は諦め半分に覚悟を決めた。
が、先生は、私ではなく袁傪を選んだ人たちに「どうしてそう思ったの?」と次々当てていった。
大抵は同じ意見で、
「自分が袁傪だとは思わないけど、少なくとも李徴ではないと思う」
「李徴の考えが分からない」
という消去法からの選択だった。
先生はなぜあの時、私に問わなかったのだろうか。
李徴の思考については既に散々解説したから、今さら私を吊し上げて出てくるものなどないと思ったのだろうか。大事なのはあくまで考えることだから、と。
あるいは、学校で浮いている私をこれ以上晒し者にすることを好まなかったのだろうか。
理由はついぞ分からないままだが、おかげで私は国語を嫌いにならずにすんだ。
ロジカルな読解も好きだったが、じっくりと味わい想像し考えるのもまた良いものだ。もとより、じっくりと考えるにはそもそも読解力が必要なのだから。
……と、自分を肯定してもらったような気がしたから。
李徴と袁傪に差をつけていたのは私だった
もう10年以上、カラオケに行けば必ず歌う曲がある。「タイガーランペイジ」というボーカロイドの歌だ。
ささくれP、またの名をsasakure.UKさんが山月記をモチーフにして作った。
ささくれ節と呼ばれる独特のポップな曲調と、鏡音リンのやや少年めいた声質が、思春期から青年期にかけての苦悩や焦燥を上手く表現していると思う。
このあたりの歌詞はまさに山月記だ。
この曲はささくれPが山月記を彼なりに再解釈したものだから、全てが全て原作と対応しているわけではない。
ないのだが、この曲を聴くたび歌うたびにあの時の授業と自分自身の青さを思い出す。
私は子どもの頃、人と違っていなければならない、もっと言えば抜きん出て秀でていなければならないというプレッシャーを受けていた。自己暗示もあった。田舎の早熟な秀才に周りが盛り上がる、よくある悲劇の始まりだ。
だから、まぐれで受かった県内有数の進学校において私が座れる椅子などなかった。赤点をうさぎ跳びし、「このままの成績じゃあ早稲田か慶應」というクラスメイトの泣き言に心から寄り添い、私は順調に自尊心を病んでいった。
でも、彼らとの違いは単に秀でる秀でないという話だけではなかったのだ。そこにもっと早く気づくべきだった。
例えば、何かの弾みで私の父が大卒でないことを話して「え、じゃあ何の仕事してるの?」と聞かれた時とか。
生まれ育ちが違うから、そもそもの考え方や価値観がまるで違う。それだけだ。半径数メートルの常識が世界の理と信じていた点ではお互い変わりない。
経済や学力の差はしばしば上下で表される。でも、考え方や感性はそうではない。例えるとしてもせいぜい左右だ。だから、自分が李徴であろうが袁傪であろうが、よく考えようが消去法であろうが、各々の回答に優劣を見出すのはナンセンスだ。
それだのに、私は彼らの考え方について行かなくてはいけないと思っていた。彼らは何もかも私より上だと。
思春期の幼い思考だ。K先生は、李徴にも袁傪にも優劣を付けていなかったのに。
私は危うく虎になるところだった。
K先生の名誉のために
ありがたいことに、私は虎になる前に高校をやめ、後になりゆきで大学へと進んだ。
入試の初日は筆記試験で、私の受けたコースは、ちょっとした学科試験と課題作文が課された。課題作文には必ずベースとなる論文が用意されていたが、求められたのは読解力ではない。書かれた意見に対する発信力だった。
筆記の翌日には面接があり、自分が書いた内容をもとに何人もの先生と問答を重ねた。
その内容が良かったのか――学科試験は散々だったから作文と面接が効いたとしか思えない――、私は結局その大学に受かり、この度はやめることなく卒業まで漕ぎつけた。
高校中退を機に疎遠になったあの頃のクラスメイトとは、今や誰一人として繋がっていない。でもできるなら、これだけは伝えたい。
「あのさ、受験に関係あったよ」