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『質的研究の考え方 研究方法論からSCATによる分析まで』を読む
大学院の質的外国語教育勉強会に参加しはじめて3年が経つ。今日で勉強会は49回目になった。今年度の後期から課題図書として読んでいるのがこちら。
大谷尚(2019)『質的研究の考え方 研究方法論からSCATによる分析まで』.名古屋大学出版会
前回の勉強会にて、先生の発言で心に残ったのはこのことば。
質的研究は再現できない。再現できることを目的としていない。
今回は、p77-104を読みました。
質的研究の一般化可能性
こちらの続きとして、第1章第1部にて、「質的研究の一般化可能性」について、このように書かれている。
質的研究の一般化可能性は、論文の結論自体にはなく、それはむしろ、論文読者等(研究のオーディエンス)が論文を読み、それを自分の抱えているケースや、その他のケースと「比較」しながら、自分のケースのために「翻訳」することで、適用が可能となり、一般化が実現されると考えるのである。この時、質的研究の一般可能性は、その「比較可能性」と「翻訳可能性」によって提供されるものと考えられる。
量的研究とは異なり、再現できることを求めてはいないが、論文で語られたことを読み手が自分のケースに翻訳することで適用が可能となることを目指す、ということ。
そもそも、母集団があるのではなく、それぞれの文脈やケースでおきた事例の意味を考えていくわけだから、再現できるような類のものではない。
一方で、読み手がそれを自分のケースに合わせて「翻訳すること」、つまり解釈することで、一般化可能性が生まれるというもの。
この読み手の解釈や翻訳する力、つまり創造性に任せるところが、なんというか一方的に押しつけない、読み手のものの見方を信頼し、尊重したような感覚というか…。
まだここがうまく言語化できないのだけれど、私が質的研究に心惹かれる要因のひとつはこのあたりにあるようにも思う。