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100本ノック、その先を考える
#note100本ノック
Day 89(画像は、noteからいただいたお知らせより引用させていただきました)
年末に始めたnote100本ノック、
目標の100本まであと少し。
その先を考えている。
そもそもの目的は
そもそもこの100本ノック、
始めた目的は何だったっけ。
自分の記事で振り返る。
取り組むにあたり期待することは、2023-2024にかけての自分の価値観の掘り起こし。
いまの自分に見えていないけれど(あるいは無自覚だけれど)、自分が大切にしようとしていることが言語化され、見えてくるかもしれないなあ、と。
うんうん。
これはねえ、見えてきた自覚あり。
「100本続けること」そのものが目標なのではなく、その過程で見えてくるものや得られるものに漠然と、いや明確に期待しています。
うんうん。
この毎日の継続の過程には、「書きたくない時期」とか「何もアイデアが降りてこない時期」とかも含まれていて。
そこから何かをひねり出してしたためようとする時、純粋に発信したいと思う事がらの外側で、さらに気づきが生まれている気がする。
作家は、深い海の底に沈むような気持ちで自分を追い込み、価値ある文章を生み出すという。なので文章を生み出すという過程としては、もしかしたら正しいのかもしれない。(「作家」という意味ではnote書いてるひと全員が作家でありwriterだからね…)
教育以外の価値あるできごと
わたしは仕事の性質上、3ヶ月多忙で3ヶ月ゆっくり、みたいなサイクルで今を生きている。なので今回は、3ヶ月ゆっくり、に当てはまるように100本ノックを設定した。3ヶ月多忙ななかで得た教育における気づきを言語化しようと思って始めたのだけれど…。
発信し続けながら感じた大きな気づきは、自分が欲している発信は、わりと「教育」カテゴリーではないということだ。「先生」ではない自分が自分のなかに大きく存在していて、自分はそれをとても大切に思っているということだ。
わたしは「先生」だけど、文学が好きで、ピアノが好きで、箱根駅伝が好きで、さらに犬が好き。とりとめもない日常を愛する、単なるちっぽけな、ひとりの母である。
そんなわたしの毎日は平凡ではあるが、自分にとっては先生であることと同じくらい、教育と同じくらい、その毎日が価値あるものなのではないか。
ニュートラルはしあわせ
ニュートラルなことが幸せだと、ある本を仲間と読むなかで気づいた。
わたしの発信したいと感じることは、わりとそのニュートラルのなかに潜んでいることが多い。題材は100本の後半になるにつれて、ニュートラルゾーンのなかの話ばかりになっていった。
職業は「先生」だが、ただそれだけだ。
毎日をどう豊かに生きていくかを描きたいただのひとりの人間だ。それは、例えばnoteのフォローを増やそうとする考えとは全く異なる次元の話だ。
わたしはnoteにアウトプットすることで、自分を見つめ、自分のなかの価値を整理して、自分を励まし、価値ある時間を自分の毎日に増やしたいのかもしれないなあ、と思う。
ということで、あと10本で100本ノックを達成したら。
そのあとどうするか…についての答えはまだ出ない。でもnoteで何を発信したいのかとか、自分が毎日をどんな風に生きて、どんな風に切り取りたいのかは、ちょっと言語化できてきたかなあ…もう少し、考えます。