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イラク芸術の系譜
先日は、バグダッドのカハラマーナ像を作ったアブドル・ガニ・ヒクマットを紹介しましたが、その師匠のジャワド・サリーム紹介します。
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ジャワド・サリムが(1919年 - 1961年)生まれたのは、トルコのアンカラ。モスル出身の父がオスマン帝国の軍隊に入っていたためです。母親は有名な刺繍職人でした。しかし、第一次世界大戦で敗北したオスマン帝国は、まさに崩壊寸前。一家はバグダッドに移り住みました。1921年にはイギリス委任統治下で、メッカのハーシム家によるイラク王国が成立。ファイサル一世が(アラブの反乱軍を立ち上げアラビアのローレンスと一緒に戦った)国王になりました。サリムの父は、アマチュアの画家でしたが、ガージー王子の家庭教師として絵を教えました。1932年にはイギリスが撤退しイラク王国が独立します。直後にファイサル1世が崩御したので、ガージーが1933年から国王になりますが、イギリスとは距離を置き、汎アラブ主義を標榜します。
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このころ、1938年には、パリに留学39-40年はローマで学びました。しかし第2次世界大戦がはじまると学業どころではなくなり、イラクに帰国。学業を中断していた期間中、 1940年から1945年にかけては、イラク博物館で歴史的遺物の保護の仕事をしていました。この時の体験が、イラクの過去の文明であるシュメール、バビロン、アッシリア、そしてイスラム美術の偉大な芸術に基づきながら、20世紀の言語でイラク独自の芸術言語を創造することになります。1946年から48年はイギリスの美術学校に通いピカソやヘンリームアの影響を受けます。
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しかし、絵画と彫刻の両立に悩み、1950年ごろには彫刻に専念します。
1958年、イラクはクーデーターが起こり、ファイサル2世はとらえられ処刑されました。サリム一家は王室とも懇意にしてきただけあって複雑な心境だったでしょう。そして、新たな指導者となったカシムは、ジャワードに新しいイラクのシンボルとなるモニュメントの制作を依頼します。彼は、1958年の革命の物語を表すだけでなく、メソポタミアの壁画などの要素も入れて
イラクの深い芸術史に敬意を表そうとします。一方カシムは、自身のイメージをモニュメントの中に入れ込むように要求。そのようなプレッシャーの中でジャワードはモニュメントが完成する前に心臓発作でなくなりました。
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40歳そこそこでの若さでした。
彼のお兄さんスアド・サリムは風刺漫画化ですがイラク国章のデザインでも有名です。
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まとめ
イラクが、まだオスマン帝国の一部だったころから、イギリスの委任統治時代、その後ハーシム家による王国が誕生。王家とも懇意にしていたサリム一族ですが、軍事クーデターを経験。一体イラクとはなにか?激動の時代に現代美術を作り上げてきた人たち。そこには、古代メソポタミアのアートの歴史的なリスペクトが不可欠でした。注目すべきは、サダム・フセイン以前の出来事だったということ。サダム・フセインが1979年になると、イラク国民がメソポタミア文明の末裔であることを強調し、自らをネブカドネザル2世に重ね合わせ、イスラエルの自分たちがメソポタミアの時代にアブラハムが、神から土地を約束されたという神話に対峙する英雄としてのイメージを作り上げました。イラクのアイデンティティは、アラブだけでなく、イスラームだけでなく、メソポタミア文明を築き上げた民族の末裔という歴史的な重みを築き上げたのは、サダム以前の現在美術家協会の存在が大きかったのかもしれません。
そして今また、バグダッドの町中を彩る復興運動があります。
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https://www.rudaw.net/english/middleeast/iraq/02052022